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{{別人|x1=第15・16代神奈川県鎌倉市長を務めた|中西功 (鎌倉市長)}}
{{otheruses|政治家|サッカー選手・指導者|中西功 (サッカー選手)}}
{{出典の明記|date=2016年3月19日 (土) 04:31 (UTC)|ソートキー=人1973年没}}
{{政治家
|各国語表記 = なかにし つとむこう
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|国旗 = 日本
|職名 = [[参議院|参議院議員]]
|選挙区 = [[全国区制|全国区]]
|当選回数 = 1回
|就任日 = [[1947年]][[5月3日]]
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}}
'''中西 功'''(なかにし つとむこう<ref name="kiroku_1963">{{Cite book|和書|title=昭和38年 地方選挙の記録|year=1964|publisher=神奈川県選挙管理委員会|page=29,32}}</ref>、[[1910年]]明治43年[[9月18日]] - [[1973年]]昭和48年[[8月18日]])は、[[日本]]の[[共産主義]]運動の活動家・中国問題の政治評論家。元[[日本共産党]][[参議院|参議院議員]]<ref name=":0">{{Cite Kotobank |word=中西 功 |encyclopedia=20世紀日本人名事典 |accessdate=2022-05-16}}</ref>
 
== 経歴 ==
[[三重県]][[多気郡]][[西外城田村]]土羽に生まれる<ref name=":0" />。三重県で学んだ後、[[1929年]]、県費生として[[上海市|上海]]の[[東亜同文書院]]に入る。学生運動を通じ、日支闘争同盟・中国共産主義青年同盟などに参加し、[[帝国主義]]の活動を行うが、[[1930年]]に検挙されている<ref name=":0" />
 
[[1932年]]の[[上海クーデター]]を受けて帰国し国内活動を行うが[[プロレタリア科学研究所]]で中国研究に従事する<ref name=":0" />。[[1934年]]に[[満鉄調査部]]に入り[[大連市|大連]]に赴き、調査執筆活動を行う<ref name=":0" />。公然活動としては満鉄の調査業務として「支那抗戦力調査委員会」の主要メンバーとなり、中国の抗戦力を高く評価し日本の軍事活動を牽制する報告をまとめた。非公然活動では[[西里龍夫]]らと共に、[[中国共産党]]と通じ、[[毛沢東]]ら中共指導部へ情報を提供し、[[反戦運動|反戦活動]]、抗日活動などを援助していた。
 
[[1942年]]、[[ゾルゲ事件]]関連で「中共謀報団」として検挙され[[巣鴨拘置所]]に収容される。その後[[治安維持法]]違反及び[[外患罪]]で[[起訴]]され、[[日本における死刑|死刑]][[求刑]]される。[[1945年]]9月無期懲役獄中で、中国共産党に関する大量判決原稿受け執筆すが、占領軍。こ釈放指令により1945年10月釈放原稿は戦後『中国共産党史』などとして一部が出版された<ref name=":0" /><ref>中西功『中国革命と毛沢東思想』プロローグ-中国革命と私</ref>
 
[[1945年]]9月無期懲役の判決を受けるが、占領軍の釈放指令により1945年10月釈放される。
[[1947年]]の[[第1回参議院議員通常選挙]]に[[日本共産党]]から立候補し当選。しかし[[1950年]]1月、日本共産党の路線論争の中で党中央([[所感派]])と対立し党を除名される。当初は「[[団結派]]」を結成し反論を行なっていたが、後に参議院議員を辞職する。その後復党し、1963年まで衆院選[[神奈川県第2区 (中選挙区)|旧神奈川2区]]に出馬したが、返り咲きはならなかった。
 
[[1947年]]の[[第1回参議院議員通常選挙]]に[[日本共産党]]から立候補し当選<ref name=":0" />。しかし[[1950年]]1月、日本共産党の路線論争の中で党中央([[所感派]])と対立し党を除名される。当初は「[[団結派]]」を結成し反論を行なっていたが、後に参議院議員を辞職する。その後復党し、1963年まで衆院選[[神奈川県第2区 (中選挙区)|旧神奈川2区]]に出馬したが、返り咲きはならなかった。1963年の[[神奈川県知事]]選挙にも落選した<ref name="kiroku_1963"/>
 
実弟の[[中西篤]]・[[中西三洋]]・[[中西五州]]も社会活動家。環境リスク学の研究者で[[文化功労者]]の[[中西準子]]は長女にあたる。
 
== 主な著書 ==
*『中国革命と中国共産党上([[人民社]]、1946年)
*『中国共産党史』([[北斗書院]]、1946年)
*『民主主義日本の道標』
*『ソヴェート革命時代』(北斗書院、1946年)
*『中国革命と毛沢東思想』
*『民主主義日本の道標』([[川口書店]]、1946年)
*『死の壁の中から 妻への手紙』
*『民主主義と社會主義のために : 平和と獨立』([[宮原書院]]、1948年)
*『戦後民主変革期の諸問題』
*『社會民主主義と新民主主義』([[伊藤書店]]、1948年)
*『現代中国の政治』
*『日本ファシズムをめぐる理論的諸問題』([[潮流社]]、1949年)
*『中国革命の嵐の中で』
*『中国革命と毛沢東思想:中国革命史の再検討』([[青木書店]]、1969年)
*『死の壁の中から 妻への手紙』([[岩波書店]]、1971年)
*『戦後民主変革期の諸問題:一九四五年十月-一九四六年六月の政治展望』([[校倉書房]]、1972年)
*『現代中国の政治』(青木書店、1974年)
*『中国革命の嵐の中で』(青木書店、1974年)
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 外部リンク ==
* {{Cite journal|和書|author=福本勝清 |title=中西功と中国農村社会論 |url=https://hdl.handle.net/10291/5133 |journal=明治大学教養論集 |ISSN=0389-6005 |publisher=明治大学教養論集刊行会 |year=2000 |month=01 |volume=329 |pages=59-100 |naid=120001441230 |access-date=2022-06-06}}
* {{Kotobank}}
 
{{旧全国区選出参議院議員}}
{{Japan-politician-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:なかにし つとむこう}}
[[Category:全国区選出の参議院議員]]
[[Category:日本共産党の参議院議員]]
[[Category:昭和時代の参議院議員]]
[[Category:神奈川県知事選挙の立候補経験者]]
[[Category:ゾルゲ事件の人物]]
[[Category:満鉄調査部の人物]]
[[Category:三重県出身の人物]]
[[Category:東亜同文書院大学出身の人物]]
[[Category:1910年生]]
[[Category:1973年没]]