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=== 開戦時の両軍の基本戦略 ===
;{{flagicon|JPN1889}} 日本側 : 戦闘領域の北限はハルビンまでに限局しシベリアまでの追撃は行なわず、戦争期間は1年程度と想定していた<ref>{{Cite journal|和書|author=松村正義 |date=1982-08 |title=黄禍論と日露戦争 |url=https://doi.org/10.11375/kokusaiseiji1957.71_38 |journal=国際政治 |publisher=日本国際政治学会 |issn=04542215 |volume=1982 |issue=71 |pages=38-53,L7 |doi=10.11375/kokusaiseiji1957.71_38 |naid=130004302482 |CRID=1390001205334296832}}</ref>。[[京都]]の[[舞鶴港]]から出港し、[[大日本帝国海軍|海軍]]が[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]と[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]をもって[[旅順]]にいるロシア太平洋艦隊を殲滅ないし封鎖し、[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]をもって[[対馬海峡]]を抑え制海権を確保する。その後、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]が[[第1軍 (日本軍)|第一軍]]をもって朝鮮半島へ上陸、在朝鮮のロシア軍を駆逐し、[[第2軍 (日本軍)|第二軍]]をもって遼東半島へ橋頭堡を立て旅順を孤立させる。さらにこれらに[[第3軍 (日本軍)|第三軍]]、[[第4軍 (日本軍)|第四軍]]を加えた四個軍をもって、満洲平野にてロシア軍主力を早めに殲滅する。のちに沿海州へ進撃し、ウラジオストクの攻略まで想定。海軍によるロシア太平洋艦隊の殲滅はヨーロッパより回航が予想される[[バルチック艦隊]]の到着までに行う。
:[[1904年]][[2月11日]][[大本営]]が設置された。このときは1903年の大本営条例の全部改正により[[軍事参議院]]が設置され、戦時においても初めて軍令機関が陸海軍並列対等となったことから、陸軍の[[参謀本部 (日本)|参謀総長]]、海軍の[[軍令部|海軍軍令部長]]の両名ともに[[幕僚長]]とされた。
;{{flagicon|RUS1883}} ロシア側 :陸軍は日本側の上陸を朝鮮半島南部と想定。[[鴨緑江]]付近に軍を集結させ、北上する日本軍を迎撃させる。迎撃戦で日本軍の前進を許した場合は、日本軍を引きつけながら順次[[ハルビン市|ハルビン]]まで後退し、[[後方連絡線|補給線]]の延びきった日本軍を殲滅するという戦略に変わる。海軍は[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|太平洋艦隊]]は無理に決戦をせず、ヨーロッパ方面からの増援を待つ。ただしロシア側ではこの時期の開戦を想定しておらず、旅順へ回航中だった戦艦[[オスリャービャ (戦艦)|オスリャービャ]]が間に合わなかったなど、準備は万全と言えるものではなかった。