種田仁

日本の元野球指導者、プロ選手

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種田 仁(たねだ ひとし、1971年7月18日 - )は、プロ野球横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手。ポジションは内野手

愛称は「マイケル」(命名者は星野仙一)、背番号は3番。

内野・外野どちらも守れ、二塁の守備は非常に上手いが外野の守備はあまり上手くは無い。

足を大きく開きバットを立てて構える独特のバッティングフォームは「ガニ股打法」とも呼ばれ全国的にも有名。

横浜ファンがその独特のフォームを真似てスタンドで興じる「タネダンス」は何故か試合中に相手チームのファンが踊っている事もある。

上宮高の同期には巨人元木大介内野手がいる。

概説

  • 高校3年の春の甲子園では、愛知の東邦高校相手に9回裏に痛恨の逆転サヨナラ負けを喫し準優勝に終わった。
  • 1990年 - ドラフト6位で上宮高から中日ドラゴンズに入団
  • 1992年 - 3年目ながら肩に不安を抱えていた立浪和義を遊撃から二塁に弾き出す形で遊撃手のレギュラーとなる。
    ここから1997年まではレギュラーとして活躍。
  • 1997年1998年 - 97年オフのプロ野球脱税事件に関わり、翌98年に開幕から出場停止3週間を受けた。
    再起を期し背番号を49番に変更したが阪神から移籍してきた久慈照嘉の活躍もあり出場機会が激減した。
  • 2000年 - 「ガニ股打法」で代打11打席連続出塁という日本記録を樹立。
    規定打席には満たなかったものの打率.314 7HR 31打点を記録し、その年のカムバック賞を受賞する。
  • 2001年 - シーズン途中に波留敏夫外野手とのトレード山田博士投手と共に横浜へ移籍。
  • 2002年2004年 - 二塁手や三塁手として、守備に不安を抱え打撃でも安定感を欠く若手の内川村田に代わって数多く先発で起用されるようになる

プロフィール

背番号

通算成績

2004年終了時

  • 1149試合 .260(3351打数 871安打)60本塁打 306打点 277四死球 492三振 169犠打 21犠飛 66盗塁

タイトル及び個人記録