五十嵐文男
五十嵐 文男(いがらし ふみお、1958年[1]11月6日 - )は、日本の男子フィギュアスケート選手(男子シングル)、フィギュアスケート解説者。1980年レークプラシッドオリンピック日本代表。1982年世界プロ選手権優勝[1]。
経歴
東京都出身[1]。普通部から慶應義塾に通い、[要出典]慶應義塾大学商学部を卒業[1]。トーラー・クランストンの影響を受けた独創性あふれるプログラムで人々を魅了した[1]。コーチはフランク・キャロル。[要出典]
1977年に東京で開催される世界選手権の代表選考会となった1977年度全日本選手権において会心の演技を見せたが、[要出典]審判陣は五十嵐の先輩にあたる佐野稔と松村充を代表に選出した。この選考結果に反発した五十嵐は、1977年に大学を休学し渡米。1978年度に全日本選手権を制覇、その直後の世界選手権(カナダ、オタワ)に初出場した。自由演技ではハチャトゥリアンのスパルタカスの音楽にのり、当時珍しかった3回転ルッツや3回転フリップ等、4種類の3回転ジャンプを織り込んだ高度な演技と卓越した表現力で観衆を魅了、[要出典]自由演技だけでは4位、総合でも7位という快挙を成し遂げた。
全日本フィギュアスケート選手権に通算4度(1978年度、1980年-1982年度)優勝、1980年と1981年のNHK杯、1978年スケートカナダやロータリーウォッチズ等、数々の主要国際大会でチャールズ・ティックナーやヤン・ホフマン等の世界チャンピオンを含む数々の強豪を抑え優勝した実績がある。しかし、メダルが期待された1980年レークプラシッドオリンピックでは9位に終わった。また、ショートプログラム終了時点で2位につけ、メダルが確実視された世界フィギュアスケート選手権(1981年3月)では、自由演技で2回転倒、4位に終わった。
大学卒業後は電通に勤務するとともに、フィギュアスケートの解説者としても活躍。[要出典]NHK杯やオリンピックなどの解説者として活躍した[1]。2006年-2007年シーズンのNHK杯では競技委員長に就任。解説は、男子シングルが本田武史、アイスダンスが樋口豊にそれぞれ変更となった。[要出典]
主な戦績
大会/年 | 1974-75 | 1975-76 | 1976-77 | 1977-78 | 1978-79 | 1979-80 | 1980-81 | 1981-82 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 9 | |||||||
世界選手権 | 7 | 6 | 8 | 4 | 9 | |||
全日本選手権 | 3 | 3 | 3 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 |
NHK杯 | 2 | 1 | 1 | |||||
ネーベルホルン杯 | 1 |
著書
- 五十嵐文男の華麗なるフィギュアスケート(新書館)1998年11月刊 ISBN 4403320090