ソユーズ
ソユーズ / サユース(ロシア語: Союз〔サユース〕、英語: Soyuz〔ソユーズ〕)は、ソビエト連邦及びロシア連邦の1~3人乗り有人宇宙船。
2人乗りボスホート宇宙船に続くもので、ソ連の有人月旅行計画のために製作されたが、結局その計画は実現されなかった。かつてソ連の宇宙ステーションサリュートやミールへの連絡に使用され、登場から40年近く経た現在でも国際宇宙ステーションへの往復用、及びステーションの緊急時の脱出・帰還用の役割も果たしており、現役で使用している。
名前の“Союз”は「団結」「同盟」「連邦」、文脈によっては「ソビエト連邦」「労働組合」を意味する。日本語では「ソユーズ」と表記されることが多いが、ロシア語の発音は「サユース」に近い。
機体
ソユーズは機体前方から見て、ほぼ球形の軌道船(Orbital Module)・釣鐘型の帰還船(Descent Module)・円筒形の機械船(Service Module)の3つからなる(軌道上での状態)。3つのモジュールのうち地上まで帰還するのは帰還船のみで、他のモジュールは再突入の際に切り離して、大気圏に突入して燃え尽きる。
機体の大きな特徴は機械船の側面に二枚ついた太陽電池パネルであり、宇宙空間で自力発電することによって使用電力を補っている。ソユーズ初期型は40号までで、計画変更で輸送宇宙船となった改良型ソユーズTが登場、T-1号~T-15号まで運用された。この機体は宇宙ステーションとドッキングすることを前提としており、太陽電池パネルを設置していない機体が多い。さらに改良型ソユーズTMが登場、TM-1号からTM-34号まで運用した後、2002年10月から新型のソユーズTMAに移った。
ちなみにTMA型に乗るためにクルーに以下の制限がある[1]。
ほぼ同型の機体であるが、地上帰還能力や生命維持機構を搭載しない、輸送船に特化されたタイプを「プログレス」と呼んでおり、こちらもサリュート時代から使用しており、食料や酸素などの物資輸送に活躍している。初期型は42号までで、現在は改良型のプログレスMとプログレスM1の2タイプが運用されている。
なお、現在旧来のソユーズとは全く違った新型のソユーズKの開発が進められている。これはデジタル制御装置を採用したリフティングボディの6人乗りの機体であり、月までの往復も可能である。また、フランス領ギニアのESAのクールー宇宙基地からの打ち上げもできる。無人テスト飛行が2011年から2012年に、有人飛行は2013年に予定されている。
軌道船
機体前方から見て一番前に存在する、球形をしたモジュール。
軌道上で乗員が主に活動するモジュールで、実験用の機器・船外活動のための気密室のほか、ソユーズ同士や、ミールやISSといった宇宙ステーションなどとのドッキング装置も有する。 イラストにある出っ張りは、ドッキングする際に使用するレーダーである。その他トイレなどもこの軌道船に備え付けられている。
大気圏再突入の際は、帰還船と切り離され、燃え尽きる。
帰還船
乗員が打ち上げと再突入の際に乗る、釣鐘型をした部分。1~3人乗りで、中で乗員は足を集めるように扇形に座る。
再突入の際は格納されたパラシュートを開いて減速し、地上数mまで降下した後に、帰還船の下に取り付けられた小型逆噴射ロケットによって着地の衝撃を和らげる。
帰還船の表面はアブレータによりコーティングされている。これはちょうど接着剤が固まったようなもので、化学繊維に含浸させて固めることにより強度を維持している。軌道上で塵から帰還船を保護し、再突入時にはアブレータ自体が溶けて熱分解する際の融解熱と分解熱、および炭化したアブレータによって内部を保護する。アメリカのスペースシャトルに使われている耐熱タイルのように繰り返し使うことは出来ないが、耐熱タイルほど脆くないし、ソユーズ自体が繰り返し使うことは考えられていないため、問題はない。
なお乗員は3人と言っても、初期のソユーズは3人乗ると狭く、帰還時に宇宙服を着られなかった(2人で乗れば可能だった)。しかし、11号で帰還船の気密が漏れ、上空で乗員が3人とも窒息死する事故の後は、安全のために宇宙服を着るようにした代わりに、一時的に乗員も最大2人になった。
その後改良が進められて、1976年に登場したソユーズT型から、乗員も宇宙服を着た状態で最大3人にされた。
機械船
軌道上で一番後部にある、円筒形のモジュール。
姿勢制御ロケットや大気圏再突入の時に使う逆噴射ロケットおよびそれらの燃料タンク、さらには飛行士の生命維持のために必要な酸素や水などが搭載されている。名前の通り機械類専用のモジュールで、人が入るスペースはない。 機械船の大きな特徴は横に長い太陽電池パネルだが、ロケットにはこれが折り畳まれた状態で入っており、軌道上で横に開く。
軌道船と同じく、大気圏再突入の際に切り離され、空力加熱により燃え尽きる。
船内の空気
宇宙船内の空気は、地上の大気組成にほぼ等しい70%の窒素と30%の酸素の混合ガスを、1気圧に保っている。これはボストーク以来のロシアの宇宙船の伝統である。米国においてはアポロ計画までは船内気圧を減圧して100%純粋酸素を船内に充填していた。
打ち上げロケット
評価
現役の有人宇宙船としては最も安全で経済的であるとされ極めて高く評価されている。商業用の宇宙観光が全てソユーズで行われているのもこの為である。特に、1981年の初飛行以来2度致命的な事故を起こしたスペースシャトルに比べ、ソユーズは基本設計は古いものの、技術的に「枯れた」機体であり、既に30年以上に渡って死亡事故を起こしておらず、その信頼性は極めて高い。
スペースシャトルに比べて、ソユーズが有利だと言われている主な理由に、次のようなものが挙げられる。
- 発射30秒前からブースターロケットが燃え尽きるまで、トラブルが発生しても一切脱出する術を持たないシャトルに比べ、ソユーズは非常脱出ロケットによって、発射台に据え付けられてから軌道到達までの間、いつでも乗員の乗る帰還船のみを切り離すことが出来る。
- 一応シャトルにも方法が全くないわけではないが、実用性が0に近く、非現実的な方法である。
- 何度も同じ機体を使うシャトルに対し、ソユーズは1回きりなので、機体設計に無理がない。
- 同様の理由から、新しい技術を順次機体に取り込むことが容易に出来る。
なお誤解する人が多いが、基本設計を引き継いでいるのは、わざわざ信頼性を再実証するリスクを背負ってまで新規に設計する必要が無い部分については、可能な限り引き継ぐというだけである。当然ながら、技術や素材の進歩には追従しているし、必要なら機体構造やコンポーネントの改良や更新は常に行われている。またロケット全体を更新せず、部分的に改良・更新を重ねていくスタイルは、欧米のロケットも基本的に同様である点にも注意を要する。
もちろん、「ソユーズは軌道上の宇宙への到達及び、ミール等宇宙ステーションとの人員往復が目的であり、軌道上の実験プラットフォームであるスペースシャトルとは目的・設計運用思想の異なった物である」や「シャトルは衛星軌道上の実験衛星を実験終了後、機体すべてを地球に持ち帰るようなミッションもこなしている」という、ソユーズでは不可能なミッションも行うスペースシャトルと、そもそも比べること自体に無理があるという論も、全く否定出来るものではない。また、ソユーズ自身、過去に致命的な事故を何度か経験しており死者も出している。
しかしそれを差し引いても、すでに確立されたソユーズの人員に対する安全性という優位性は、ほぼ揺るがない。
ただし、ソ連崩壊後の経済的混乱も手伝って、ソユーズの後継であるべきプロジェクトがすべて実現していないこともまた事実である。このため、国際宇宙ステーションの運用は、その成立の精神に反して、スペースシャトルを持つアメリカの事情が優先されている。
将来の宇宙往還機を積極的に開発しているのはアメリカのみ(オリオン計画)で、中国の神舟はソユーズの亜流であり(ただしそれは基礎部分で、アビオニクスなどはほぼ中国の独自開発)、他には欧州のESAと日本のJAXAが基礎研究を行うに過ぎない。日本独自の使い捨て有人宇宙船計画である「ふじ」計画も提案されたのみで2007年現在開発は進められていない。ロシアも再利用型の将来宇宙往還機を構想しているものの、具体的な計画には進めていない。ロシアのスペースシャトルであるブランもソ連時代の1988年に無人でのテスト飛行を成功させているが、ソ連の崩壊とロシアの財政難が災いし、未だに計画継続の予定はない。
今後
ソユーズの後継となる有人宇宙船は何度か噂が飛び交ったりロシアから案が出たものの、2007年現在、今まで実現したものはない。
ソビエト連邦はブランと呼ばれる再使用型宇宙往還機を1988年に無人飛行させているが、ソ連崩壊とロシアの財政難が重なって現在はゴーリキイ公園のオブジェとされてしまっている。スペースシャトルを運用するNASAもシャトルの存在意義に見切りをつけているため、これがソユーズの後継となる可能性はほとんどない。
ロシアは2006年、新型の宇宙船としてクリーペルと呼ばれる小型の翼が付いた宇宙船を開発中であると発言しているが、これがどれほど研究が進んでいるのか、いつ頃初飛行するのかなどは2007年末現在まだ分かっていない。計画のみで終わる可能性ももちろんある。
2007年末現在利用されているソユーズはTMA型だが、これも使われているコンピューターの多くは古いものであるため、機体の基本構造は現在のものを使ったままコンピューター類を新しいものにしたソユーズ(ソユーズKと呼ばれることもある)が現在のところ最も有力視されている。
以上のことから、内部や細部は改良が加えられつつも、ソユーズの根幹はその信頼性や経済性に支えられ、今後もしばらくは使われ続けられると見られる。
宇宙旅行への利用
ソユーズはスペースシャトル以上の安全性と信頼性から、2008年現在、もっとも、そして唯一の民間人が宇宙旅行を行える手段でもある。
ロシア連邦宇宙局は政府の財政難のため、国際宇宙ステーションと往復する「ソユーズの座席」を世界に向けて販売している。これが2008年現在の宇宙旅行の手段である。2001年4月28日にアメリカの富豪であるデニス・チトーを約2000万ドル(2001年当時のレートで約24億円)でソユーズTM-32により宇宙に1週間滞在させたのを皮切りに、世界各国から募った民間人を宇宙まで打ち上げている。
なお一般公募によるものではないが、チトーが宇宙に行く11年前の1990年12月2日、すでに日本のTBS社員(当時)の秋山豊寛が、TBSが費用(約1400万ドル)を負担することでソユーズTM-11に乗って宇宙に行っている。 自費で宇宙に行った民間人を宇宙旅行者とした場合、その最初の人は間違いなくチトーであるが、民間の費用で宇宙に行った人物を宇宙旅行者とした場合には、秋山が最初となる。
歴史
便宜上ソユーズ以外の記事にも触れる。
- 1964年8月3日 ソユーズOK(地球周回)、ソユーズL1(有人月周回)、ソユーズL3(有人月面着陸)開発に対するソ連政府許可が下りる。有人月周回は革命50周年にあたる1967年後半を、月面着陸は1970年第四四半期を予定していた。
- 1967年4月、ソユーズ計画最初の一人乗りソユーズ1号は打ち上げ・地球周回飛行に成功した後、大気圏再突入したが、着陸用パラシュートが開かずに地面に墜落。ウラジーミル・コマロフ飛行士が死亡(粉砕死)した。
- 1968年10月、ソユーズ3号が無人の2号とのランデブーに成功。
- 1968年12月9日 有人ソユーズL1(月周回)打ち上げ予定日。飛行士(レオノフ・マカロフ)はバイコヌール基地で待機し準備は完全であったが、結局政府許可が下りず延期。
- 1969年1月、4号と5号のドッキングに成功し、15日に5号乗組員が4号に乗り移った。5号の再突入時、帰還船が機械船から分離せずそのまま突入、かろうじて分離はするも着陸時の逆噴射ロケットが作動せず、ボリス・ボリノフ飛行士が重傷。
- 1969年10月、ソユーズ6号、7号、8号が、史上初の有人宇宙船グループ飛行を行う。
- 1970年10月30日、ソユーズL1計画(有人月周回計画)の中止が決定。
- 1971年4月19日、世界初の宇宙ステーションサリュートの打ち上げ成功。
- 1971年4月23日、10号がサリュートとドッキングするが搭乗に失敗、25日に帰還。
- 1971年6月7日、11号がサリュートにドッキング。6月29日にサリュートを離れ、30日地球に帰還するが、機体の気密が漏れたため飛行士3人(ゲオルギ・ドブロボルスキー、ウラジスラフ・ボルコフ、ビクトール・バチャエフ)が窒息死した。
- 1974年6月、14号がサリュート3号とドッキング、飛行士がサリュート3号に乗り移った。
- 1974年6月23日、ソユーズL3計画(有人月着陸計画)の中止が決定。
- 1975年4月5日、18号を打ち上げるロケットが第2段の分離に失敗した。宇宙船は高度192kmで緊急に切り離され帰還に成功したが、無理な大気圏突入(15Gもの力が掛かった)のため飛行士は重傷。
- 1975年5月24日、代替の18号が打ち上げられ、サリュート4号とドッキングした。
- 1975年7月15日、19号がアメリカ合衆国のアポロ18号とのドッキングに成功(アポロ・ソユーズテスト)。
- 1976年10月14日、23号がサリュート5号とのドッキングに失敗、2日後に帰還するも帰還予定地から東およそ200kmのカザフスタンのテンギツ湖に着水、マイナス20℃近いブリザードの中、一晩閉じ込められる。
- 1983年9月26日、打ち上げ時に爆発、ウラジミール・チトフら2人の宇宙飛行士は緊急脱出システムで無事。後にソビエトのチャレンジャーと呼ばれた。
- 1985年11月21日、サリュート7号の運用停止。
- 1986年2月19日、宇宙ステーションミールの打ち上げに成功、運用開始。
- 1988年9月、TM5号が地球への帰還のためロケットを噴射した直後、コンピュータがシステムの不具合を検出してエンジンを緊急停止した。ロシア人船長のリャホフがモスクワからの指示を悠然と待っている間、アフガニスタン人の副操縦士ムハンマドは自分なりの経験に基づいて計器盤をチェックしたところ、コンピュータが自動モードに入ったままの状態であるのを発見した。彼の報告により自動モードは直ちに解除されたが、もしこのとき副操縦士があと1分以内に事態に気づいていなかったら、機械船は自動的に切り離され、2人は地球に帰還するすべをなくして確実に死亡しているところであった。
- 1990年12月2日、TM11号にTBSの宇宙特派員として秋山豊寛が搭乗。日本人で初めて宇宙空間に進出した宇宙飛行士(宇宙飛行関係者)となる。その模様は日本人初!宇宙へで日本で放送された。同氏は宇宙ステーションミールに1週間滞在後、TM10号にて帰還。
- 1991年12月、ソビエト連邦が崩壊、ロシア連邦発足。
- 2000年7月12日、国際宇宙ステーションの居住モジュール打ち上げ、本体ドッキング後に運用開始。
- 2001年3月23日、ミールの運用廃止、大気圏に突入。
- 2003年2月、アメリカのスペースシャトルコロンビアの空中分解事故が発生し、スペースシャトルの打ち上げが停止。シャトルの打ち上げが再開された2005年7月までの約2年半の間は、ソユーズが地球と国際宇宙ステーションを結ぶ唯一の手段となっていた。
関連項目
- スプートニク計画
- ソ連の有人月旅行計画 - ソユーズL1計画・ソユーズL3計画
- ボストーク
- プロトン (ロケット)
- R-7 (ロケット)
- プログレス補給船 - ソユーズの貨物型で、国際宇宙ステーションやミールなどへ物資を補給するのに使われる
- ソユーズの一覧