「三国街道」の版間の差分
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宿場の所在地において平成の大合併で消滅した自治体名を合わせて表記すること自体がWP:POV違反である |
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[[画像:FutaiChouseichi.jpg|thumb|240px|right|中央の道路が[[二居ダム]]脇を通過する三国街道([[国道17号]])<br/>写真下は宿場の湯がある二居宿]]
'''三国街道'''(みくにかいどう)は、[[中山道]]の高崎([[群馬県]][[高崎市
[[三国峠 (群馬県・新潟県)|三国峠]]は[[関東]]と[[越後]]を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されており、[[上杉謙信]]の関東遠征の際に利用された。主要街道としての'''三国街道'''は、近世([[江戸時代]])に[[参勤交代]]に利用されるようになってから重要視されるようになった。[[越後長岡藩|長岡藩]]、[[与板藩]]、[[村松藩]]などの諸[[大名]]や[[佐渡奉行]]、[[新潟港]]巡検の[[関東取締出役|関八州取締出役]]などがこの街道を利用した。また、当時の[[宿場]]には、渋川や湯沢をはじめ「三国峠越えの三宿」と称せられた三俣、二居、浅貝などがあった。
しかし、[[1902年]]([[明治]]42年)に[[鉄道]]([[信越本線]])が開通してからは、交通面は鉄道に依存し宿場町は衰微していくことになる。長岡から湯沢にかけては道も平坦で農耕地もあったため、ある程度の地方的交通需要があったようだが、三国峠を越える部分の交通量は極めて少ないものであった。
[[1953年]]([[昭和]]28年)、[[自動車]]の普及とともに長距離の貨物輸送の需要が増大、関東
現在三国街道の大部分が[[国道17号]]となっており、[[関越自動車道]]・[[上越線]]・[[上越新幹線]]と共に関東~新潟間の大動脈となっている。
==宿場==
#[[高崎宿]]([[群馬県]][[高崎市]])
#金古宿(群馬県高崎市
#渋川宿(群馬県[[渋川市]])
#金井宿(群馬県渋川市)
#北牧宿(群馬県渋川市
#横堀宿(群馬県渋川市
#中山宿(群馬県[[吾妻郡]][[高山村 (群馬県)|高山村]])
#塚原宿(群馬県[[利根郡]][[みなかみ町]]
#下新田宿(群馬県利根郡みなかみ町
#布施宿(群馬県利根郡みなかみ町
#今宿(群馬県利根郡みなかみ町
#須川宿(群馬県利根郡みなかみ町
#相俣宿(群馬県利根郡みなかみ町
#猿ヶ京宿(群馬県利根郡みなかみ町
#吹路宿(群馬県利根郡みなかみ町
#永井宿(群馬県利根郡みなかみ町
#浅貝宿([[新潟県]][[南魚沼郡]][[湯沢町]])
#二居宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
#[[三俣宿]](新潟県南魚沼郡湯沢町)
#湯沢宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
#関宿(新潟県[[南魚沼市]]
#塩沢宿(新潟県南魚沼市
#[[六日町宿]](新潟県南魚沼市
#五日町宿(新潟県南魚沼市
#浦佐宿(新潟県南魚沼市
#堀之内宿(新潟県[[魚沼市]]
#川口宿(新潟県[[長岡市]])
#妙見宿(新潟県長岡市)
#六日市宿(新潟県長岡市)
#長岡宿(新潟県長岡市)
#与板宿(新潟県長岡市
#地蔵堂宿(新潟県[[燕市]]
#関中島宿(新潟県燕市
#渡部宿(新潟県燕市
#寺泊宿(新潟県長岡市
==関連項目==
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