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→‎概要: 1935年 塩小路橋流失
 
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[[平安時代]]に開通したが、[[応仁の乱]]以降衰退し、[[慶長]]年間に[[油小路通]]‐[[大宮通]]間が再開発されている<ref name="京都叢書17巻">野間光辰編 『新修京都叢書』第17巻、臨川書店、1967年、308頁。</ref>。近代まで周辺は市街地のはずれの一村であったが、[[1877年]]([[明治]]10年)に[[東海道本線|鉄道]]が敷かれ[[京都駅]]が置かれると、大きく発展を見せるようになる。駅の拡張や路線の複線化に伴い、[[1914年]]([[大正]]3年)には通りの大拡築が行われ、沿道は一変した<ref name="京都叢書17巻"/>。
 
[[1935年]](昭和10年)[[6月29日]]に発生した[[鴨川 (淀川水系)#昭和の鴨川水害|鴨川京都大水害]]では、塩小路橋が流される被害が生じた<ref>三条大橋も流失、水浸しの京都『大阪毎日新聞』昭和10年6月30日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p207 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
 
現在も[[河原町通]]から[[堀川通]]までは京都駅烏丸口に発着する[[バス (交通機関)|バス]]の往来が激しく、商業施設やホテル、公共施設が多く立地しているが、河原町通から東と堀川通から西は道幅が狭くなる。[[東大路通]]から[[本町通 (京都市)|本町通]]までの区間、及び[[岩上通]]から[[大宮通]]までの区間は西行きの一方通行である。
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{{DEFAULTSORT:しおこうしとおり}}
[[Category:京都市の道路]]
[[Category:京都駅]]
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