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{{出典の明記|date=2014年6月17日 (火) 00:30 (UTC)|ソートキー=人2004年没}}
[[File:Nyonin-Geijutsu-1930-January-1.jpg|thumb|200px|松田解子]]
'''松田 解子'''(まつだ ときこ、本名:大沼 ハナ、[[1905年]][[明治]]38年[[7月18日]] - [[2004年]][[平成]]16年[[12月26日]])は、[[日本]][[女流]][[小説家]]である。[[秋田県]][[仙北郡]][[荒川村 (秋田県)|荒川村]]出身。長男記録映画作家の[[大沼鉄郎]]がいる
 
==人物・来歴==
[[三菱マテリアル|三菱鉱山]]経営の[[荒川鉱山]]に育った彼女松田は、大盛小学校を卒業すると鉱山の事務所でタイピストなどをしながら文学に触れていた。1923年に[[秋田師範学校|秋田女子師範]](本科第二部、一年制)に入学、卒業後母校の大盛小学校に赴任する。1926年に職を辞して上京した。上京後、労働運動に参加し、その中で[[大沼渉]]と結婚する。結婚、子育てのなかの体験が初期の作品のなかに生かされている。1928年、[[読売新聞]]の女流新人短編募集に応じた「産む」が入選し、1929年には『[[女人芸術]]』に「乳を売る」が掲載され。またこの年、同誌が募集した「全女性進出行進曲」にも入選し、[[山田耕筰]]の作曲でレコードにも吹きこまれた。戦後[[新日本文学会]]に参加し、その後[[日本民主主義文学会]]にいたるまで、1966年から、自分の母親の生涯に材をとった長編『おりん口伝』の連載を始める。松田もこの作品で[[田村俊子賞]]、[[多喜二・百合子賞]]を受賞する。その後、松田は『おりん母子伝』『桃割れのタイピスト』とつづく三部作で、母と自らの生活をとおして20世紀初頭の日本の資本主義の発展の一側面と、その中での社会革新の動きを書いた。
 
[[2004年]]、死去。{{没年齢|1905|7|18|2004|12|26}}。
 
==著書==
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*『辛抱づよい者へ 詩集』同人社書店 1935 のち不二出版 
*『女性線 長篇小説』竹村書房 1937
*『子供とともに』扶桑閣 1938 のち[[大空社]] 
*『愚かしい饗宴』[[白水社]] 1940
*『女の話題』モナス 1940
*『さすらひの森 書きおろし長篇小説』六芸社 新鋭作家叢書 1940
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*『海の情熱 長篇小説』興亜文化協会 1942
*『農女の記』農山漁村出版所 1944
*『おりん口伝』正続 [[新日本出版社]] 1966-68 のち文庫 
*『坑内の娘 松田解子詩集』秋津書店 1972
*『乳を売る』日本青年出版社 1972
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*『回想の森』新日本出版社 1979
*『あなたの中のさくらたち』新日本出版社 1981
*『松田解子全詩集』[[未来社]] 1985
*『山桜のうた』新日本出版社 1985
*『足の詩 松田解子詩話十編』東京コロニー コロニーカルチャーブック 1987
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:第10巻 (回想の森) 2006
*『桃色のダブダブさん 松田解子童話集』新日本出版社 2004
*『乳を売る・朝の霧 松田解子作品集』[[講談社文芸文庫]] 2005
 
===共著===
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*『風に向かった女たち 聞き書き』[[望月百合子]],[[平林英子]]共著 ;[[岡田孝子]] 著 沖積舎 2001
*『松田解子白寿の行路 生きてたたかって愛して書いて』[[新船海三郎]]聞き手 本の泉社 2004
 
==伝記==
*[[渡邊澄子]]『気骨の作家 松田解子 百年の軌跡』(さきがけ文庫) [[秋田魁新報社]]、2014
 
==参考==
*講談社文芸文庫附載年譜 
==脚注==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本の小説家一覧]]
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:まつた ときこ}}
[[Category:日本の女性小説家]]
[[Category:多喜二・百合子賞受賞者]]
[[Category:プロレタリア文学]]
[[Category:日本共産党の人物]]
[[Category:日本の国政衆議院議員総選挙の立候補経験者]]
[[Category:秋田県出身の人物]]
[[Category:1905年生]]