「改B3 (航空機)」の版間の差分
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[[1958年]](昭和33年)[[6月4日]]、第3研究所の開所式にて一般に公開された{{sfn|航空ファン|1958|p=27}}。実験場所には[[館山市|館山]]沖が選ばれ、1958年9月には、本実験に先駆けて空力特性や発進・着陸法のテストを目的としたダミーによる落下実験が行われた{{sfn|榑林宣|1960|p=94}}。[[1959年]](昭和34年)3月には機体の試作が完了し{{sfn|日本航空学会誌|1960|p=46}}、同年9月より飛行実験が試みられている。ただし、テレビ系統の故障や気象状況の影響を受けて同年度中の本実験は見送られている{{sfn|榑林宣|1960|p=94,95}}。
改B3の試作以後も、「無人機の研究」は[[ターボジェットエンジン]]装備の「改B-010」の設計試作などへと発展し{{sfn|榑林宣|1960|p=95}}、最終的には[[1962年]](昭和37年)7月に[[北海道]]で行われた、[[液体燃料ロケット|液体燃料ロケットエンジン]]搭載の「B-4」の飛行成功によって終了している{{sfn|50年史編さん・刊行作業部会編|2002|p=271,292}}<ref>{{Cite book |editor = John W. R. Taylor |title = [[ジェーン年鑑#Air & Space|JANE'S ALL THE WORLD'S AIRCRAFT]] 1964-65 |publisher = Sampson Low, Marston & Co Ltd., |year = 1964 |page = 342}}</ref>。
== 機体 ==
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操縦は地上指揮車の操縦桿を用いて、昇降舵と翼端舵を操作する形で行われる{{sfn|榑林宣|1960|p=94}}。テレビカメラの前方視界映像はテレビ送信器を、機体の[[ピッチング|ピッチ角]]および[[ローリング|ロール角]]、速度や高度はテレメタリング機構を介して{{sfn|日本航空学会誌|1960|p=46}}{{sfn|榑林宣|1960|p=94,95}}それぞれ指揮車の操縦席前面と計器板に伝えられる{{sfn|榑林宣|1960|p=94}}。テレビ、テレメータ、操縦にはそれぞれ別の無線系統があてがわれている{{sfn|日本航空学会誌|1960|p=46}}。
発進は、ヘリコプターに懸吊された状態で離陸した後に空中で切り離し、その後エンジンを始動させる形式が取られていたが、カタパルトや[[JATO]]の使用しての離陸も想定されていた{{sfn|榑林宣|1960|p=94}}。
== 諸元 ==
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