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{{Infobox baseball player
| 選手名 = 應武 篤良
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| 選手写真ファイル名 = Enomoto and Otake at the 2010 World University Baseball Championship.jpg
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| 身長 = 176
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* [[崇徳中学校・高等学校|崇徳高等学校]]
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| 経歴補足題 = 監督歴
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* [[鐵住金本製鉄かずさマジック|新日本製鐵君津]]
* 早稲田大学
* 崇徳高等学校
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{{MedalTop}}
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{{MedalSilver|[[ソウルオリンピック|1988]]|野球}}
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'''應武 篤良'''(おうたけ あつよし、[[1958年]][[5月12日]] - [[2022年]][[9月7日]])は、[[広島県]][[広島市]]出身のアマチュア[[野球選手]]([[捕手]])・[[監督]]<ref name="sponichi2209">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/09/08/kiji/20220908s00001173104000c.html|date=2022-09-08|title=元早大監督・応武篤良氏死去 64歳、ともに黄金期築いた斎藤佑樹氏「たくさんのこと教えていただいた」|newspaper=スポーツニッポン|publisher=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907212818/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/09/08/kiji/20220908s00001173104000c.html|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="tbs2209">{{Cite web|和書|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/146391?display=1|date=2022-09-07|title=崇徳・應武篤良前監督が死去 早大では黄金期 広島|website=TBS NEWS DIG|publisher=ジャパン・ニュース・ネットワーク|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907134923/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/146391?display=1|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="home-tv2209">{{Cite web|和書|url=https://www.home-tv.co.jp/news/content/?news_id=20220907169459|date=2022-09-07|title=崇徳・應武篤良前監督が死去 早大では黄金期 広島|website=HOMEニュース|publisher=広島ホームテレビ|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907124101/https://www.home-tv.co.jp/news/content/?news_id=20220907169459|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="sanspo2209">{{Cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20220907-OL43TBDPEVL6JGIZOAGRGQXKKA/|date=2022-09-08|title=元早大野球部監督の応武篤良氏が死去 斎藤佑樹らをプロへ送り出す|newspaper=サンケイスポーツ|publisher=産業経済新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907100222/https://www.sanspo.com/article/20220907-OL43TBDPEVL6JGIZOAGRGQXKKA/|archivedate=2022-09-07}}</ref>。
'''應武 篤良'''(おうたけ あつよし、[[1958年]][[5月12日]] - )は、[[広島県]][[広島市]]出身の元アマチュア[[野球選手]]([[捕手]])・[[監督]]。
 
2005年から2010年まで[[早稲田大学野球部]]第17代目[[監督]]を務めた<ref name="sponichi2209"/>。同大学客員教授でもある。2012年より[[崇徳中学校・高等学校|崇徳高校]]硬式野球部OB会会長を務め、2018年より同校監督に就任した。
 
早大野球部監督として東京6大学リーグで6度の優勝に導いた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202209080000139.html|title=元早大監督の応武篤良さんが死去 早大黄金期築いた斎藤佑樹氏ら追悼「数日前まで連絡取り…」|publisher=日刊スポーツ|date=2022-09-08|accessdate=2023-11-01}}</ref>。
 
== 来歴・人物 ==
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=== 現役時代 ===
[[崇徳中学校・高等学校|崇徳高校]]では2年時に、同期のエース[[黒田真二]]を擁し{{by|1975年}}[[全国高等学校野球選手権広島大会|夏の甲子園県予選]]決勝に進むが、[[広島県立広島商業高等学校|広島商]]の山村力人([[東洋大学硬式野球部|東洋大]]-[[三菱重工広島硬式野球部|三菱重工広島]])に完封負け。広島商の[[遊撃手]]は[[谷真一]]であった。この試合では代打出場にとどまる。同年の秋季中国大会から捕手として出場。決勝で[[岡山県立岡山東商業高等学校|岡山東商]]を降し、翌{{by|1976年}}[[第48回選抜高等学校野球大会|春の選抜]]への出場を決める。選抜では決勝まで勝ち進み、[[栃木県立小山高等学校|小山高]]を降し初の全国制覇を果たした<ref name="tbs2209"/><ref name="sanspo2209"/><ref>「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年</ref><ref name="chugoku2209">{{Cite news|url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/211825|date=2022-09-07|title=広島・崇徳高出身の応武篤良さん死去 同級生の元カープ山崎隆造さんが別れ惜しむ「指導者としては僕よりも上」|newspaper=中国新聞デジタル|publisher=中国新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907113714/https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/211825|archivedate=2022-09-07}}</ref><ref name="baseball19">{{Cite web|和書|author=岡本朋祐|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190703-10|title=高校野球リポート 強豪復活へ本腰を入れる前OB会長。“オヤジ”の顔を持つ崇徳・應武篤良監督/令和元年の夏、初陣の新指揮官|date=2019-07-07|website=週刊ベースボールONLINE|publisher=ベースボール・マガジン社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907223234/https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190703-10|archivedate=2022-09-07}}</ref>。夏の甲子園県予選準決勝では黒田が広島商から[[ノーヒットノーラン]]を達成、決勝でも[[浜本龍治]]のいた[[広島県立尾道商業高等学校|尾道商]]に快勝。[[第58回全国高等学校野球選手権大会|夏の選手権]]では春夏連覇を期待されたが、3回戦で[[海星中学校・高等学校 (長崎県)|長崎・海星高]]の[[酒井圭一]]に0-1で完封を喫する<ref>「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年</ref>。黒田以外の高校同期に[[山崎隆造]]、[[小川達明]]がおり<ref name="sanspo2209"/>、應武も含め計4人が同年の[[1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]で指名された。
[[1976年]]、[[崇徳中学校・高等学校|崇徳高校]]3年の時、[[第48回選抜高等学校野球大会]]で全国制覇。[[第58回全国高等学校野球選手権大会]]は3回戦で[[酒井圭一]]を擁した[[海星中学校・高等学校 (長崎県)|海星高校]]に1-0で敗れた。この年の崇徳は、應武([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]3位)、[[黒田真二]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]1位拒否、のち[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]])、[[山崎隆造]]([[広島東洋カープ|広島]]1位)、[[小川達明]](広島5位)と、同じ高校で1位二人を含む4人の[[1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]指名が当時は珍しく話題を呼んだ。
 
應武はドラ[[大阪近鉄バァローズ|近鉄]]から3位で指名されるが<ref name="chugoku2209"/><ref name="baseball19"/>、当時はプロに入団すると、[[柳川事件]]などの影響もあり、引退後に少年野球や軟式野球を除くアマチュア野球の指導者に転身することに制約があったことから、これを拒否して[[早稲田大学]]に進学<ref name="tbs2209"/>[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球リーグ]]では在学中2回の優勝を経験するが、上級生の捕手に[[山倉和博]]・[[金森栄治]]・[[有賀佳弘]]いたためおり、なかなか出場機会に恵まれなかったが、。しかし4年時の{{by|1980年}}正捕手となったり、1年下の[[仁村薫]]、三谷志郎([[プリンスホテル硬式野球部|プリンスホテル]])らとバッテリーを組む東京六大学リーグ通算33試合出場、78打数18安打、打率.231、0本塁打、4打点。
 
大学卒業後の[[{{by|1981年]]}}には[[鐵住金広畑本製鉄瀬戸内硬式野球部|新日本製鐵広畑]]に入社<ref name="tbs2209"/>。[[都市対抗野球大会|都市対抗]]などで活躍。{{by|1983年}}の[[第10回社会人野球日本選手権大会|社会人野球日本選手権]]では[[藤高俊彦]]、[[西村基史]]とバッテリーを組み準決勝に進むが、[[住友金属野球団|住友金属]]に敗退。同大会では優秀選手賞を獲得。卓越したリードで[[社会人野球]]界でも評判の名捕手となり、[[1988年]][[IBAFワールドカップ|ワールドカップ]]日本代表となる。同年の[[ソウルオリンピック野球日本代表]]ほか、日本代表選出経験は多数(ソウルオリンピックでにも[[古田敦也]]とともに捕手として選出された選手は應武と[[古田敦也]]の2人のみ)<ref name="chugoku2209"/>。翌[[1989年]]限りで現役を引退。
 
=== 新日鐵君津監督時代 ===
[[{{by|1994年]]}}には新日鐵君津(現:[[鐵住金本製鉄かずさマジック]])監督に就任。「短所を修正するより長所を伸ばす」指導で、新日鐵君津監督就任中には[[日笠雅人]]([[中日ドラゴンズ|中日]])、[[松中信彦]]([[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]])、[[森慎二]]・[[古屋剛]]・[[野田浩輔]]([[埼玉西武ライオンズ|西武]])、[[渡辺俊介]]([[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]])と6人の選手をプロへ送り出し<ref name="sponichi2209"/><ref name="chugoku2209"/>、チームも[[都市対抗野球大会]]の常連となったことから、'''「君津中興の祖」'''と呼ばれた。
 
[[{{by|2000年]]}}シーズンをもって監督の座を[[露無博文]]に譲り勇退。[[新日本製鐵]]の社業に専念しつつ、[[{{by|2001年]]}}の[[第34回IBAFワールドカップ日本代表]]では打撃コーチに就任するほか<ref name="baseball19"/>、高校野球の解説など、常に野球と隣り合わせの日々が続いた。
 
=== 早大監督時代 ===
[[{{by|2004年]]}}秋季リーグ戦から母校早大の助監督に就任、前任の[[野村徹]]の指導を受け[[{{by|2005年]]}}、早大野球部第17代監督に就任。就任早々[[東京六大学野球連盟|東京六大学]]春のリーグ戦で優勝を果たしたが、[[全日本大学野球選手権大会|大学選手権]]ではベスト8止まり。[[{{by|2006年]]}}秋季に2度目の優勝([[明治神宮野球大会]]大学の部準優勝)、[[{{by|2007年]]}}春季には完全優勝で連覇を飾り、[[第56回全日本大学野球選手権大会]]で33年ぶりの優勝を遂げ、部・そして大学の悲願である日本一を達成した。同年秋季にはチーム3度目(4連覇含む)となる3連覇で部40回目の優勝を果たし、大学創立125周年記念式典を行ったばかりの節目の年に花を添えた。続く[[第38回明治神宮野球大会]]では東京六大学勢初の“四冠”は逃したものの準優勝を収めた。[[2008{{by|2005]]までの4}}~{{by|20108}}の12シーズンで6度のリーグ優勝5回制覇と2度の日本一<ref name="sponichi2209"/><ref name="baseball19"/>全国早稲田会優勝1回学の[[黄金時代#俗語としての用法|黄金時代]]記録築く<ref name="sponichi2209"/><ref name="tbs2209"/><ref name="home-tv2209"/>
 
また、2005年には[[武内晋一]](ヤクルト)、[[越智大祐]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])の2選手、2006年も[[宮本賢]]、[[山本一徳]](ともに[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]])をプロ野球へ送り出すなど、選手育成の手腕を見せている。2007年は[[斎藤佑樹]]らが入学・入部し、さっそく年明けから斎藤の[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表選出を巡り、[[星野仙一]]同五輪監督との確執がマスコミを賑わした。「ケンカ應武」ともあだ名され無骨ぶりを発揮している。また斎藤に対して1年の頃から不規則なローテで登板させた事によって斎藤を潰した疑いもかけられている。
 
采配では投手陣を中心とした「守りの野球」を標榜している。攻撃面では選手層の豊富さが目立つものの、好機を着実に生かす試合運びのうまさを感じさせる。
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2007年秋季リーグの早慶1回戦では、球審の判定を批判した上、報道陣の選手への取材も拒否した。これについては各大学野球部OBから批判が続出したが、謝罪文を提出したことで決着した。
 
2010年の[[第41回明治神宮野球大会]]大学の部で優勝を最後に監督を退任。後任には[[岡村猛]]が就任した。翌年から新日鐵住金での社業に専念しつつ、大学・社会人野球のテレビ中継に[[野球解説者]]として出演することがあった<ref name="baseball19"/>
 
=== 崇徳高監督時代 ===
[[{{by|2012年]]}}より崇徳高校硬式野球部OB会の会長に就任、副会長は同校野球部の同級生の山崎隆造である<ref name="baseball19"/>。<br>
[[{{by|2018年}}[[7月30日]][[78251日]]付で崇徳高校硬式野球部監督に就任することが発表された。<ref name="tbs2209"/><ref name="baseball19"/><ref>{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2018年7月/07/26/0011481149.shtml|date=2018-07-25日付デイリースポーツ “|title=コールド負けの崇徳 名門復活へ切り札 新監督に早大で佑ちゃんら育てた応武氏” |newspaper=デイリースポーツ|publisher=神戸新聞社|accessdate=2022-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180726015605/https://www.daily.co.jp/baseball/2018/07/26/0011481149.shtml|archivedate=2018-07-26}}</ref>。<br>
{{by|2022年}}7月より病気療養のため総監督に退き<ref name="tbs2209"/>、崇徳高校の後輩で、野球部長を務めていた前監督の藤本誠が復帰した。
 
2022年9月7日に死去<ref name="tbs2209"/><ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20220907-OHT1T51115.html?page=1|date=2022-09-07|title=元早大監督の応武篤良氏が死去 64歳 斎藤佑樹らを擁して黄金期に導いた「勝負師」|newspaper=スポーツ報知|publisher=報知新聞社|accessdate=2022-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220907091900/https://hochi.news/articles/20220907-OHT1T51115.html?page=1|archivedate=2022-09-07}}</ref>。
 
== 著書 ==
* 『斎藤佑樹と歩んだ1406日』(2011年2月、[[ベースボール・マガジン社]])ISBN 978-4583103280
* 『早稲田野球の魂』([[PHP研究所]])
* 『早稲田野球の魂 斎藤・福井・大石に受け継がれた一球への想い』(2011年2月19日、[[PHP研究所]])ISBN 978-4569795881
* 『斎藤佑樹と歩んだ1406日』([[ベースボール・マガジン社]])
 
=== 監修 ===
* 『1番になれるバッティング上達テクニック』(2007年11月20日、[[成美堂出版]])ISBN 978-4415300818
* 『1番になれるピッチング上達テクニック』(2007年11月20日、成美堂出版)ISBN 978-4415300825
 
==脚注==
80 ⟶ 86行目:
* [[早稲田大学の人物一覧]]
 
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
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{{第30回IBAFワールドカップ日本代表}}
{{ソウルオリンピック野球日本代表}}
{{2001 アジア野球選手権大会 日本代表}}
{{第34回IBAFワールドカップ日本代表}}
{{2007年日米大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2008 ハーレムベースボールウィーク 日本代表|コーチ}}
{{2008 世界大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2009年日米大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
{{2010 世界大学野球選手権大会日本代表|コーチ}}
}}
{{近鉄バファローズ1976年ドラフト指名選手}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:おうたけ あつよし}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:日本のアマチュア野球選手]]
[[Category:社会人野球の選手]]
[[Category:野球日本代表選手]]
[[Category:オリンピック野球日本代表選手]]
[[Category:日本のオリンピック銀メダリスト]]
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]]
[[Category:日本崇徳高等学校出身の野球選手]]
[[Category:早稲田大学野球部の選手]]
[[Category:鐵住金広畑本製鉄瀬戸内硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:大学野球指導者]]
[[Category:日本の野球監督]]
[[Category:早稲田大学の教員社会人野球指導者]]
[[Category:社会人大学野球の選手指導者]]
[[Category:早稲田大学野球指導者の人物]]
[[Category:広島県出身のスポーツ選手]]
[[Category:広島市出身の人物]]
[[Category:1958年生]]
[[Category:存命人物2022年没]]