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羊歯石 (会話 | 投稿記録)
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[[浅野造船]]ドック部労働者時代に鶴見で関東大震災に遭遇し、朝鮮人暴動のデマに踊らされた民衆に対して身体を張ってなだめ、説得した[[大川常吉]]神奈川警察署鶴見分署長を目の当たりにして、社会的に大きな示唆を与えられたと感じ、のちの社会主義者として社会運動をする上で大きな教訓になったと述べている<ref>「わが人生」P31~32門司亮「わが人生」出版実行委員会</ref>。また、衆議院議員時代に[[鶴見朝鮮初級学校]]前身の鶴見朝鮮学院開設における土地取得保証人になった<ref>「神奈川のなかの朝鮮」P160明石書店</ref>。
 
衆議院議員当選間もない時期に、みすぼらしい格好で議員パスを使ってバスに乗ったところ、バス運転手に偽者と疑われて鶴見区上末吉駐在所(現 鶴見警察署上末吉交番)に連行されたことがある<ref>神奈川新聞<自由の声>欄 1978年3月12日 当時の駐在所警察官だった立柳万吉氏投稿</ref><ref>毎日新聞1993年6月3日朝刊第2面「追悼」</ref>
 
[[1966年]][[5月21日]]に鶴見区の[[臨港鶴見川橋]]付近で発生した殺人事件被害者の両親が始めた[[犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律|犯罪被害者補償法]]制定運動を支援し、1967年6月4日鶴見区内で開かれた殺人犯罪撲滅推進遺族会にも参加した<ref>衆議院会議録 第75回通常国会 法務委員会第29号 1975年7月2日 参照</ref>。なお、門司亮自身が横浜市会議員の門司真([[1965年]][[2月28日]]に[[食道ガン]]のため44歳で逝去<ref>1965年3月2日[[神奈川新聞]]第7面</ref>)を含む3人の子に戦後先立たれている(すべて成人後の他界)<ref>「わが人生」P191門司亮「わが人生」出版実行委員会</ref>。<ref>毎日新聞1993年6月3日朝刊第2面「追悼」</ref>
 
[[1993年]][[6月1日]]、心不全のため横浜市[[金沢区]]の病院で逝去<ref>読売新聞縮刷版平成5年6月P133</ref>。墓所は、横浜市営日野公園墓地<ref>株式会社日ノ出屋石材店管理</ref>。