マリーア・マッダレーナ・ダウストリア

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マリーア・マッダレーナ・ダウストリア(Maria Maddalena d'Austria, 1589年10月7日 - 1631年11月1日)は、トスカーナ大公コジモ2世妃。ドイツ語名マリア・マグダレナ・フォン・エスターライヒ(Maria Magdalena von Österreich)。

マリーア・マッダレーナ・ダウストリア(ティベリオ・ティティ画、ウフィツィ美術館所蔵)

オーストリア大公カール2世(神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の三男)とマリア・アンナ・フォン・バイエルン(カール2世の姉アンナの娘)の娘として、グラーツで生まれた。

1608年、コジモと結婚。8子をもうけた。

マリーア・マッダレーナはパドヴァで亡くなった。