「應武篤良」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m パイプリンクの一部修正、カテゴリの追加 |
|||
(27人の利用者による、間の42版が非表示) | |||
1行目:
{{Infobox baseball player
| 選手名
| 所属球団 =
| | 選手写真ファイル名 = Enomoto and Otake at the 2010 World University Baseball Championship.jpg▼
▲|背番号 =
▲|選手写真ファイル名 = Enomoto and Otake at the 2010 World University Baseball Championship.jpg
▲|写真のコメント = 榎本保(30番:[[近畿大学体育会硬式野球部|近畿大学]]前監督)の後ろ(40番)が應武
▲|国籍 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1958|5|12|no}}
▲|出身地 = [[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]
|
▲|身長 = 176
| 利き腕 = 右
▲|体重 = 75
|
| 経歴 =
▲|守備位置 = [[捕手]]
* [[崇徳中学校・高等学校|崇徳高等学校]]
* [[早稲田大学野球部|早稲田大学]]
* [[
| 経歴補足題
| 経歴補足
* [[
* 早稲田大学
* 崇徳高等学校
}}
{{MedalTop}}
32 ⟶ 29行目:
{{MedalSilver|[[ソウルオリンピック|1988]]|野球}}
{{MedalBottom}}
'''應武 篤良'''(おうたけ あつよし、[[1958年]][[5月12日]] - [[2022年]][[9月7日]])は、[[広島県]][[広島市]]出身のアマチュア[[野球選手]]([[捕手]])・[[監督]]<ref name="sponichi2209">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/09/08/kiji/20220908s00001173104000c.html|date=2022-09-08|title=元早大監督・応武篤良氏死去 64歳、ともに黄金期築いた斎藤佑樹氏「たくさんのこと教えていただいた」|newspaper=スポーツニッポン|publisher=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907212818/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/09/08/kiji/20220908s00001173104000c.html|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="tbs2209">{{Cite web|和書|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/146391?display=1|date=2022-09-07|title=崇徳・應武篤良前監督が死去 早大では黄金期 広島|website=TBS NEWS DIG|publisher=ジャパン・ニュース・ネットワーク|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907134923/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/146391?display=1|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="home-tv2209">{{Cite web|和書|url=https://www.home-tv.co.jp/news/content/?news_id=20220907169459|date=2022-09-07|title=崇徳・應武篤良前監督が死去 早大では黄金期 広島|website=HOMEニュース|publisher=広島ホームテレビ|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907124101/https://www.home-tv.co.jp/news/content/?news_id=20220907169459|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="sanspo2209">{{Cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20220907-OL43TBDPEVL6JGIZOAGRGQXKKA/|date=2022-09-08|title=元早大野球部監督の応武篤良氏が死去 斎藤佑樹らをプロへ送り出す|newspaper=サンケイスポーツ|publisher=産業経済新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907100222/https://www.sanspo.com/article/20220907-OL43TBDPEVL6JGIZOAGRGQXKKA/|archivedate=2022-09-07}}</ref>。
2005年から2010年まで[[早稲田大学野球部]]第17代
早大野球部監督として東京6大学リーグで6度の優勝に導いた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202209080000139.html|title=元早大監督の応武篤良さんが死去 早大黄金期築いた斎藤佑樹氏ら追悼「数日前まで連絡取り…」|publisher=日刊スポーツ|date=2022-09-08|accessdate=2023-11-01}}</ref>。
== 来歴・人物 ==
41 ⟶ 40行目:
=== 現役時代 ===
[[崇徳中学校・高等学校|崇徳高校]]では2年時に、同期のエース[[黒田真二]]を擁し{{by|1975年}}[[全国高等学校野球選手権広島大会|夏の甲子園県予選]]決勝に進むが、[[広島県立広島商業高等学校|広島商]]の山村力人([[東洋大学硬式野球部|東洋大]]-[[三菱重工広島硬式野球部|三菱重工広島]])に完封負け。広島商の[[遊撃手]]は[[谷真一]]であった。この試合では代打出場にとどまる。同年の秋季中国大会から捕手として出場。決勝で[[岡山県立岡山東商業高等学校|岡山東商]]を降し、翌{{by|1976年}}[[第48回選抜高等学校野球大会|春の選抜]]への出場を決める。選抜では決勝まで勝ち進み、[[栃木県立小山高等学校|小山高]]を降し初の全国制覇を果たした<ref name="tbs2209"/><ref name="sanspo2209"/><ref>「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年</ref><ref name="chugoku2209">{{Cite news|url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/211825|date=2022-09-07|title=広島・崇徳高出身の応武篤良さん死去 同級生の元カープ山崎隆造さんが別れ惜しむ「指導者としては僕よりも上」|newspaper=中国新聞デジタル|publisher=中国新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907113714/https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/211825|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="baseball19">{{Cite web|和書|author=岡本朋祐|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190703-10|title=高校野球リポート 強豪復活へ本腰を入れる前OB会長。“オヤジ”の顔を持つ崇徳・應武篤良監督/令和元年の夏、初陣の新指揮官|date=2019-07-07|website=週刊ベースボールONLINE|publisher=ベースボール・マガジン社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907223234/https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190703-10|archivedate=2022-09-07}}</ref>。夏の甲子園県予選準決勝では黒田が広島商から[[ノーヒットノーラン]]を達成、決勝でも[[浜本龍治]]のいた[[広島県立尾道商業高等学校|尾道商]]に快勝。[[第58回全国高等学校野球選手権大会|夏の選手権]]では春夏連覇を期待されたが、3回戦で[[海星中学校・高等学校 (長崎県)|長崎・海星高]]の[[酒井圭一]]に0-1で完封を喫する<ref>「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年</ref>。黒田以外の高校同期に[[山崎隆造]]、[[小川達明]]がおり<ref name="sanspo2209"/>、應武も含め計4人が同年の[[1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]で指名された。
應武は
大学卒業後の
=== 新日鐵君津監督時代 ===
=== 早大監督時代 ===
また、2005年には[[武内晋一]](ヤクルト)、[[越智大祐]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])の2選手、2006年も[[宮本賢]]、[[山本一徳]](ともに[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]])をプロ野球へ送り出すなど、選手育成の手腕を見せている。2007年は[[斎藤佑樹]]らが入学・入部し、さっそく年明けから斎藤の[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表選出を巡り、[[星野仙一]]同五輪監督との確執がマスコミを賑わした。「ケンカ應武」ともあだ名され無骨ぶりを発揮している。また斎藤に対して1年の頃から不規則なローテで登板させた事によって斎藤を潰した疑いもかけられている。
采配では投手陣を中心とした「守りの野球」を標榜している。攻撃面では選手層の豊富さが目立つものの、好機を着実に生かす試合運びのうまさを感じさせる。
63 ⟶ 62行目:
2007年秋季リーグの早慶1回戦では、球審の判定を批判した上、報道陣の選手への取材も拒否した。これについては各大学野球部OBから批判が続出したが、謝罪文を提出したことで決着した。
2010年の[[第41回明治神宮野球大会]]大学の部で優勝を最後に監督を退任。後任には[[岡村猛]]が就任した。翌年から新日鐵住金での社業に専念しつつ、大学・社会人野球のテレビ中継に[[野球解説者]]として出演することがあった<ref name="baseball19"/>。
=== 崇徳高監督時代 ===
{{by|2022年}}7月より病気療養のため総監督に退き<ref name="tbs2209"/>、崇徳高校の後輩で、野球部長を務めていた前監督の藤本誠が復帰した。
2022年9月7日に死去<ref name="tbs2209"/><ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20220907-OHT1T51115.html?page=1|date=2022-09-07|title=元早大監督の応武篤良氏が死去 64歳 斎藤佑樹らを擁して黄金期に導いた「勝負師」|newspaper=スポーツ報知|publisher=報知新聞社|accessdate=2022-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907091900/https://hochi.news/articles/20220907-OHT1T51115.html?page=1|archivedate=2022-09-07}}</ref>。
== 著書 ==
* 『早稲田野球の魂 斎藤・福井・大石に受け継がれた一球への想い』(2011年2月19日、[[PHP研究所]])ISBN 978-4569795881
▲* 『斎藤佑樹と歩んだ1406日』([[ベースボール・マガジン社]])
=== 監修 ===
* 『1番になれるバッティング上達テクニック』(2007年11月20日、[[成美堂出版]])ISBN 978-4415300818
* 『1番になれるピッチング上達テクニック』(2007年11月20日、成美堂出版)ISBN 978-4415300825
==脚注==
80 ⟶ 86行目:
* [[早稲田大学の人物一覧]]
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;
|list1=
{{第30回IBAFワールドカップ日本代表}}
{{ソウルオリンピック野球日本代表}}
{{2001 アジア野球選手権大会 日本代表}}
{{第34回IBAFワールドカップ日本代表}}
{{2007年日米大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2008 ハーレムベースボールウィーク 日本代表|コーチ}}
{{2008 世界大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2009年日米大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2010 世界大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
}}
{{近鉄バファローズ1976年ドラフト指名選手}}
{{Normdaten}}
{{
[[Category:日本の野球選手]]▼
[[Category:日本のアマチュア野球選手]]
[[Category:社会人野球の選手]]▼
[[Category:野球日本代表選手]]
[[Category:オリンピック野球日本代表選手]]
[[Category:日本のオリンピック銀メダリスト]]
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]]
[[Category:早稲田大学野球部の選手]]
[[Category:
[[Category:大学野球指導者]]▼
[[Category:日本の野球監督]]
[[Category:
[[Category:広島県出身のスポーツ選手]]
[[Category:広島市出身の人物]]
[[Category:1958年生]]
[[Category:
|