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==経歴==
[[1931年]][[12月17日]]生まれ。[[京都府]][[亀岡市]]出身。[[同志社大学]][[経済学部]]卒業。同志社大学経済学部在学中に「同志社文学」<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000016636-00 同支社文学]</ref>を発行、[[実存主義]]の影響を受ける。卒業後、[[京都銀行]]に勤めながら詩作を続け、詩誌「ノッポとチビ」「ゲリラ」などを発行する。昭和40年代に盛んになった[[フォークソング]]運動では、[[高石友也]]、[[岡林信康]]らと交流、創作[[童歌|わらべうた]]などがフォークシンガーたちによって歌われ、〝オーラル派〝と呼ばれる<ref name=":0">{{Cite news|title=有馬敲さん死去 詩人|newspaper=東京新聞|date=2022-10-07|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/206907|access-date=2022-10-07|publisher=中日新聞東京本社|archive-url=http://web.archive.org/web/20221007052211/https://www.tokyo-np.co.jp/article/206907|archive-date=2022-10-07}}</ref>。[[1977年]]には京都銀行金閣寺支店長から[[タカラブネ]]に転職、[[1982年]]には役員となった。
この間、創作活動を続け、詩集『終りのはじまり』『迷路から』『白い闇』『よそ者の唄』『東西南北』『インドの記憶』『有馬敲詩集』、創作わらべうた集『らくちゅうらくがいらくがき』、合唱曲集『ちいさなちきゅう』、評論集『定住と移動』『京の夢・異郷の夢』『現場と芸術』、小説『芦生の森』など詩、小説、評論などを発表し、[[2000年]]からそれらを収録した『有馬敲集』全25巻([[編集工房ノア]]・[[未踏社]])を刊行中。詩集は英語など30数か国語に訳されている。
[[1995年]]日本モンゴル協会会長。また[[1990年]]から国際詩大会に参加し、詩朗読を提唱。世界各国で開催される大会で自作の詩を朗読。[[2002年]][[スペイン]]のグラン・カナリア国際詩人祭の国際詩人賞・アトランチダ賞を東洋人で初めて受賞した。その後、[[インド]]、モンゴル、[[ギリシャ]]などの国際詩賞も受賞。また、国内では、創作わらべうた「せみ」「かもつれっしゃ」などが国語教科書に採用されている<ref>以上、『20世紀日本人名事典』 (日外アソシエーツ編集発行 発売元紀伊国屋書店)および「関西詩人協会会報」(創刊号~第56号)参照</ref>。さらに[[2000年]]以降は生活語詩を提唱し、詩集『浮世京草子』(2002)『古都新生』(2009)などを出版するとともにアンソロジー『現代生活語詩集』(2007)ほか数冊を編集して、全国的な話題となっている。平成25年(2013年)度、京都市芸術振興賞受賞。<ref>[http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005680.html 京都市芸術振興賞 京都市芸術新人賞]</ref>
2022年9月24日、脳出血のため死去<ref name=":0" /><ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15436293.html|title=有馬敲さん死去|newspaper=朝日新聞|date=2022-10-05|accessdate=2022-10-05}}</ref>。90歳没。
==代表作・作品名==
*'''詩集'''
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