土岐頼寛

日本の江戸時代後期の大名。上野沼田藩3代藩主土岐定経次男で、沼田藩4代藩主。従五位下伊予守

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土岐 頼寛(とき よりひろ、宝暦14年5月21日1764年6月20日) - 天明2年11月19日1782年12月23日))は、上野沼田藩の第4代藩主。沼田藩土岐家7代。第3代藩主・土岐定経の次男。官位は従五位下、伊予守。

宝暦14年(1764年)5月21日、江戸で生まれる。明和7年(1770年)に世子に指名された。天明2年(1782年)8月20日、父が死去したために後を継いだが、同年11月19日に19歳で江戸にて死去した。後を弟の土岐定吉が継いだ。墓所:萬松山東海寺の春雨庵。