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|閉塞方式 = 自動閉塞式
|最大勾配 = 40 [[パーミル|‰]]
|保安装置 = [[自動列車停止装置#多変周式信号ATS(多変周式(点制御、連続照査型))ATS|近鉄型ATS]]<!--、[[自動列車停止装置#ATS-SP|ATS-SP]]-->
|最高速度 = 65 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図 =
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{{BS|BHF|0.0|J12 [[河内山本駅]]||}}
{{BS|ABZgr|||{{rint|osaka|ktd}} 大阪線|}}
{{BS|WBRÜCKE1|||[[恩智川]]|}}
{{BS|BHF|2.0|J13 [[服部川駅]]|}}
{{BS|KBHFe|O1=HUBa|2.8|J14 [[信貴山口駅]]|}}
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[[信貴山]][[朝護孫子寺]]への西側のルートの一部であり、信貴山口駅で[[近鉄西信貴鋼索線|西信貴鋼索線]]に接続している。沿線は変化に富み、河内山本駅付近の住宅地をすぎて[[大阪外環状線|外環状線]]を越えるあたりから田園風景がひろがる。途中の服部川付近では[[大阪平野]]が眺望できる。服部川駅から信貴山口駅までは急勾配が続く山岳路線の趣がある。なお、服部川駅付近には40[[パーミル|‰]]の勾配があるが、これは近鉄の普通鉄道路線<!--ケーブルカーは当然さらに急勾配なので「全線中」から「普通鉄道路線の中で」と表現を改めた -->の中で最も急である。平日は通勤・通学利用が主体であるが、土休日は観光客や登山客、[[高安山]]にある霊園への参拝客の利用も多い。
 
[[スルッとKANSAI]]対応カードおよび[[Jスルーカード]]([[自動券売機]]での乗車券引き換えのみ)、ICカード[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]・[[Suica]]など全国相互利用乗車カードが使用できる。また、以前は[[スルッとKANSAI]]対応カードおよび[[Jスルーカード]]にも対応していた
 
=== 路線データ ===
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線内折り返し運転の普通列車のみが、朝夕は約15分間隔、日中は約20分間隔で運転されている([[2010年]]のダイヤ変更以前は日中も15分間隔だった)。そのうちの朝夕は約半数、日中は約40分に1本の割合で[[近鉄西信貴鋼索線|西信貴鋼索線]]と連絡している。なお、近鉄の支線区の多くは[[ワンマン運転]]を実施しているが、信貴線では実施しておらず、2両編成で運行されるにもかかわらず全列車に[[車掌]]が乗務する。
 
西信貴鋼索線が再開された1957年以降、1967年12月20日の白紙ダイヤ変更までは[[大阪上本町駅|上本町駅]]から直通する準急・普通列車も運転されていた([[1987年までの近畿日本鉄道ダイヤ変更]]参照)。大阪線直通列車は同線の準急・普通の編成増強によって、2両編成しか入線できない信貴線との直通が困難となったため廃止されたが、その後2010年12月12日には信貴線・西信貴鋼索線開業80周年記念イベントとして、直通準急列車の復活運転が行われた<ref name="raifjp20101213">[https://railf.jp/news/2010/12/13/091400.html 大阪上本町〜信貴山口間の直通列車が復活運転] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2010年12月13日</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.kintetsu.jp/news/files/20101203shigisanhukkatuunten.pdf 〜信貴線・西信貴鋼索線開業80周年記念イベント 〜大阪上本町〜信貴山口間の臨時直通列車を復活運転!]}} - 近畿日本鉄道、2010年12月3日</ref>。2018年12月15日にも信貴線・西信貴鋼索線開業88周年および八尾市制70周年を記念して同様に直通準急列車の復活運転が行われた<ref name="raifjp20181216">[https://railf.jp/news/2018/12/16/201500.html 近鉄で信貴線直通の臨時準急列車運転] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2018年12月16日</ref><ref>[https://www.kintetsu.co.jp/railway/Dia/dia_shiginishishigi88.html 臨時準急列車の運転について(信貴線・西信貴鋼索線開業88周年)] - 近畿日本鉄道 お知らせ、2018年11月16日</ref>。2022年は寅年であることから1月1日 - 3日と8日 - 10日に1日3本の直通準急列車の復活運転が行われた<ref>[https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/nenmatgunennshiyoso.pdf 年末から年始にかけて、臨時列車および運転区間延長列車を運転します] - 近畿日本鉄道 お知らせ、2021年12月10日</ref>。
 
[[大晦日]]から[[元日|元旦]]にかけての[[終夜運転]]は、線内折り返しの普通列車をおおむね30分間隔で運行し、西信貴鋼索線と連絡するダイヤが組まれている。時刻については近鉄の公式ホームページでも紹介されている。
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== 車両 ==
大阪線所属の車両が使用されるが、信貴線は2両しか対応していないために2両編成の車両が限定使用され、主に[[近鉄1422系電車|1430系]]または[[近鉄1422系電車|1435系]]が使われている。詳細は[[近鉄大阪線|大阪線]]の項を参照。なお、信貴線に[[近鉄9020系電車|9020系]]は運用されていない。
 
== 歴史 ==
近鉄の前身である[[大阪電気軌道]](大軌)により、[[信貴山急行電鉄|信貴山電鉄]]の鋼索線(現在の西信貴鋼索線)・山上鉄道線([[1944年]]休止、[[1957年]]廃止)と同日の[[1930年]][[12月15日]]に開業した。
 
はじめは、深江駅(現在の[[布施駅]])から[[恩智駅|恩智]]を経て信貴山口に至るルートで計画されたが<ref name="100nen-p85">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、85頁</ref>、[[信貴山]][[朝護孫子寺]]への東側からのアクセスとして[[信貴生駒電鉄|信貴生駒電気鉄道]]が後の[[近鉄生駒線|生駒線]]の一部と[[近鉄東信貴鋼索線|東信貴鋼索線]]([[1983年]]廃止)にあたる王寺 - 信貴山下 - 信貴山間の鉄道敷設免許を取得したことから、これに[[王寺駅]]で接続する深江 - 恩智 - 国分 - 王寺 - [[近鉄郡山駅|郡山]]間のルートに変更されし<ref name="100nen-p85" />、1921年9月28日に[[軌道法|軌道]]敷設特許を得た<ref name="100nen-p85" />。しかし大軌は伊勢方面への進出に重点を置き<ref group="注釈">さらに伊勢を目指し国分 - 八木間の八木線、八木 - 桜井間の桜井線が計画され、これと信貴線の初期計画を合わせて[[近鉄大阪線|大阪線]]の布施 - 桜井間となった。</ref>、信貴山方面への路線整備の優先度は低かった<ref name="100nen-p85" />。
 
信貴生駒電気鉄道が[[1922年]]に開業すると、[[南海電気鉄道|南海鉄道]]など複数の事業者が大阪と信貴山を結ぶ鉄道を出願したことから、大軌でも信貴山への鉄道計画を西側からアクセスする大阪からの短絡ルートで進め、1926年2月19日に[[河内山本駅|山本]] - 信貴山口 - [[枚岡駅|枚岡]]間の[[地方鉄道法|地方鉄道]]を高安線として出願し、1928年1月24日に鉄道敷設免許を取得した<ref name="100nen-p85" />。そして1930年に山本 - 信貴山口間が信貴線として開業した<ref name="100nen-pp86-87">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、86-87頁</ref>。[[近鉄奈良線|奈良線]]にアクセスする[[未成線|未開業区間]]の信貴山口 - 枚岡間は1937年8月27日に起業廃止となった<ref name="100nen-p86">『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、86頁</ref>。また、信貴線開業後も特許を維持していた国分 - 王寺 - 郡山間も1937年10月12日に起業廃止となった<ref name="100nen-p86" />。
 
この路線と信貴山電鉄の開業により、それまで[[関西本線]]・信貴生駒電鉄経由、ないしは[[1927信貴生駒電気鉄道を1925]]継承した[[信貴生駒電鉄]]<ref group="注釈">[[合同電気]]系で、[[京阪電気鉄道]]社長[[太田光凞]]が社長を務めた。</ref>が[[生駒駅]] - [[王寺駅]]間を[[1927年]]に全通させあと後は、[[近鉄奈良線|大軌奈良線]]・信貴生駒電鉄経由で大阪から信貴山へ向かっていた客の多くは、大軌桜井線(後の[[近鉄大阪線]])・信貴線・信貴山電鉄のルートを使うようになった。これにより信貴生駒電鉄は打撃を受け、結局は大軌の傘下に入ることにして存続を図ることにした。信貴生駒電鉄が大軌を改めた近鉄に合併されたのは、[[1964年]]のことである。
信貴生駒電気鉄道は、1925年から[[合同電気]]<ref group="注釈">[[京阪電気鉄道]]社長の[[太田光凞]]が社長を務めた。</ref>系の[[信貴生駒電鉄]]が経営を継承した。
 
この路線と信貴山電鉄の開業により、それまで[[関西本線]]・信貴生駒電鉄経由、ないしは[[1927年]]に信貴生駒電鉄の[[生駒駅]] - [[王寺駅]]間が全通したあと、[[近鉄奈良線|大軌奈良線]]・信貴生駒電鉄経由で大阪から信貴山へ向かっていた客の多くは、大軌桜井線(後の[[近鉄大阪線]])・信貴線・信貴山電鉄のルートを使うようになった。これにより信貴生駒電鉄は打撃を受け、結局は大軌の傘下に入ることにして存続を図ることにした。信貴生駒電鉄が大軌を改めた近鉄に合併されたのは、[[1964年]]のことである。
 
=== 年表 ===
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== 駅一覧 ==
* 全駅[[大阪府]][[八尾市]]内に所在。
* 線路(全線単線) … ◇:[[列車交換]]可、|:列車交換不可
 
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|style="text-align:right;"|0.0
|[[近畿日本鉄道]]:{{rint|osaka|ktd近鉄駅番号|size=17D}} [[近鉄大阪線|大阪線]] (D12)
|style="text-align:center;"|◇
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|style="text-align:right;"|2.8
|近畿日本鉄道:{{rint近鉄駅番号|osaka|ktz|size=17Z}} [[近鉄西信貴鋼索線|西信貴鋼索線]] (Z14)
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|}