「グレコ・バクトリア王国」の版間の差分
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|先代1 = セレウコス朝
|次代1 = 大月氏
|次代2 = インド・グリーク朝
|位置画像
|位置画像説明 = グレコ・バクトリア王国の最大領域
|公用語 = [[古代ギリシア語]]
|首都 = [[バクトラ]](ザリアスパ)
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|元首等年代始1 = [[紀元前256年|前256年]]
|元首等年代終1 = [[紀元前240年|前240年]]
|元首等氏名1 = [[ディオドトス1世]]
|元首等年代始2 =
|元首等年代終2 = [[紀元前230年|前230年]]
|元首等氏名2 = [[ディオドトス2世]]
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|元首等年代終4 = [[紀元前145年|前145年]]
|元首等氏名4 = [[エウクラティデス1世]]
|元首等年代始5 =
|元首等年代終5 = [[紀元前130年|前130年]]
|元首等氏名5 = [[ヘリオクレス1世]](最後)
|変遷1 = [[セレウコス朝]]から独立
|変遷年月日1 =
|変遷2 =
|変遷年月日2 =
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|注記 =
}}
[[Image:Bactria-320BCE.png|right|thumb|350px|バクトリアの位置([[紀元前320年]])]]
[[File:Greco-BactrianKingdomMap.jpg|thumb|350px|紀元前170年頃のグレコ・バクトリア王国の最大版図]]
'''グレコ・バクトリア王国'''([[紀元前255年]]頃 - [[紀元前130年]]頃)
== 歴史 ==
=== 建国以前 ===
[[バクトリア]]地方には
さらにその後、[[紀元前328年]]に[[マケドニア王国]]の[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]によって征服された。大王の死後は[[セレウコス朝]]シリアの一部となり従軍ギリシア人の一部が住み続けた。
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インドに進出した[[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]](在位:[[紀元前200年]] - [[紀元前180年]])は、[[ヒンドゥークシュ山脈]]を越えて南下、[[ガンダーラ]]を占拠した。さらに北西インドの侵略を続け、[[アラコシア]]、[[ゲドロシア]]、[[カチャワール半島]]まで支配下とした。
デメトリオス1世に続いて、その弟[[アンティマコス1世]](在位:[[紀元前180年]] - [[紀元前171年]])の治世に入ると、インドにおける[[マウリヤ朝]]の衰勢に乗じて更にインド方面へ勢力を拡大し、[[タキシラ|タクシラ]]を占領して[[ガンダーラ]]地方を征服した。しかし[[紀元前171年]]頃、 アンティマコス1世は武将の一人である[[エウクラティデス1世|エウクラティデス]]によって殺される。ほどなくして、グレコ・バクトリア王国はバクトリアに残存する集団と北西インドの集団([[インド・グリーク朝]])に分裂した。
=== 王国の衰退とバクトリア地方の放棄 ===
エウクラティデス1世([[紀元前171年]] - [[紀元前145年]]頃)は王位を奪ってからというもの、多くの戦争を遂行したため、グレコ・バクトリアの兵力と国力を衰退させていった。しかし、そんな状況下でもエウクラティデス1世はインド・グリーク朝の[[デメトリオス2世 (インド・グリーク王)|デメトリオス2世]]を倒し、西北インドをふたたび支配下に置くことに成功する。
[[紀元前145年]]頃、エウクラティデス1世がインド遠征から帰還する際、王国の共同統治者にしておいた息子の[[ヘリオクレス1世|ヘリオクレス]]<ref>ポンペイウス・トログスの『ピリッポス史』(地中海世界史の一部)では、「王国の共同統治者にしておいた息子によって殺された」としか記されておらず、ヘリオクレスかどうかはわからない。</ref>によって殺され、ヘリオクレスがグレコ・バクトリア王国の君主となった。しかし、ヘリオクレスの治世は長く続かず、[[紀元前140年]]
== 習俗・文化 ==
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[[Image:DiodotusGoldCoin.jpg|right|thumb|220px|ディオドトス1世の金貨、BC250年頃]]
[[File:CapitalSharp.jpg|thumb|right|200px|[[アイ・ハヌム遺跡]]出土のコリント式の柱頭]]
=== 商業 ===
グレコ・バクトリアは商業と手工業の中心で、商業の発展は多数発見された[[コイン]]でうかがい知ることができる。その絶頂期にあたるのが[[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]](在位:[[紀元前190年|前190年]] - [[紀元前167年|前167年]])の時代であり、当時のバクトリアには南は[[古代インド|インド]]、東は[[中国]]、西は[[パルティア]],[[プトレマイオス朝|エジプト]],[[古代ローマ|ローマ]]の商人が集まり、各地のあらゆる商品が取り引きされた。また、当時から絹は西方文明地域の支配階級にとって不可欠な物資となっており、[[張騫]]が[[西域]]に至るより以前からも[[シルクロード]]交易が行われていたことになる。主に取り扱われる商品としては北方の皮革・毛織物,インドの香辛料,甘味料,金銀,宝石,貴石,ガラス,薬品,金属製品,象牙などであり、その商品は一旦バクトリアに集められ、取引された後に各地へ運ばれた。つまりバクトリアは中継市場として機能していたのである。同時代の世界貿易の中心地として、エジプトの[[アレキサンドリア]]、西北インドの[[サガーラ]]が挙げられる。
=== コイン ===
グレコ・バクトリアのコインの表側には当時の王の横顔が、裏側には[[ゼウス]],[[ポセイドン]],[[アポロン]],[[アルテミス]]などのギリシアの神々や、[[ヘラクレス]]などの英雄の像が刻まれていた。
=== 神話 ===
グレコ・バクトリアの神話は、もともとの古典古代の[[ギリシャ神話]]と、東方のイラン・インド神話が融合したものとなり、たとえばヘラクレスは[[ウルスラグナ|ウェルトラグ]]と融合し、アポロンは[[ミスラ|ミトラ]]と融合して両神話の神々は同一のものとされた。
=== 建築 ===
ギリシア文化を生かして石材が用いられ、新しい都市は原則として四角形または正方形につくられ、四角形の塔をともなう城壁に取り囲まれていた。また、豪華な植物文入りの[[柱頭 (建築)|柱頭]]をもつ[[コリント式]]円柱が好まれた。
== 遺跡 ==
[[アイ・ハヌム遺跡]] - タジキスタンとの国境近くにあるアフガニスタン北部で発見されたバクトリア有力都市の遺跡。かつてのアレクサンドリア・オクシアナに比定される。
== 歴代王 ==
#[[ディオドトス1世]]([[紀元前250年]]頃 - [[紀元前240年]]頃)
#[[ディオドトス2世]](
#[[エウテュデモス1世]](
#[[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]](
#*[[エウテュデモス2世]]([[紀元前180年]]代)…デメトリオス1世の子
#[[アンティマコス1世]]([[紀元前185年]]頃 - [[紀元前171年]])…デメトリオス1世の弟
#[[エウクラティデス1世]](
#[[プラトン (バクトリア王)|プラトン]](
#*[[エウクラティデス2世]](
#[[ヘリオクレス1世]](
== 参考文献 ==
*[[前田耕作]]『バクトリア王国の興亡
*前田耕作『アジアの原像
*[[岩村忍]]『文明の十字路
*[[護雅夫]]・[[岡田英弘]]編『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』([[山川出版社]]、
*
*[[ストラボン]]
*[[ポリュビオス]]
== 脚注 ==
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*[[バクトリア]]
*[[バクトリア語]]
*[[バーミヤーン]]
*[[ヘレニズム]]
*[[アルフレッド・フーシェ]]
*[[加藤九祚]]・[[林俊雄]]
*[[仏教のシルクロード伝播]]
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