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[[岐阜県立加納高等学校]]を経て、[[1960年]]に[[東京大学]][[法学部]]を卒業後、[[経済産業省|通商産業省]]に入省。同期に、[[堺屋太一]]、[[熊野英昭]](元通産[[事務次官]])、[[高橋達直]]、吉田文毅([[特許庁長官]])、若林茂(官房[[審議官]]、旧[[ヤハギ]]社長)など。
 
[[日本貿易振興機構|ジェトロ]][[ニューヨーク]]勤務などを経て、[[1981年]]に名古屋通産局総務部長で退官。[[1986年]]の[[第38回衆議院議員総選挙]]に出馬し、初当選。以降、3回連続当選。[[1993年]]、自民党を離党して[[新生党]]、[[新進党]]の結党に参加。[[1996年]]の総選挙では[[野田聖子]]に敗北。[[1998年]]からは参議院に鞍替えし、一時期無所属となり、無所属のまま[[院内会派]]の[[民主党 (1996-)|民主党]][[新緑風会]]に入会するが、その後自民党に復党。現在2期目で、自民党では[[額賀派]]に所属した
 
[[2005年]]の[[郵政解散]]では、郵政民営化法案の採決で反対票を投じた野田が自民党籍を持ったまま無所属で立候補する意向を示したのに対して党本部から送られた[[刺客]]候補の[[佐藤ゆかり]]を真っ先に支援表明。党本部の意向に反して野田、さらには野田に同調した[[藤井孝男]]と当時県連会長の職にありながら造反に踏み切った[[古屋圭司]]も支援する方針を決めた岐阜県連と対立した。衆議院3回当選歴があるものの、参議院2回当選歴での入閣は、この論功行賞ともいわれる。