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{{Infobox baseball player
| 選手名
| 所属球団
| 役職
| 背番号
|
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| 国籍
| 出身地
| 生年月日
| 身長
| 体重
| 利き腕
| 打席
| 守備位置
| プロ入り年度
| ドラフト順位
| 初出場
| 最終出場
| 経歴
* [[横浜市立横浜商業高等学校]]
* [[読売ジャイアンツ]] (2006 - 2018)
| 経歴補足題
| 経歴補足
* 読売ジャイアンツ (2020 - )
| 代表チーム
▲|WBC = [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年]]、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|2013年]]
}}
{{MedalTableTop}}
{{MedalCountry|{{JPN}}}}
{{MedalCompetition|[[ワールド・ベースボール・クラシック]]}}
{{MedalGold|[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009]]|
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'''山口 鉄也'''(やまぐち てつや、[[1983年]][[11月11日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]]、左投左打)、[[プロ野球コーチ]]。▼
▲'''山口 鉄也'''(やまぐち てつや、[[1983年]][[11月11日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。
現役時代は[[読売ジャイアンツ]]に所属し、[[セントラル・リーグ]][[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を受賞。NPB最多タイ記録となる[[最優秀中継ぎ投手]]を3回獲得している。{{by|2014年}}にNPB史上初となる200[[ホールド]]を達成。2008年から2016年までの9年連続60登板はプロ野球記録であり、この9年で5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献した。
== 経歴 ==
===
横浜市立池上小学校<ref>{{Cite web
[[横浜市立横浜商業高等学校|横浜商業高校]]3年夏にはエースとして[[全国高等学校野球選手権神奈川大会]]ベスト8に進出。高校卒業後は[[国士舘大学]]に進学する意向だったが、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]のスカウトから誘いを受け、入団テストに合格しマイナー契約を結んだ<ref name="nikkan181116">{{Cite web
=== ダイヤモンドバックス傘下時代 ===
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{{by|2007年}}に二軍で5試合に登板し無失点と好投を続け、4月23日に支配下登録。29日に一軍初登板、1回無失点に抑えた。巨人で育成選手から支配下選手登録された選手は[[松本哲也 (野球)|松本哲也]]に次いで2人目であり、松本はこの時点では出場していなかった為、巨人における育成枠での入団選手として初の一軍公式戦出場選手となった。5月9日の[[阪神タイガース]]戦に4番手として登板し初勝利。育成枠出身選手で初の勝利投手になった。試合後のヒーローインタビューでは、殊勲打を放った[[二岡智宏]]に「ありがとうございます」と感謝を述べた。その後も[[林昌範]]の故障で空いた左の中継ぎを一人で担うなど孤軍奮闘し、防御率3.91と安定した投球とは言えなかったが32試合に登板した。[[2007年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ第2ステージ]]では第2戦に登板。[[西村健太朗]]の後を受け7回1死から登板し、2/3を無失点だったものの[[谷繁元信]]に適時打を打たれ西村の出したランナーを返した。
{{by|2008年}}は[[尾花高夫]]投手コーチから左の[[リリーフ#セットアッパー|セットアッパー]]として期待をかけられ、春季キャンプでフォーム改造に取り組む<ref name=Number>[http://number.bunshun.jp/articles/-/10562 240万円の新人王候補。山口鉄也の成り上がり。] - Number Web(2008年11月6日)</ref>。自身初の開幕一軍入りを果たすと、シーズン序盤から先発陣が苦戦する中、[[越智大祐]]や[[西村健太朗]]とともにブルペンを支える。9月12日のヤクルト戦で巨人史上初となる全て中継ぎ登板での2桁勝利を達成<ref>[
{{by|2009年}}は開幕前の3月に開催された[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]に選出された<ref>[
シーズンでは、前年同様に中継ぎとして登板を重ね、6連投も経験。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]でファン投票でセ・リーグ中継ぎ部門1位となり、育成枠出身選手初の球宴出場。また、7月4日の中日戦で敗戦投手となるまで前年からの14連勝および83試合連続で登板時の不敗神話を維持<ref>[
{{by|2010年}}は[[原辰徳]]監督により先発投手に転向<ref>[
{{by|2011年}}はクルーンの退団と代わって抑え候補だった新外国人[[ジョナサン・アルバラデホ]]と越智の不振もあり、開幕から抑えとして起用されるものの、4月19日の阪神戦で救援に失敗し、直後の23日に左胸の張りで登録抹消される。復帰後はセットアッパーとして起用されることで安定感を取り戻した。10月22日の最終戦にも登板して4年連続の60試合以上の登板、5勝1敗2セーブ、防御率1.75、チームトップの25ホールドと好成績を収めた。
{{by|2012年}}は[[久保裕也 (野球)|久保裕也]]が右肘靭帯再建手術、[[越智大祐]]が[[黄色靭帯骨化症]]で離脱する中、開幕から無失点を続け、6月3日の[[オリックス・バファローズ]]戦で1998年に[[佐々木主浩]]が記録した開幕24試合連続無失点のセ・リーグ記録に並んだ<ref>[
オフの契約更改では、入団時の年俸240万円から100倍の2億4000万円となった。
また12月4日に[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]][[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]候補選手34人が発表され<ref>[https://npb.jp/japan/news/20121204.html 2013WBC日本代表候補選手発表] 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧</ref>候補入りした<ref>[https://npb.jp/wbc/2013/roster_c.html 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手] 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧</ref>。
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{{by|2013年}}2月20日に第3回WBC日本代表メンバー28人が発表され<ref>[https://npb.jp/japan/news/20130220.html 2013WBC日本代表28選手の発表] 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧</ref>代表入りした<ref>[http://web.worldbaseballclassic.com/wbc/2013/rosters/index.jsp?team=usa&season=2013 2013 Tournament Roster]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }} WBC公式サイト ''英語'' 2015年4月2日閲覧</ref><ref>[https://npb.jp/wbc/2013/roster_pix.html 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー] 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧</ref><ref>[https://www.giants.jp/G/gnews/news_396798.html WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手] - 読売巨人軍公式サイト(2013年2月20日)</ref>。同大会ではチーム最多の5試合に登板した。
シーズンでは、4月20日に154ホールドを記録して、[[浅尾拓也]]を抜いて歴代単独1位となり、その際には生涯中継ぎ宣言をした<ref>[https://web.archive.org/web/20130421074406/http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130421-OHT1T00025.htm 山口、日本新154ホールド!「本当にすごい幸せ」] - スポーツ報知(2013年4月21日)</ref>。
6月5日の対日本ハム戦で史上初の通算200ホールドポイント、さらに160ホールドと記録を更新した。この年は自身が持つ記録をさらに更新する6年連続60試合登板をクリアし、42ホールドポイント(4勝38ホールド)で自身3度目の最優秀中継ぎ投手のタイトルを、同僚の[[スコット・マシソン]]と分け合った。しかしその一方で、約2年ぶりとなる1試合3失点を2度記録し、敗戦数(3敗)と与四球数(17)は自己ワースト・ワーストタイであった。
{{by|2014年}}はシーズン前の体調不良から調整が遅れ、開幕から不調が続いたが5月からは復調し、5月の成績は防御率0.00・2勝1セーブを記録。6月6日の交流戦・西武ライオンズ戦でプロ野球史上初の偉業となる通算200ホールドを達成し、連盟表彰を受けることが決まった(山口がきっかけとなって、200ホールドにも表彰規定ができた<ref>{{Cite web
{{by|2015年}}は接戦で打たれるなど5敗を喫したが8年連続60試合登板を達成した<ref>{{Cite web
{{by|2016年}}は9年連続60試合登板を達成したが<ref>{{Cite web
{{by|2017年}}は故障や不振もあり登録抹消が重なり18試合の登板にとどまり、連続60試合登板が途切れた。
{{by|2018年}}は左肩の故障などもあり、育成登録だった2006年以来となる一軍登板なしに終わり、二軍でも防御率4.96と不本意な成績だった。10月5日に現役引退を表明し、記者会見ではやり切ったと完全燃焼の言葉や、コーチ、かつて師事した[[工藤公康]]、先輩の阿部らに感謝の言葉を述べた。引退会見終了後には、[[坂本勇人]]、[[内海哲也]]、[[長野久義]]ら辛苦を共にしたチームメイトに加え、また既に引退表明していた[[杉内俊哉]]と村田もサプライズ登場した<ref>{{Cite web
=== 引退後 ===
{{by|2019年}}1月1日、ジャイアンツアカデミーのコーチに就任した<ref>{{Cite web
{{by|2020年}}は読売ジャイアンツの三軍投手コーチを務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/announcement/2020/managers_g.html |title=2020年度 監督・コーチ一覧(読売ジャイアンツ) {{!}} 2020年度公示 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2022-01-15}}</ref>。
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== 選手としての特徴 ==
[[画像:Giants yamaguchi 47.jpg|thumb|right|2013年]]
リーチの長い腕と[[サイドスロー|サイド]]気味の[[スリークォーター]]から投げる平均球速約144km/h<ref>{{Cite book |和書 |author= |year=2012 |title=2012プロ野球オール写真選手名鑑 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |pages=129頁 |id=ISBN 978-4-905411-04-8}}</ref>{{要出典|範囲=、最速153km/h|date=2017年6月}}の[[直球]]と[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]、[[速球#ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[チェンジアップ]]を武器とする左腕<ref>{{Cite web
打者から球の出所が見にくいと言われるフォームで内角を突く一方{{R|Number}}、通算与四球率2.00と制球力も高い。[[森繁和]]は「右打者の内角に食い込むスライダーは、[[岩瀬仁紀]]より上」と絶賛している<ref>『[[週刊ベースボール]]』2012年7月30日号 森繁和の投手考察第16回</ref>。
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== 人物・エピソード ==
* 愛称は 「'''ぐっさん'''」<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/13130 先発転向の巨人・山口鉄也。成否を握る“マイナス思考”。(1/2)] - Number Web(2010年10月25日)</ref>。
* 入団テストを受験する際、投手力の弱いチームを狙って子供の頃にファンだった[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]と、2005年に発足したばかりの[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]を選んで受験したものの、いずれも不合格となった。しかし山口は、「どうせなら最後は強いところを受けよう」と“記念受験”感覚で巨人の入団テストを受験したところ、当時二軍監督だった[[吉村禎章]]が「[[スライダー (球種)|スライダー]]を伸ばせば一軍の左の中継ぎとして使える」と[[原辰徳]]に推薦したことが決め手となり、合格して<ref>[[バース・デイ]] [
* [[スポーツ報知]]にて、2005年ドラフトの同期入団で2008年に揃って飛躍し、プライベートでも仲が良い[[越智大祐]]とのコンビ名を募集され、「'''風神雷神'''」が採用された。
* 2012年頃から2014年にかけて[[スコット・マシソン]]の後を投げ、[[西村健太朗]]へつなぐ勝利の方程式を築き、ネットを中心に「'''スコット鉄太朗'''」と呼ばれたが、あまり一般には浸透しなかった<ref>[
* [[マイク・シュルツ]]とは山口がアメリカ・ルーキーリーグ時代に面識があり、2008年に6年ぶりに再会した。同じく[[ジェイミー・デントナ]]とも面識があり、2009年に再会。両者とも試合前の練習中に談笑する姿が目撃されている。
* [[工藤公康]]を尊敬しており、[[2006年]]オフには工藤のアリゾナ自主トレに帯同し、プロとしての私生活やトレーニングの大切さを一から指導を受け、才能を開花させるきっかけをつかんだ。その後工藤が横浜へ移籍したことから、2008年からは工藤が背負っていた背番号47を背負っている。
* 2015年12月7日、[[ランドセル]]を寄付する活動を行う[[京都市]]内の[[児童養護施設]]を訪問し、質問コーナーで「[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]に興味がありますか」と児童から質問され「興味はありません。僕は生涯ジャイアンツで頑張ります」と即答した。なお、山口自身も闘病中の子どもを支援する活動などを積極的に行っている<ref>[https://web.archive.org/web/20151209073318/http://www.hochi.co.jp/giants/20151207-OHT1T50159.html 【巨人】山口が「生涯巨人」を約束「メジャーに興味ありません」] - 2015年12月8日 [[スポーツ報知]]</ref>。
== 詳細情報 ==
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* [[月間MVP_(日本プロ野球)|月間MVP]]:1回(2012年7月)
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回(2012年度第4回)
* [[日本プロスポーツ大賞]] 新人賞:1回(2008年)<ref>{{Cite web
* [[ヤナセ]]・ジャイアンツMVP賞:1回(2009年)<ref>{{Cite news |url=https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/334665.html |title=ヤナセ、「2009 ヤナセ・ジャイアンツMVP賞」 |newspaper=Car Watch |date=2009-12-09 |accessdate=2018-02-28}}</ref>
226 ⟶ 225行目:
* 初ホールド:2007年8月29日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦([[札幌ドーム]])、8回表一死に2番手で救援登板、1/3回無失点
* 初セーブ:2008年4月22日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]3回戦([[宇都宮清原球場]])、8回表二死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
* 初先発:2010年4月3日、対[[広島東洋カープ]]2回戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])、3回1/3を4失点で勝敗つかず
* 初先発勝利:2010年4月10日、対[[中日ドラゴンズ]]2回戦([[東京ドーム]])、7回2/3を3失点
;; 打撃記録
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; 節目の記録
* 100ホールド:2011年9月6日、対中日ドラゴンズ13回戦([[ナゴヤドーム]])、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点
* 200ホールド:2014年6月6日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(東京ドーム)、9回表一死に2番手で救援登板、1回1/3を無失点 ※NPB史上初{{Efn2|山口が達成したことから200ホールド(以後50ホールドごと)が連盟表彰の対象になった<ref>{{Cite web
* 500試合登板:2014年9月24日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に2番手で救援登板、1回1失点 ※史上94人目
* 250ホールド:2015年9月26日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(東京ドーム)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点 ※NPB史上初
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; その他の記録
* 9年連続60試合登板(2008年 - 2016年)※NPB記録
* [[日本シリーズ]]通算ホールド:7 ※[[リバン・モイネロ]]と並び歴代1位タイ
* [[クライマックスシリーズ]]通算登板試合:24 ※歴代1位
* クライマックスシリーズ通算ホールド:8 ※歴代1位
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:5回(2009年、2012年 - 2015年)
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* '''99'''(2007年途中 - 同年終了)
* '''47'''(2008年 - 2018年)
** '''39'''([[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年WBC]])
* '''91'''(2019年秋季キャンプ
* '''71'''(2021年 - )
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{{MLBstats|mlb=467686|espn=|br=|fangraphs=|cube=tetsuya-yamaguchi|brm=yamagu001tet}}
{{読売ジャイアンツの選手・スタッフ}}
{{Navboxes|title=業績
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[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:在アメリカ合衆国日本人の野球選手]]
[[Category:神奈川県出身のスポーツ選手]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1983年生]]
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