贈り物
贈り物(おくりもの)とは、何か出来事があった際に贈る特別なものを指す。同義語にプレゼント・ギフト・ご進物(ごしんもつ)がある。
特徴
いわゆる「商品」でない「贈り物」の特徴として、以下の3点が挙げられる[1]。
- 贈り物を媒介として、前の所有者の人格や感情が伝達される。
- 友情や信頼の持続性を表明するため、お返しには一定の間隔をおく。
- 贈り物では、交換価値(例えば金額換算)という思考が通常は排除される。
マルセル・モースは『贈与論』において、贈与をめぐる3つの義務を提示した[2]。
- 贈り物を与える義務 - 動機は様々だが、先例や慣習といった暗黙の圧力や、受贈者が自分と他の贈与者候補を比量した時の結果を恐れる心理から発生する義務感によって贈られる。人は意識的、無意識的に受贈者から見返りを回収することを期待する。
- それを受ける義務 - 贈り物を受けることで債務意識が生じる。しかし、贈り物を拒むことは人間関係を築く上で禍根を残すこともある。そのため、贈り物を受けることは関係を維持するための基本的なマナーとなる。
- お返しの義務 - 「貸し」「借り」を作ったままでは双方が落ち着かないのでお返しをする。こうした受贈者に生じる返礼の義務感を互酬性(reciprocity)とも呼ぶ。
のちに、モーリス・ゴドリエは第4の義務として「神々や神を代表する人間へ贈与する義務」を追加した。歴史を遡るほど人々の生活の中で第4の義務の比重は高くなる。
動機の例
地域別の習慣
地域を問わず見られるもの
日本
- お年玉 - 年神からの賜りもの、年(トシ = 米 = 稔りに1年かかるの意)の魂(霊魂)、という意味合いがある[3]。
- 年賀
- バレンタインデー(2月14日) - 日本にこの風習がいつ伝わったか確かなことは分かっていないが、商業イベントとしては1930年代、広く浸透はしなかったものの、製菓業界による宣伝を契機にするという説が有力である。1950年代には、百貨店が女性を対象とした販売促進イベントとしてこの習慣をアピールした。このときは送る相手(恋人・友人・家族)、贈答品の種類も企業によってまちまちだった。1960年代には、森永製菓が「恋人にチョコレートを贈る」というメッセージの広告を展開し、女性消費者の関心を引き付けた。(おりしも皇太子のご成婚(1959年)以降ロマンスへ関心が高まっていた。)1970年代になり、ようやくバレンタインデーは広く浸透し、贈り物もチョコレートに固定化されるようになった。この頃の贈り主はもっぱら10代の女性である。1980年代には、好景気の影響もありチョコレートに別の贈り物を添えたり、チョコレートを手作りする風潮が起こった。また義理チョコという日本独自の風習も始まった[4]。
- ホワイトデー(3月14日) - 1980年代、日本の洋菓子業界がバレンタインデーの返礼イベントとして提案した、日本独自の風習である[4]。
- 合格祝い、入学祝い、卒業祝い
- 母の日
- 父の日
- 中元 - 起源は中国の星祭の三元のひとつ、陰暦7月15日の中元にさかのぼる。道教ではこの日を盛大に祭る風習があり、それが六朝時代末期に仏教の盂蘭盆会と習合した。これが日本へ渡来したのち、お精霊様(先祖の死霊)を迎える風習とさらに習合し、日本風のお盆と中元という習俗が成立した[3]。
- 歳暮 - 日本では収穫の神事の後、直会で共に会食することにより、人々は神の霊魂の分割にあずかり連帯を強めるという習俗があった。また年の暮れには先祖の魂祭りをする習俗もあった。これらが結びつき、歳暮の贈答という風習となったと考えられる[3]。
- クリスマス(12月24日) - 日本では明治以降、百貨店が販売促進を目的としてクリスマスプレゼントの風習をアピールしたが、ごく一部にしか浸透しなかった。1950年代の進駐軍とキリスト教団体による慈善活動以降、急速にひろく普及するようになったが、その頃は成人男性の盛り場での娯楽イベントという性質のものだった。1960年代以降、経済成長に伴うマイホーム主義が広まるにつれ、家庭内イベントとして浸透した。1970年代後半以降は若い男女へのアピールが強まり、またクリスマスイブが重要になった。1980年代後半のバブル景気期に、そのロマンチック志向・ブランド志向は頂点に達した。1990年代以降は個性や自分らしさを演出する傾向が見られるようになった[4]。
キリスト教圏
- バレンタインデー(2月14日) - ローマ近郊テルニの司教ウァレンティヌスの殉教記念日を起源とする。7世紀にキリスト教の祝祭行事となったが、14世紀頃には縁結びの守護聖人の日として恋人同士がプレゼントを贈りあうなど世俗化が進んだ。第一次世界大戦後、アメリカではカード業界を中心にしてこの日にグリーティングカードを贈りあう風習が起こり、現在も恋人同士に限らず、親子や友人どうしでカードを贈りあうことがひろく行われている[4]。
- イースター(4月頃)
- ハロウィン(10月31日)
- クリスマス(12月24日) - 古くからあるクリスマスの風習に、クリスマスプレゼント・クリスマスカード・サンタクロースといった要素が加わるのは19世紀以降のアメリカにおいてであり、それはクリスマス期の消費促進を目的としたものであった[4]。
中国語圏
- 圧歳銭(日本でいうお年玉に相当)
ネイティブ・アメリカン
民俗学的考察
人類学者のブロニスワフ・マリノフスキはトロブリアンド諸島の部族が持つクラという交易の風習を研究し、その贈答・交換の儀式が、社会関係の形成や維持に貢献しているとした[5]。 マルセル・モースはクラやポトラッチといった贈与習俗を調査・研究した上で、売買という経済活動の起源は単純な物々交換ではなく、贈り物の提供・受容・返礼という宗教的観念を背景とした儀礼にあるとした[6]。
柳田國男は日本人の贈答でなぜ食物が重視されるかを考察した。そしてその起源は、節や祝祭で神を祀り、その供物を人にも提供したことにある、すなわち食物としての贈り物は本来、神に対する供物であったとした[7]。 和歌森太郎は柳田の考察を引き継いだ上で、まずは祭りの供物を神と祭祀に関わる者が共に食す神人共食思想があり、それが祭りに参加する人々も含めた共食へ広がり、人々の間でやりとりされる贈答という習慣につながったとし、また受け取った贈り物の一部を返す習俗はこの共食思想の名残とした[8]。
脚注
- ^ 中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社〈カイエ・ソバージュ III〉、2003年、38頁。
- ^ 桜井英治『贈与の歴史学:儀礼と経済のあいだ』中央公論新社<中公新書>、2011年、ISBN 9784121021397 pp.3-13.
- ^ a b c 室伏哲郎『贈る論理、贈られる論理』筑摩書房、1989年、29-36頁。
- ^ a b c d e 関口英里『現代日本の消費空間―文化の仕掛けを読み解く』世界思想社、2004年、16-30頁。ISBN 978-4790710844。
- ^ Malinowski, Bronisław Kasper『西太平洋の遠洋航海者』寺田和夫、増田義郎他、中央公論社〈世界の名著〉(原著1967年)、55-342頁。
- ^ Mauss, Marcel『贈与論』 1巻、有地亨、伊藤昌司、山口俊夫、弘文堂〈社会学と人類学〉、1973年(原著1924年)、219-400頁。
- ^ 柳田國男『食物と心臓』 41巻、筑摩書房〈定本柳田國男集〉、1962年、219-375頁。
- ^ 和歌森太郎『日本人の交際』 12巻、弘文堂〈和歌森太郎〉、1982年、1-50頁。