「セントラル・アーツ」の版間の差分
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設立の際に岡田が黒澤に出した製作の条件は「一本の製作費3000万円、撮影日数二週間、オール[[ロケーション撮影|ロケーション]]」であった<ref name="キネ旬197812"/>。当時の日活ロマンポルノが製作費750万円で<ref name="映画の荒野101"/>、ロマンポルノ以前の日活の[[澤田幸弘]]たちが作っていた「日活ニューアクション」が3000万から3500万円で、セントラル・アーツと同程度となる<ref name="映画の荒野101"/>。当初はオールロケの条件だったが、やはり撮影所での撮影も必要なケースも出たようで、この際に[[東映東京撮影所]]を使わず、1981年の『[[探偵同盟]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、『[[プロハンター]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])から、[[日活撮影所]]で撮影を行った<ref>{{Cite book | 和書 | title = 日活100年史 | author = | publisher = [[日活]] | pages = 166 | year = 2014 | id = }}</ref>。黒澤は「当初から東映に来たからには東映の撮影所を使いたいと思っていましたが、ただ東映本番線の製作が優先されて、なかなかステージ空かない。だから日活撮影所を使うことになってしまった」と述べている<ref>[[#東映の軌跡]]334頁</ref>。[[東宝]]も百恵・友和映画などで日活撮影所を使ったが<ref name="キネ旬19800402">{{Cite journal|和書 |author = 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・[[黒井和男]] | title = 映画・トピック・ジャーナル 百恵・友和作品打ち切りの波紋| journal = [[キネマ旬報]] |issue = 1980年4月下旬号 |publisher = [[キネマ旬報社]] | pages = 172 }}</ref>、これは単に日活撮影所がレンタル料が安かったからであった<ref name="キネ旬19800402"/>。岡田は「東映内部で作ったらあのカラーは出せなかった」と述べている<ref name="活動屋人生213"/>。しかし東映本社からの反発も強かったことから、後に岡田が黒澤を説得して<ref>[[#活動屋人生]]、236頁</ref>、他作品と同様に東映東京撮影所を制作拠点とした。
▲[[1980年代]]後半はセントラル・アーツ所属となった[[仲村トオル]]の人気上昇にともない、『[[新宿純愛物語]]』([[1987年]])など仲村主演映画を次々と制作<ref name="秘宝201012"/>。また、テレビドラマ『[[あぶない刑事]]』のヒットで『[[あぶない刑事 (映画)|あぶない刑事映画版]]』などをヒットさせた。[[1989年]]には、[[長渕剛]]の初主演映画『[[オルゴール (映画)|オルゴール]]』を製作しヒットしたが、続く『[[ウォータームーン]]』は、内容が破綻しトラブルが頻発した失敗作として知られる<ref name="秘宝201012"/>。セントラル・アーツ作品は、時おり強烈な[[カリスマ]]性を帯びた時代の申し子を起用してヒットに結びつけることがある<ref name="秘宝201012"/>。
1989年からは多数の[[東映Vシネマ]]を製作している<ref name="秘宝201012"/>。
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