大前繁雄
大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は、日本の政治家、自民党所属の前衆議院議員。兵庫県尼崎市出身。
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生年月日 | 1942年6月28日(82歳) |
出身地 |
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出身校 | 京都大学 |
学位・資格 |
法学士 1級土木施工管理技士 社会保険労務士 英検2級 |
前職 |
兵庫県議会議員 建設会社社員 |
所属委員会 |
防衛大臣政務官 安全保障委員会委員(平成19年 7月 5日現在) |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 兵庫7区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 自民党(山崎派) |
党役職 |
兵庫県支部連合会副会長 兵庫第7選挙区支部長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館725号室 |
ウェブサイト | 衆議院議員 大前繁雄 (おおまえ しげお) |
経歴
兵庫県立尼崎高等学校を卒業し、1962年、京都大学法学部に入学。大学卒業後、民間会社勤務を経て、1979年に兵庫県議会議員選挙に西宮市選挙区から立候補し当選する。民社党会派に所属し(民社党離党後は無所属)、連続6回当選。
1989年1月、教育の多様化を実践するため高等専修学校甲英学院を創設、以後現在まで理事長をつとめる。藍綬褒章受章(1999年)。
2000年に西宮市長選挙に出馬するも現市長である山田知に28票差の大接戦の末に敗北し、話題となった。 2003年第43回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬。同じ選挙区には、社民党党首で、これまで選挙では負けなしの土井たか子・元衆議院議長が強固な地盤を持っていたが、前年に、北朝鮮が拉致疑惑を認めたことで社民党への逆風が吹いたこともあり、選挙区で土井を破り、初当選を果たした(土井は比例復活)。2005年に2回目の当選。
2006年9月発足の安倍内閣で、防衛庁長官政務官に任命。2007年1月の防衛省発足に伴い、初代防衛大臣政務官に就任。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬。公明党の推薦も受けるも落選した。[1]
兵庫県議会議員の大前春代は次女で、2009年7月5日に行われた兵庫県議会補欠選挙で当選したが、翌月には父親が落選するという皮肉な事態となった。当時、中央では世襲問題が論議されていた時期であり、大前は、当然ながら世襲容認の立場であった。
2010年5月、自民党を離党。10年ぶりに西宮市長選挙に無所属で立候補。再び接戦となったが、前副市長の河野昌弘に2648票差の次点で落選した。
人物
政治的主張
- 北朝鮮問題に関しては県議時代から強硬姿勢を取っている。初当選した第43回衆議院議員総選挙でも拉致被害者家族会から強力な支援を受けている。
- 新しい歴史教科書をつくる会支援者の1人。
- 選択的夫婦別氏制度の法制化については、2004年3月11日の自民党法務部会にて「国家解体運動の一環」[2]と発言するなど反対の姿勢を示している。
- 女系天皇容認論者。
- 2005年12月、約1000万人の移民受け入れを目指す外国人材交流推進議員連盟立ち上げに参加。
- 朝鮮通信使が訪れた縁故地における日朝・日韓の相互交流、相互友好親善促進を目的とする朝鮮通信使交流議員の会の幹事を務める。
- 日朝国交正常化推進議員連盟に所属し、役員を務める。
統一教会・集団結婚に祝電
2006年6月に、統一教会の集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に祝電を送っていた[3]。
発言
- 2008年3月8日、イージス艦衝突事故をめぐって、神戸市内で開かれた自由民主党兵庫県連の会合で、「双方に過失があったはずで、公正な立場から原因究明にあたるべきだ」とし、漁船側に「重大な過失があるが、そのことには一言も触れられていない」と発言した。また、事故の再発防止を訴える中で「ライフジャケットをつけていれば浮いてくるはずで、大規模な捜索活動はいらなかった。(地元漁業協同組合関係者が捜索の際に)これみよがしにライフジャケットを身につけていた」とも話したという[4]。
不祥事
関係団体
- 日本熊森協会 顧問
脚注
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
- ^ 東京新聞、朝日新聞 2004年3月12日付
- ^ mms://222.122.72.150/vod3/2006/q2/20060516166201.wmv
- ^ 2008年3月9日 毎日新聞
- ^ 大前議員、不明朗取引=知人介在させ国有地取得-再落札依頼、7000万円安く時事ドットコム