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|愛称 =
|標語 =
|画像 =Clock_Tower,_Sialkot_21.jpg
|画像サイズ指定 =
|画像の見出し =
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|位置図サイズ指定2 =
|位置図の見出し2 =
|位置図B = {{location map|Pakistan#Asia Southwest|relief=1|float=center|label=シアールコート}}
|位置図2B = {{Maplink2|zoom=12|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point}}
|緯度度 =32 |緯度分 =30 |緯度秒 =19 |N(北緯)及びS(南緯) =N
|経度度 =74 |経度分 =32 |経度秒 =3 |E(東経)及びW(西経) =E
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|人口の時点 =2014年
|人口に関する備考 =
|総人口 =41,000011,000871
|人口密度(平方キロ当たり) =
|人口密度(平方マイル当たり) =
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|備考 =
}}
'''シアールコート'''([[パンジャーブ語]]・{{Lang-ur|سیالکوٹ}}, {{small|[[ヒンドゥスターニー語]]発音: }}{{IPA|s̪i.jäːl̪.koːʈ}} {{small|スィヤールコート}}; {{lang-en|Sialkot}})は、[[パキスタン]]の[[パンジャーブ州 (パキスタン)|パンジャーブ州]]の都市である。2014年の人口は約101万人だった。{{仮リンク|シアールコート県|en|Sialkot District}}の県都である。パキスタン北東部に位置する。{{仮リンク|[[シェナブ川|en|Chenab River|label=チェナーブ川}}]](Chenab River)の近くに位置する。
 
==歴史==
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===シク・イギリス時代===
[[1797年]]から[[1810年]]にかけて、[[シク王国]]の[[ランジート・シング]]が占領した。[[シク王国]]の版図は西は[[ペシャワール]]、北は[[カシミール]]、南は[[ムルターン]]、東は[[チベット]]に及んだ。ヨーロッパ式に訓練した兵士やシクの戒律、[[ヨーロッパ]]の近代兵器、イギリス製の地図、ヨーロッパ人傭兵がこれ程の侵略を可能にした。
 
[[1839年]]にシング王が亡くなると、[[イギリス]]がシアールコートに接触した。
 
[[1849年]]、[[第2次シク戦争]]の結果[[シク王国]][[イギリス]]に併合され、シアールコートも併合された。
 
[[1852年]]、シアールコート宿営地が完成した。イギリス司令官のナピエル卿が防衛の観点から場所を決定した。
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===独立後===
[[1947年]]のパキスタン運動の後、[[:en:Pathankot|パサンコトゥ]]や[[:en:Gurdaspur district|グルダスプル]]を中心とする[[:en:East Punjab|東パンジャーブ州]]の[[ムスリム]]が難民となりシアールコートに押し寄せ定住した。グルダスプルはムスリムが多数派だったのでパキスタンに編入される筈だったが、[[イギリス]]が[[カシミール]][[藩王国]]への道を確保する為に[[インド]]に編入した。これ以降、シアールコートは段々パキスタンにとって重要な産業地区になっていった。外科道具や楽器、スポーツ用品、革製品、繊維等の輸出で有名になった。
 
[[1965年]]、[[第二次印パ戦争]]で[[ラホール]]・シアールコート地方は[[インド軍]]に攻撃され、周辺部を一部奪われた。シアールコート市民は侵略者を排除する為[[パキスタン軍]]に協力した。
<ref name="Book">K Conboy, "Elite Forces of India and Pakistan" ISBN 1-85532-209-9, page 9</ref>
シアールコート地区で起きた[[:en:Battle of Chawinda|チャウィンダの戦い]]は、[[第二次世界大戦]]以降最も激しい戦争になった。
<ref>''[httphttps://web.archive.org/web/20060503042035/http://www.bharat-rakshak.com/IAF/Books/Synopsis.html The India-Pakistan Air War of 1965]'', Synopsis. Retrieved 2008-05-26 at the [[Internet Archive]]</ref>
 
[[1966年]]、パキスタン政府は[[:en:Hilal-i-Istaqlal|独立の三日月]]勲章をシアールコート、[[ラホール]]、[[サルゴーダー]]の市民の勇気を讃えて贈った。
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手縫いの[[サッカーボール]]の世界的な生産地であり、生産されたボールは[[請負|サプライヤー]]から各国のスポーツメーカーに納められる。生産地としての世界シェアは75%程度に達したこともある。
 
サッカーボールの生産は、長らく[[児童労働]]により支えられてきたが、[[1996年]]の[[国際労働機関|ILO]]の報告書により問題視され、児童労働の転換が進んだ。その過程で安価な中国製製品と競合が進みシェアを落としたものの、主要生産地の座は揺らぐことなかった。
 
[[2012年]]の[[2012年ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]では、シアールコートで生産されたボール(現地のサプライヤーが[[アディダス]]に納めた製品)が採用されている<ref>{{Cite news
|url=https://web.archive.org/web/20130515103135/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/548357/
|title=【アジアンスタイル】パキスタン・誇りのサッカーボール五輪へ
|work=SANKEI Express
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|date=2012-03-06
|accessdate=2012-04-29
}}</ref>。[[2010年代]]にはいるとボールの精度を高めるため、シアールコートが誇る職人技の「縫い」の工程を経ない製品も出現したが、生産地としての存在は揺るぎなく新工程にも対応。[[2014 FIFAワールドカップ|2014年サッカーワールドカップブラジル大会]]では、シアールコートのフォワードスポーツ工場の職人が溶接したボール([[ブラズーカ]])が公式球として使われる<ref>{{Cite news
|url=httphttps://www.afpbb.com/articles/-/3016957?ctm_campaign=photo_topics|title=W杯公式球「ブラズーカ」を作るパキスタンの女性作業員たち|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2013-06-08|accessdate=2014-06-08}}</ref>。
 
== 交通 ==
* {{仮リンク|シアールコート国際空港(Sialkot|en|Sialkot International Airport)Airport}}
 
==姉妹都市==
*{{flagicon|Turkey}} [[カイセリ]]([[トルコ]])
 
==出典 関連項目 ==
* [[パキスタンの都市の一覧]]
<references/>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しああるこおと}}
[[Category:パキスタンの都市]]
[[Category:パンジャーブ (パキスタン)]]
[[Category:第二次印パ戦争]]
 
{{Pakistan-stub}}