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[[ファイル:Takamatsu-Castle-Cityscape-M3511.jpg|thumb|[[2005年]](平成17年)当時の天守台]]
[[ファイル:Takamatsu castle17.jpg|thumb|[[2010年]](平成22年)当時、修復工事中の天守台]]
[[2003年]]夏、この地区が国の[[構造改革特区]]に申請されたことで、それまで「資料が写真一枚しかない」ことを理由に復元の拒否をしてきたとみられた文化庁が復元に対する考えを軟化させたため、その後、高松市は整備検討委員会を設置し、[[2010年]]の着工を目指して準備を進めているたが着工には至っていない。高松城天守に関する資料は明治17年([[1884年]])までに撮影された1枚の写真のみとされていたが、[[2005年]]秋頃、より鮮明な2枚目の高松城天守の古写真(1882年撮影)がイギリス・[[ケンブリッジ大学]]で発見された(上記写真参照)。このことが更なる資料発見の可能性や復元運動につながることが期待されている。一方、天守台の石垣が老朽化してきたため、その対策として[[2006年]]より石垣の解体修理工事が実施され玉藻廟も解体された<ref group="注釈">玉藻廟の鳥居と灯籠は2008年6月に[[屋島神社]]に移築された。</ref>。この修理作業は将来の天守復元も視野に入れ、石垣の内部構造の確認と石垣の積み直し工事が実施された<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20080524000088 石垣積み直しに反映、構造検証へ 四国新聞2008年5月24日]</ref>。
[[2009年]]3月、生駒家の家紋(波引車)を模した瓦が堀底から初出土した。天守に使用されていた可能性が高い。これまでは松平家のものしか出土しておらず、[[生駒氏#讃岐生駒家から矢島生駒家へ|生駒氏]]が築城した高松城、[[丸亀城]]、[[引田城]]の跡で[[家紋]]が入った[[瓦]]が出土するのは初めてである<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/culture/20090320000126 高松城跡から生駒家の紋瓦/初出土、天守に使用か 四国新聞2009年3月20日]</ref>。
内部構造復元に向けての資料発見に対し、高松市が3000万円の[[懸賞金]]導入を提供することになり、情報が検討さ求められている。<ref>[http://www.takamatsujyo.jp/info/539 高松城天守資料に懸賞金]</ref><ref>[https://www.ksb.co.jp/newsweb/index/5038 高松城復元へ「懸賞金」を検討]</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ38517MJ38PLXB014.html 香川)高松城天守閣復元、資料提供者に懸賞金制度を検討]</ref><ref>[http://mainichi.jp/articles/20160309/ddl/k37/040/336000c 資料提供に懸賞金 天守の内部図面や文献 /香川]</ref><ref>[https://www.shikoku-np.co.jp/bl/news/kagawa/evening-detail.aspx?kid=20160308000554 高松城天守、内部構造資料に懸賞金/復元目指し高松市が検討]</ref>。
また、NPO法人高松城を復元する市民の会が組織され、10万人を目標として署名活動が行われている。2008年1月現在8万を超える署名が集まっている。
=== 維持管理 ===
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