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ピリオ山はホメロスに始まり、ヘシオドスピンダロスシモニデスオウィディウスなどの詩人たちに歌われており、またヘラクレイデスによって薬草の多いことが言及されているref name=pelionweb /。


オディオス
en:Odius (mythology)
オディオス古代ギリシア語: Ὀδίος, Odios, : Odius)は、ギリシア神話の人物である。主にトロイア戦争の戦士で、

  • ハリゾネス人の武将
  • ギリシア人の武将

の2人が知られている。以下に説明する。

メーキステウスの子

この人物はアリュベーの王メーキステウスの息子で、エピストロポスと兄弟[1][2]。一説によるとヌミオスの息子[3]。エピストロポスとともにハリゾネス人を率い、トローイアを救援して戦った[1][2][3][4]。ホメーロスはオディオスを巨漢の戦士として語っている。『イーリアス』第5巻によると戦の神アレースはトローイア人の味方をしていたが、女神アテーナーがアレースを戦場から連れ出すとトローイア軍はギリシア軍の攻撃に動揺し浮足立った。このときオディオスはいち早く戦車を駆って戦場からの離脱を試みたが、ミュケーナイの王でギリシア軍の総司令官であったアガメムノーンに後方からで刺し貫かれて絶命した[5]

ギリシア人の武将

この人物はトロイア戦争におけるギリシア軍の武将である。アガメムノーンがアキレウスに和解を申し入れる使者を派遣した際に、老将ポイニクス大アイアース、知将オデュッセウスに続いて、伝令使としてエウリュバテースとともに使者の一団に加わえられた[6]

脚注

  1. ^ a b 『イーリアス』2巻856行-857行。
  2. ^ a b アポロドーロス、摘要(E)3・35。
  3. ^ a b クレータのディクテュス、2巻35。
  4. ^ プリュギアのダレース、18。
  5. ^ 『イーリアス』5巻35行-42行。
  6. ^ 『イーリアス』9巻162行-172行。

参考文献


半身の浴女
en:The Half-Length Bather

『半身の浴女』
フランス語: La Baigneuse à mi-corps
英語: The Half-Length Bather
 
作者ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
製作年1807年
種類油彩キャンバス
寸法51 cm × 42 cm (20 in × 17 in)
所蔵ボナ美術館バイヨンヌ

浴女』(よくじょ、: La Baigneuse[1][2], : The Bather)あるいは『半身の浴女』(はんしんのよくじょ、: La Baigneuse à mi-corps[3], : The Half-Length Bather)は、フランス新古典主義の画家ドミニク・アングルが1807年に制作した絵画である。油彩。ヴァルパンソン家が所有した有名な『浴女』(La Baigneuse)とともにアングル初期の裸婦画の1つ。どちらも水浴びする女性を背後から描いているが、頭に巻いたターバンリアリズムと対照的な歪曲された女性の裸体に大きな特徴がある。現在はバイヨンヌボナ美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。また習作素描がモントーバンアングル美術館に所蔵されている[5]

作品

 
習作素描。浴女の背中部分には小さな『ラファエロとフォルナリーナ』の素描が描かれている。アングル美術館所蔵[5]

アングルは暗がりの中で水浴する女性の姿を背後から描いている。しかし女性は鑑賞者にすべらかな背中を見せているのではなく、むしろ鑑賞者によって窃視される立場にある。実際に女性は不安を感じて、背後からの視線を避けるかのように背を丸め、両手を交差させて胸を覆い、肩越しに振り返って背後に視線を向けている。しかも女性は最前景に配置されているため、窃視者は女性に触れることができるほど接近していることを仄めかしている。本作品の官能的な魅力が複雑であるのはこうした点にある[4]。女性は黒い髪を複雑に編み込み、さらにのターバンを巻いてそれをまとめている。本作品の特筆すべき点の1つはこのターバンで、まるで写真を見ているかのようなリアリズムでターバンの赤と白の緻密な模様や、あらゆる襞、縁飾りを描き上げている。さらにそれだけにとどまらず、あろうことかこのターバンの白い部分に微細かつ美しい字体で署名を書き込んでいる[4]

水浴する女性の官能的な裸体画それ自体はロココから続く伝統で、19世紀においても新古典主義の時代を生き延びて、神話画というよりは風景や異国情緒豊かなハレムの中で水浴びをする地上の女性として描かれた。アングル以前にはアンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソンがわずかに早く同様の作品を描いている[4]。図像的源泉としては、ダヴィッド派の画家たちによく知られていたドイツの画家ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン編の『ウィリアム・ハミルトン卿所蔵の古代の壺の版画コレクション』(Collection of engravings from ancient vases in the possession of Sir Wm. Hamilton)の第3巻に収録された浴女の版画が指摘されている[4]画像)。そこには背中を見せながらしゃがみこみ、振り向いて背後から水をかける女性を見つめる裸の女性が描かれている。頭部に結ばれたターバンはラファエロ・サンツィオラ・フォルナリーナ』(La fornarina)から採られたものであろう[4]

アングルは緻密な写実主義的描写を行う一方で、抽象化との絵画的対立融合も複合的に行っている。木々の枝葉は平坦なシルエットで描かれ、暗い空や水辺は鋭い輪郭線で表現されている[4]。さらに女性の身体はアングルの特異な視覚的官能性の要求に応えるため、磨き上げられ、引き伸ばされ、短縮されている。額やかすかに赤みがかった頬は非現実的なほどになめらかであり、首のしわや複雑に編み込まれた髪の下のほつれ毛と相対している。また背中や腕の象牙細工のような完璧さは突然現れてしなやかな腕を抱きしめる指と対照している。そして女性の身体は絵画の表面に向かって圧縮され、歪曲している。下顎骨は消失し、乳房は胸の前方ではなく側面に隆起しているように見える[4]。腹部の線は鋭く平坦である。しかしこうした平坦さは、たとえば横顔のわずかな傾きにより右目の睫毛だけが見えていたり、わずかに見えるターバンの端が肩の平たい曲線に変化を与えるなどの、常に巧みな変化によって活気づけられている[4]

来歴

1855年のパリ万国博覧会に出展された[3]。絵画はもともとド・フレーヌ(De Fresne)のコレクションにあり、その後バイヨンヌ出身の画家レオン・ボナのコレクションに加わった。レオン・ボナは死後に本作品を含むコレクションを故郷のバイヨンヌ市に遺贈した[5]

ギャラリー

関連する作品
ボナ美術館の他のアングルの油彩作品

脚注

  1. ^ a b Baigneuse”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  2. ^ a b La Baigneuse”. photo RMN. 2024年11月22日閲覧。
  3. ^ a b c 『西洋絵画作品名辞典』p. 16。
  4. ^ a b c d e f g h i ローゼンブラム 1970年、p. 70。
  5. ^ a b c Baigneuse Bonnat ; Raphaël et la Fornarina”. POP : la plateforme ouverte du patrimoine. 2024年11月22日閲覧。
  6. ^ La baigneuse, dite Baigneuse de Valpinçon”. ルーヴル美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  7. ^ Portrait de jeune homme”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  8. ^ Charles X en costume de sacre”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  9. ^ Francesca da Rimini et Paolo Malatesta”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  10. ^ La Vierge à l'hostie”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。
  11. ^ Baigneuse vue de dos”. ボナ美術館公式サイト. 2024年11月22日閲覧。

参考文献

外部リンク



フローラとしてのサスキア
en:Saskia with a Flower

『フローラとしてのサスキア』
オランダ語: Saskia als Flora
英語: Saskia as Flora
 
作者レンブラント・ファン・レイン
製作年1641年
種類油彩、板(オーク材[1][2]
寸法98.5 cm × 82.5 cm (38.8 in × 32.5 in)
所蔵アルテ・マイスター絵画館ドレスデン

フローラとしてのサスキア』(: Saskia als Flora, : Saskia as Flora)あるいは『赤い花を持つサスキア』(: Saskia mit der roten Blume, : Saskia with the red flower)は、オランダ黄金時代の巨匠レンブラント・ファン・レインが1641年に制作した肖像画である。油彩。レンブラントの妻サスキア・ファン・オイレンブルフ(1612年-1642年)をローマ神話の春の女神フローラとして描いたものと考えられており、サスキアの死の前年に制作された。現在はドレスデンアルテ・マイスター絵画館に所蔵されている[1][2]

制作背景

レンブラントはティツィアーノ・ヴェチェッリオをはじめとするヴェネツィア派の絵画に強い関心を抱いていた。その中でも特に強く惹かれた作品が1641年までアムステルダムの個人コレクションにあったことが知られているティツィアーノの『フローラ』(Flora, 1515年-1520年頃)であった。1634年にサスキアと結婚したレンブラントは若い妻への情熱に触発され、エルミタージュ美術館所蔵の『フローラ』(Flora)や[3][4]ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の『アルカディアの衣装を着たサスキア』(Saskia van Uylenburgh in arcadisch costuum)といった作品を制作した[5][6]。本作品の制作はさらにその数年後であり、ティツィアーノの『フローラ』がアムステルダムにあった時期と一致している。サスキア死後の1654年頃にもメトロポリタン美術館所蔵の『フローラ』(Flora)を制作している[7][8]

作品

   
左:ティツィアーノの1515年頃の絵画『フローラ』。ウフィツィ美術館所蔵。右:レンブラントの1654年頃の絵画『フローラ』。メトロポリタン美術館所蔵。

レンブラントはサスキアを正面像として描いている。サスキアは微笑みながら顔をわずかに右側に傾け、自発的に暗闇から進み出ているように見える[1]。彼女は左手を胸に当て、鑑賞者に向かって差し出した右手に八重咲きの赤いカーネーションを持っている。画面左下の灰色の石の壁には別の花が咲いている。サスキアの茶色の巻き毛は額や肩に落ちている。半袖の赤いガウンを身にまとい、茶色の透明の肩掛けを右肩から左腰に巻いている。ガウンの胸元は半分開いており、上質なシュミゼット英語版が見えている。左前腕にはマントがかかっている[9]。またサスキアは頭に着けた細いダイアデムをはじめとして、耳に真珠イヤリング赤サンゴと真珠のネックレス、金の鎖のブレスレットといった様々な宝飾品を身に着けている[9]

モチーフと主題の両方で、ルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの1515年頃の絵画『フローラ』の影響が指摘されている[2]。サスキアのポーズはティツィアーノの『フローラ』と多くの点で一致している。

サスキアの笑顔や左手の親密な仕草、そして彼女が捧げる赤いカーネーションは鑑賞者に対してではなく、肖像画を描くためにサスキアと向き合っているレンブラントに対してのものである。カーネーションは結婚の忠誠を象徴しているが、この肖像画に反映された夫婦の深い絆はカーネーションに頼らずとも理解される[1]

署名と日付は画面左下に描き込まれている[1][9]

来歴

絵画は1742年にパリの画商ノエル・アレイニョン(Noël Araignon)が所有していたことが知られており、同年にザクセン選帝侯およびポーランド王のアウグスト3世に売却されている。アウグスト3世は仲介人を通じ、アルテ・マイスター絵画館のためにアレイニョンから2,500リーブルで購入した[2]。1746年、選帝侯のコレクションはドレスデン城英語版からユーデンホフ広場ドイツ語版にある選帝侯の厩舎(現在のヨハネウム英語版)に移された。1855年以降、本作品を含むアルテ・マイスター絵画館の絵画はツヴィンガー宮殿の翼にあったゼンパー・ギャラリー英語版に収蔵された[2]

ギャラリー

サスキアを描いた絵画
本作品の複製

脚注

  1. ^ a b c d e Saskia mit der roten Blume”. ドレスデン美術館オンライン・コレクション. 2023年4月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e Saskia van Uylenburgh as Flora, 1641 gedateerd”. オランダ美術史研究所(RKD)公式サイト. 2023年4月12日閲覧。
  3. ^ Флора”. エルミタージュ美術館公式サイト. 2022年12月26日閲覧。
  4. ^ Rembrandt, Flora, 1634 gedateerd”. オランダ美術史研究所(RKD)公式サイト. 2022年12月26日閲覧。
  5. ^ Saskia van Uylenburgh in Arcadian Costume”. ロンドン・ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2023年4月12日閲覧。
  6. ^ Portrait of Saskia van Uylenburgh in Arcadian costume, 1635 gedateerd”. オランダ美術史研究所(RKD)公式サイト. 2023年4月12日閲覧。
  7. ^ Flora”. メトロポリタン美術館公式サイト. 2023年4月12日閲覧。
  8. ^ Flora, waarschijnlijk ca. 1654”. オランダ美術史研究所(RKD)公式サイト. 2023年4月12日閲覧。
  9. ^ a b c Cornelis Hofstede de Groot 1915, p.134.

参考文献

外部リンク




文献順
名前
綴り(el)
綴り(la)
Hesi
Ap
Hy
順-01 オルトロス Ὄρθρος Orthros
順-02 ケルベロス Κέρβερος Kerberos
順-03 ヒュドラー Ὕδρα Hydrā
順-04 キマイラ Χίμαιρα Chimaira
順-05 ネメアーの獅子 Νεμέος λέων Nemeos leōn
順-06 ラードーン Λάδων Lādōn
順-07 アイトーン[注釈 1] Αἴθων Aithōn
順-08 スピンクス Σφίγξ Sphinx
順-09 パイア Φαῖα Phaia
順-010 ゴルゴーン Γοργών Gorgōn
順-011 金羊毛の守護竜
順-012 スキュラ Σκύλλα Skylla

注釈

  1. ^ プロメーテウス肝臓を食べる不死身のワシの名前[1]

脚注

  1. ^ ヒュギーヌス、31話。
月順
インド国定暦
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順-07 アーシュヴィナ月 プーシャン ガウタマ グリターチー ダナンジャヤ スシェーナ ヴァータ ヴァスルチ
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