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== 生涯 ==
=== 将軍職就任 ===
永享8年(1436年)1月2日、第6代将軍・[[足利義教]]と側室[[日野重子]]の間の子として生まれた{{sfn|家永遵嗣|2014|p=6}}{{Sfn|石田|2008|p=114}}。義教にとっては次男であり、嫡子[[足利義勝]]の同母弟であった{{sfn|家永遵嗣|2014|p=6}}{{Sfn|石田|2008|p=114}}。幼名は三寅、のちに三春と呼ばれている{{Sfn|榎原|清水|2017|p=205}}。
 
嫡子義勝が政所執事・[[伊勢貞国]]の屋敷で育てられたのに対して、義政は母重子の従弟である[[烏丸資任]]の屋敷にて育てられた{{sfn|室町幕府全将軍・管領列伝|2018|p=236,284}}<ref name="ishihara">{{Cite book |和書 |author= 石原比伊呂 |year= 2015 |title= 室町時代の将軍家と天皇家 |chapter= 義政期の将軍家と天皇家 |publisher= 勉誠出版 |isbn= 978-4-585-22129-6 }}</ref>。そして、後継者の地位から外された他の兄弟と同じく慣例に従い、[[出家]]して然るべき京都の寺院に入寺し、僧侶として一生を終えるはずであった{{Sfn|榎原|清水|2017|p=205}}。
 
[[嘉吉]]元年([[1441年]])6月24日、父が[[嘉吉の乱]]で[[赤松満祐]]に殺害された後、兄義勝が第7代将軍として継いだ{{Sfn|榎原|清水|2017|p=205}}。
 
嘉吉3年([[1443年]])7月12日、義勝も早逝したため、義政は[[管領]][[畠山持国]]などの後見を得て、8歳でその後継者として選出された{{Sfn|榎原|清水|2017|p=205}}。
後継者と決まった直後より、三春は将軍家の家長たる呼称「[[室町殿]]」と呼ばれている{{Sfn|榎原|清水|2017|pp=205-206}}。