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| 出生地 = {{USA}}[[アイオワ州]][[ウィンターセット (アイオワ州)|ウィンターセット]]
| 死没地 = {{USA}}[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]
| 国籍身長 = {{USA}} 192.4cm
| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1907
| 生月 = 5
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| アカデミー賞 = '''[[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]'''<br />[[第42回アカデミー賞|1969年]]『[[勇気ある追跡]]』
| AFI賞 = '''[[映画スターベスト100]]'''<br />[[1999年]] 男優部門第13位<br />'''[[アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100]]'''(ヒーロー部門第36位)<br />[[2003年]]『勇気ある追跡』
| 英国アカデミー賞 =
| セザール賞 =
| エミー賞 =
| ジェミニ賞 =
| ゴールデングローブ賞 = '''[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)|主演男優賞(ドラマ部門)]]'''<br />[[1969年]]『勇気ある追跡』<br />'''[[ゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞|セシル・B・デミル賞]]'''<br />[[1966年]] 生涯功労賞
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
| グラミー賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 = '''[[ハリウッド名声の歩道]]'''<br />[[1960年]] 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して
| 備考 =
}}
'''ジョン・ウェイン'''こと'''マリオン・ロバート・モリソン'''(Marion Robert Morrison a.k.a. John(John Wayne, [[1907年]][[5月26日]] - [[1979年]][[6月11日]])は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[俳優]]、[[映画プロデューサー]]、[[映画監督]]。本名は'''マリオン・ロバート・モリソン'''(Marion Robert Morrison)。「デューク」(Duke、公爵)の愛称で呼ばれた。
 
== 来歴 ==
{{出典の明記|date=2022年10月|section=1}}
=== 生い立ち ===
[[アイオワ州]][[ウィンターセット (アイオワ州)|ウィンターセット]]で生まれ、マリオン・ロバート・モリソンと命名された。実家は薬屋で、[[薬剤師]]の息子でもある。しかし、両親が彼の弟をロバートと名付けることを決め、マリオン・マイケル・モリソンと名付けられた。一家は[[1911年]]に[[カリフォルニア州]][[グレンデール (カリフォルニア州)|グレンデール]]に転居したが、ウェインはどこへ行くにも[[エアデール・テリア]]の愛犬「リトル・デューク」を連れていたため、隣人が「ビッグ・デューク」と呼び始めた<ref>Roberts, Randy, and James S. Olson. John Wayne: American. New York: Free Press, 1995 ISBN 978-0029238370, p. 37</ref><ref>Munn, Michael. John Wayne: The Man Behind the Myth. London: Robson Books, 2003 ISBN 0-451-21244-4, p. 7</ref>。以後ずっとウェインは愛称「デューク」を本名の「マリオン」より好んでいたという。
 
高校卒業後[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]へ出願するが入校できず、[[南カリフォルニア大学]]に入学した。そこで彼は伝説のコーチ、[[ハワード・ジョーンズ]]の下、[[アメリカンフットボール|フットボール]]に取り組んだ。しかし[[水泳]]中に負った怪我が元で競技生命が絶たれてしまう。彼は怪我の原因が明らかになった時のジョーンズの反応を恐れたと後に記している。
 
===ハリウッド入り===
[[File:Born to the West (1937) 1.jpg|thumb|right|250px|[[マーシャ・ハント (女優)|マーシャ・ハント]]とともに。『[[荒原の激闘]]』(1937年)の一場面←これは宣材写真で、このような場面はない。]]
大学在学中、ウェインは田舎の映画スタジオで働き始めた。[[西部劇]]のスター、[[トム・ミックス]]は[[フットボール]]のチケットと交換に夏の間、大道具係の仕事を彼に世話してやった。ウェインは大道具係から[[1928年]]には映画の端役に選ばれ、[[1930年]]、ウェインの最初のクレジット入り映画である[[ラオール・ウォルシュ]]監督の超大作『[[ビッグ・トレイル]]』に主役として抜擢された。
 
ウオルシュが[[アメリカ独立戦争]]での将軍、[[アンソニー・ウェイン|"マッド・アンソニー"・ウェイン]]から取った「ジョン・ウェイン」の芸名を彼に与えた。当初はそのままアンソニー・ウェインの芸名を与える予定だったが、「イタリア風に聞こえる」という指摘があったために名をアメリカ風の「ジョン」と改めたのである<ref>Roberts & Olson, p. 84.</ref>。しかし、『ビッグ・トレイル』は商業的に失敗し、ウェインは『駅馬車』がヒットするまでの間、B級活劇専門俳優として不遇の時代を過ごした。しかしその間に、[[射撃]]、[[乗馬]]、[[格闘技]]を修得。不遇期間に主演したなかには『歌うカウボーイ、シンギング・サンディシリーズ』などというものもあり、馬にのりながら歌うシーンが残っている。
 
=== ジョン・フォードとの出会い ===
[[File:John Wayne-Vera Ralston in Dakota.jpg|thumb|right|200px|[[ヴェラ・ラルストン]]とともに。『[[ダコタ荒原]]』(1945年)の宣材写真]]
[[1939年]]、端役時代から友情を固めていた[[ジョン・フォード]]監督の大ヒット作『[[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]』に主演。やがてウェインは[[ヘンリー・フォンダ]]と並んでフォード作品の看板役者となる。<ref group="注釈">フォンダが静かで理知的かつ真面目な役をするのに対し、ウェインは[[wikt:アクティブ|アクティブ]]かつ粗野で乱暴な野性的な役を担当する事が多かった。</ref> その後も多くの作品を生み出し、幾つかはウェインの代表作となった。続く35年間で『[[アパッチ砦]]』、『[[黄色いリボン (映画)|黄色いリボン]]』、『[[リオ・グランデの砦]]』、『[[静かなる男]]』、『[[捜索者]]』、『荒鷲の翼』、『[[リバティ・バランスを射った男]]』と言ったフォードの映画20作以上に出演した。
 
ウェインは多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。[[1940年]]に[[徴兵]]が復活し、[[1945年]]に[[第二次世界大戦]]が終了するまでウェインは[[ハリウッド]]に残って21作の映画に出演した。[[1941年]]の[[真珠湾攻撃]]当時、彼は34歳で徴兵の該当年齢であったが、{{要校閲範囲|家族依存の理由で3-Aに分類され|date=2022年10月}}徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に{{要校閲範囲|2-Aに変更された|date=2022年10月}}
 
ウェインは[[西部劇]]や[[戦争映画]]に、俳優としての信念を賭けていたため、強く英雄的な役割を多く演じ、逞しく深みのあるヒーロー像を築いていった。生涯出演した154本もの映画のうち、79本は西部劇であった。その一方でコメディ映画や[[NBC]]のコメディ『ラフ・イン』にピンクのウサギの着ぐるみで出演するなどユーモアの感覚も持ち合わせていた。
 
=== スター ===
[[File:John Wayne (1960).jpg|thumb|right|200px|[[アムステルダム・スキポール空港|スキポール空港]]に到着したウェイン。1960年11月18日]]
[[1948年]]の[[ハワード・ホークス]]監督『[[赤い河]]』の大ヒットにより、翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクインし、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた。
 
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[[胃癌]]の悪化で、[[1979年]]5月1日よりカリフォルニア州[[ニューポートビーチ]]の[[カリフォルニア大学]]ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体は[[カリフォルニア州]]オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。
 
[[日本]]でも、[[毎日新聞]]に『'''ミスター・アメリカ死す'''』を始め、大きな見出しで出された。アメリカ各地でTBSは、6月18日の新聞に追悼広告を掲載。同日夜の番組、[[半旗月曜ロードショー]]が掲げられにて『ブラニガン』(1975年)を放送し<ref>広告欄『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月18日朝刊、13版、23面</ref>
後に[[日曜洋画劇場]]では淀川長治の解説と共に三週連続でジョン・ウェイン主演の三作品の映画が放送され追悼された。
 
死去の際、アメリカ各地では[[半旗]]が掲げられた。
 
入院期間中の6月5日には、当時の[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]である[[ジミー・カーター]]がウェインの見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。
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死の床で密かに記した墓碑銘は、「醜く、強く、確かに」である<ref>『20世紀全記録 クロニック』[[小松左京]]、[[堺屋太一]]、[[立花隆]]企画委員。[[講談社]]、1987年9月21日、p1141。</ref>。が、実際に刻まれた墓碑銘は以下の通りで、[[1971年]]の[[PLAYBOY]]誌でのインタビューでのウェインの言葉である。
 
{{Cquote|Tomorrow is themostthe most important thing in life. Comes into us at midnight very clean. It's perfect when it arrives and it puts itself in our hands. It hopes we've learned something from yesterday.(明日は人生において最も重要なことだ。真夜中にそれはとてもきれいにやって来る。届いて、それを手に取れたら完璧だ。そして昨日から何かを学ぶことを願いたいものだ。)}}
 
== 私生活人物 ==
{{出典の明記|date=2022年10月|section=1}}
* 私生活ではジョゼフィン・アリシア・シーンズ、エスペランザ・バウアー、パイラー・パレットと3回[[結婚]]した。ウェインにはジョゼフィンとの間に4人、パイラーとの間に3人の子供がいた。最も有名なのは俳優の[[パトリック・ウェイン]]である。ウェインの子供のうち1人を除いて全員が映画俳優となった。
* [[フリーメイソン]]の会員で、マリオン・マクダニエル・ロッジNo.56(Marion McDaniel Lodge No.56)に入会していた<ref>[http://www.lodgestpatrick.co.nz/famous2.php#M|Famous Freemasons M-Z]</ref>。
* 大変な酒豪であり「船を浮かべるほど、日にリットル単位」で飲んでいた。
* 出演していた西部劇の名作の作劇や演出は[[石ノ森章太郎]]原作の[[仮面ライダー]]シリーズに影響を与えたことで知られ、映像面では主に[[折田至]]が提唱し、ライダーの大ファンであり、[[仮面ライダーZX]]こと村雨良主演の漫画[[仮面ライダーSPIRITS]]シリーズの作者の[[村枝賢一]]もそういった視点からウェイン作品を見返したこともあると発言<ref>魂の仮面ライダー爆談!! COMPLETE+ 出版社 : [[辰巳出版]] (2011/4/22) {{ISBN2|4777809056}}。</ref>。また初期ライダーで[[立花藤兵衛]]を演じた[[小林昭二]]とショッカー首領などラスボス多くを演じた[[納谷悟朗]]はウェインのフィックス声優であり、ライダーとウェインは縁が深い<ref>別冊[[映画秘宝]] [[とり・みき]]の映画吹替王 ([[洋泉社]]MOOK) ムック – 2004/8/1</ref>。初代ライダーの[[藤岡弘、|藤岡弘]]もウェインのファンである。<ref>「仮面ライダーはどういう死に方をするのか?」藤岡弘、の問いに答えた、石ノ森章太郎の忘れられない一言 https://bunshun.jp/articles/-/62076 </ref>
* 死去直前の1979年5月26日、[[モーリーン・オハラ]]、[[エリザベス・テイラー]]、[[フランク・シナトラ]]、[[マイク・フランクヴィッチ]]、[[キャサリン・ヘプバーン]]、[[オマール・ブラッドリー]]将軍夫妻、[[グレゴリー・ペック]]、[[ロバート・スタック]]、[[ジェームズ・アーネス]]、[[カーク・ダグラス]]、[[ロバート・アルドリッチ]]、[[ジャック・レモン]]、[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・ステュアート]]など、多くのハリウッドスターや政界関係者は議会でジョン・ウェインが[[議会名誉黄金勲章|議会黄金勲章]]に値すると証言。それが認められて議会黄金勲章を受章した。
* 1980年6月9日、[[ジミー・カーター]]大統領から[[大統領自由勲章]]を授与された。
* [[ブルース・ウィリス]]は演技の手本としている俳優の一人にウェインの名前を挙げている<ref>{{citeCite web|url=http://www.biography.com/articles/Bruce-Willis-9533244|publisher=biography.com|title=Bruce Willis Biography|accessdate=June 7, 2010-06-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100603064510/http://www.biography.com/articles/Bruce-Willis-9533244|archivedate=2010年6月3日|deadlinkdate=-06-03}}</ref>。
 
== エピソード ==
* [[ブルース・ウィリス]]は演技の手本としている俳優の一人にウェインの名前を挙げている<ref>{{cite web|url=http://www.biography.com/articles/Bruce-Willis-9533244|publisher=biography.com|title=Bruce Willis Biography|accessdate=June 7, 2010|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100603064510/http://www.biography.com/articles/Bruce-Willis-9533244|archivedate=2010年6月3日|deadlinkdate=}}</ref>。
* 日本のテレビ局(TBS)は、6月18日の新聞に追悼広告を掲載。同日夜の番組、[[月曜ロードショー]]にて『ブラニガン』(1975年)を放送した<ref>広告欄『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月18日朝刊、13版、23面</ref>。
 
== 主な出演作品 ==
{| class="wikitable"
|-
!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
|-
|1929|| 最敬礼<br />''[[:en:Salute (1929 film)|Salute]]'' || ビル ||
|-
|1930|| [[ビッグ・トレイル ]]<br />''[[:en:The Big Trail|The Big Trail]]'' || ブレック・コールマン ||
|-
|rowspan="3"|1931|| 娘三人記<br />''[[:en:Three Girls Lost|Three Girls Lost]]'' || ゴードン ||
|-
| アリゾナ<br />''[[:en:Arizona (1931 film)|Arizona]]'' || ボブ・デントン ||
|-
| 鉄腕ジョーンズ<br />''[[:en:The Range Feud|The Range Feud]]'' || クリント・ターナー ||
|-
|rowspan="5"|1932|| テキサスの旋風<br />''[[:en:Texas Cyclone (film)|Texas Cyclone]]'' || スティーヴ・ピケット ||
|-
| 歓呼の涯<br />''[[:en:Lady and Gent|Lady and Gent]]'' || バズ ||
|-
| テキサスの若武者<br />''[[:en:Ride Him, Cowboy|Ride Him, Cowboy]]'' || ジョン ||
|-
| アリゾナ・ギャング<br />''[[:en:The Big Stampede|The Big Stampede]]'' || ジョン・スティール保安官 ||
|-
| [[金塊争奪]]<br />''[[:en:Haunted Gold|Haunted Gold]]'' || ジョン・メイソン ||
|-
|rowspan="3"|1933|| 討伐隊<br />''[[:en:The Telegraph Trail|The Telegraph Trail]]'' || ジョン・トレント ||
|-
| 砂漠の三銃士<br />''[[:en:The Three Musketeers (1933 serial)|The Three Musketeers]]'' || トム・ウェイン ||
|-
| 紅唇罪あり<br />''[[:en:Baby Face (film)|Baby Face]]'' || ジミー・マッコイJr ||
|-
|rowspan="8"|1934|| 大山脈の西<br />''[[:en:West of the Divide|West of the Divide]]'' || テッド・ハイドン ||
|-
| ブルースチール<br />''[[:en:Blue Steel (1934 film)|Blue Steel]]'' || ジョン ||
|-
| 快男児ランディ<br />''[[:en:Randy Rides Alone|Randy Rides Alone]]'' || ランディ ||
|-
| スター・パッカー<br />''[[:en:The Star Packer|The Star Packer]]'' || ジョン・トラヴァーズ ||
|-
| 遥かなる旅<br />''[[:en:The Trail Beyond|The Trail Beyond]]'' || ロッド・ドリュー ||
|-
| ユタから来た男<br />''[[:en:The Man from Utah|The Man from Utah]]'' || ジョン・ウエストン ||
|-
| 無法辺境地帯<br />''[[:en:The Lawless Frontier|The Lawless Frontier]]'' || ジョン・トビン ||
|-
| アリゾナの空の下で<br />''[[:en:'Neath the Arizona Skies|'Neath the Arizona Skies]]'' || クリス・モレル ||
|-
|rowspan="3"|1935|| テキサスの恐怖<br />''[[:en:Texas Terror (film)|Texas Terror]]'' || ジョン・ヒギンズ ||
|-
| 夜明けの男<br />''[[:en:The Dawn Rider|The Dawn Rider]]'' || ジョン・メイソン ||
|-
| パラダイスキャニオン<br />''[[:en:Paradise Canyon|Paradise Canyon]]'' || ジョン・ワイアット ||
|-
|1936|| 沿岸警備隊<br />''[[:en:Sea Spoilers|Sea Spoilers]]'' || ボブ・ランダル ||
|-
|rowspan="2"|1937|| 猛獣国横断<br />''[[:en:I Cover the War!|I Cover the War!]]'' || ボブ・アダムス ||
|-
| [[荒原の激闘|<br />(別題)荒原の激闘<br />(別題)西部地獄街,荒野の激闘,荒原の激闘<br />''[[:en:Born to the West|Born to the West]]''<br />(別題)''Hell Town''
| デア・ラッド
''Born to the West,Hell Town''
| 本作は日本語タイトル3種類、<br />英語タイトル2種類あり。
| デア・ラッド
| 本作は日本語タイトル三種類、英語タイトル二種類あり。
|-
|rowspan="3"|1939 || [[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]<br />''[[:en:Stagecoach (1939 film)|Stagecoach]]'' || リンゴ・キッド ||
|-
| [[アレゲニーの反乱 (1939年の映画)|アリゲニー高原の暴動]] <br />''[[:en:Allegheny Uprising|Allegheny Uprising]]'' || ジム・スミス ||
|-
| [[暗黒の命令]]<br />''Dark Command'' || ボブ・シートン ||
|-
|rowspan="3"|1940 || [[砂塵の町]]<br />''Three Faces West'' || ジョン・フィリップス ||
|-
| [[果てなき航路]] <br />''[[:en:The Long Voyage Home|The Long Voyage Home]]'' || オーレ・オルセン ||
|-
| [[妖花 (映画)|妖花]] <br />''Seven Sinners'' || ダン・ブレット ||
|-
|rowspan="23"|1941|| [[暴力街 (1941年の映画)|暴力街]]<br />''A Man Betrayed'' || リン・ホリスター ||
|-
| [[暗黒街静かなる男王者]]<br />''TheLady Shepherdfrom of the HillsLousisiana'' ||  ||
|-
| [[丘の静かなる男]]<br />''The Shepherd of the Hills'' || ||
|rowspan="7"|1942 || 或る夜の貴婦人<br />''Lady for a Night'' || ジャクソン・モーガン ||
|-
|rowspan="7"|1942年 [[絶海の嵐]]|| 或る夜の貴婦人<br />''Reap[[:en:Lady thefor Wilda WindNight|Lady for a Night]]'' || ジャソンスチュワガン ||
|-
| [[スポイラース (1942年絶海映画)|スポイラース]] <br />''TheReap Spoilersthe Wild Wind'' || ロイジャック・スチュワート ||
|-
| [[西部スポイラース (1942年顔役映画)|スポイラース]] <br />''InThe Old CaliforniaSpoilers'' || トム・クレ ||
|-
| [[フライング・タイガー (映画)|フライング・タイガー西部の顔役]] <br />''[[:en:FlyingIn TigersOld (film)|Flying Tigers]]California'' || ム・ゴードンクレイグ ||
|-
| [[フライング・タイガー (映画)|フライング・タイガー]] <br />''Flying Tigers'' || ジム・ゴードン ||
| 男性都市<br />''Pittsburgh'' || ピッツバーグ・マーカム ||
|-
| 再会のパリ男性都市<br />''Reunion[[:en:Pittsburgh in(1942 Francefilm)|Pittsburgh]]'' || ツバーグタルボットマーカム ||
|-
| 再会のパリ<br />''[[:en:Reunion in France|Reunion in France]]'' || パット・タルボット ||
|rowspan="2"|1943|| [[西部を駆ける恋]]<br />''A Lady Takes a Chance'' || デューク ||
|-
|rowspan="2"|1943年|| [[硝煙の新天地西部を駆ける恋]]<br />''InA OldLady OklahomaTakes a Chance'' || ダニエル・F・ソマデュ ||
|-
|rowspan="2"|1944 || [[血戦奇襲部隊硝煙の新天地]]<br />''TheIn FightingOld SeabeesOklahoma'' || ダニッジドノヴァンF・ソマーズ ||
|-
|rowspan="2"|1944年 || [[拳銃の町血戦奇襲部隊]]<br />''[[:en:TallThe inFighting the Saddle|Tall in the Saddle]]Seabees'' || ウエクリジ・ドノヴァン || 兼製作
|-
|rowspan="4"|1945 ||[[拳銃]]<br />''FlameTall ofin Barbarythe CoastSaddle'' || デューロッ・ファーガスリン || 兼製作
|-
|rowspan="4"|1945年 ||[[バターンを奪回せよ炎の街]] <br />''[[:en:BackFlame toof Bataan|BackBarbary to Bataan]]Coast'' || ジョセデューク・・マッデンァーガス ||
|-
| [[ダコ荒原ーンを奪回せよ]] <br />''DakotaBack to Bataan'' || ジョセフマッヴリン ||
|-
| [[レヒドール戦記タ荒原]] <br />''[[:en:TheyDakota Were Expendable|They Were Expendable]]'' || ラスティジョンライアデヴリン ||
|-
|1946|| [[恋愛超特急]]<br />'' Without Reservations'' || ラスティ ||
|-
| [[コレヒドール戦記]] <br />''They Were Expendable'' || ラスティ・ライアン ||
|rowspan="2"|1947 || [[拳銃無宿 (1947年の映画)|拳銃無宿]]<br />''[[:en:Angel and the Badman|Angel and the Badman]]'' || クワート・エヴァンス || 兼製作
|-
|1946年|| [[タイクーン (映画)|タイクーン恋愛超特急]]<br />'' TycoonWithout Reservations'' || ジョニーラスティ ||
|-
|rowspan="42"|19481947年 || [[アパッチ砦拳銃無宿 (1947年の映画)|拳銃無宿]] <br />''[[:en:FortAngel Apacheand (film)|Fortthe Apache]]Badman'' || カービクワヨーク大尉エヴァンス || 兼製作
|-
| [[タイクーン (映画)|タイクーン]]<br />'' Tycoon'' || ジョニー ||
| [[赤い河]] <br />''[[:en:Red River (1948 film)|Red River]]'' || トーマス・ダンソン ||
|-
|rowspan="4"|1948年 || [[三人の名付親アパッチ砦]] <br />''[[:en:3Fort Godfathers|3 Godfathers]]Apache'' || ボブカービーハイタワク大尉 ||
|-
| [[怒涛の果て赤い河]] <br />'' Wake of the Red WitchRiver'' || トーマス・ダンソン ||
|-
|rowspan="3"|1949 || [[ケンタッキー魂三人の名付親]] <br />''The3 Fighting KentuckianGodfathers'' || ジョン・・ハイタワ ||
|-
| [[怒涛の果て]]<br />'' Wake of the Red Witch'' || ||
| [[黄色いリボン (映画)|黄色いリボン]] <br />''[[:en:She Wore a Yellow Ribbon|She Wore a Yellow Ribbon]]'' || ネイサン・ブリトルス ||
|-
|rowspan="3"|1949年 || [[硫黄島の砂ケンタッキー魂]] <br />''[[:en:SandsThe ofFighting Iwo Jima|Sands of Iwo Jima]]Kentuckian'' || ジョン・M・ストライカブリ || アカデミー主演男優賞ノミネート
|-
| 1950 || [[黄色いオ・グラボン (映画)|黄色いリボデの砦]] <br />''[[:en:RioShe GrandeWore (film)|Rioa Grande]]Yellow Ribbon'' || カービィネイサンヨーク少佐ブリトルス ||
|-
| [[硫黄島の砂]] <br />''Sands of Iwo Jima'' || ジョン・M・ストライカー || アカデミー主演男優賞ノミネート
| rowspan="2"|1951 || [[太平洋機動作戦]]<br />''Operation Pacific'' || デューク ||
|-
| 1950年 || [[太平洋航空作戦 (1951年リオ・グランデ映画)|太平洋作戦]] <br />''[[:en:FlyingRio Leathernecks|Flying Leathernecks]]Grande'' || ダン・カービィ・ヨーク少佐 ||
|-
| rowspan="2"|19521951年 || [[静かなる男太平洋機動作戦]] <br />''[[:en:TheOperation Quiet Man|The Quiet Man]]Pacific'' || ショーン・ソデュントン ||
|-
| [[ハワイ太平洋航空作戦 (1951年陰謀映画)|太平洋作戦]] <br />''BigFlying Jim McLainLeathernecks'' || ジムダン・カービィ ||
|-
|rowspan="32"|19531952年 || [[勝負に賭け静かなる男]] <br />''TroubleThe AlongQuiet the WayMan'' || スティション・ソーントン ||
|-
| [[ハワイ叫び陰謀]]<br />''IslandBig inJim the SkyMcLain'' || ドゥーリイジム ||
|-
|rowspan="3"|1953年 [[ホンドー]]|| 勝負に賭ける男<br />''[[:en:HondoTrouble (film)Along the Way|HondoTrouble Along the Way]]'' || ホンドスティ・レイン ||
|-
| 1954 || [[紅翼]] 叫び<br />''The[[:en:Island Highin andthe Sky (1953 film)|Island in the MightySky]]'' || ダン・ロドゥマンリイ ||
|-
|rowspan="2"|1955 || [[男の魂ホンドー]]<br />''The Sea ChaseHondo'' || ホンドエーリッヒレイン ||
|-
| 1954年 || [[中共脱出紅の翼]] <br />''BloodThe AlleyHigh and the Mighty'' || トム・ワイルン・ロマン ||
|-
|rowspan="32"|19561955年 || [[捜索者男の魂]]<br />''[[:en:The SearchersSea (film)|The Searchers]]Chase'' || サン・エドワリッヒ ||
|-
| [[征服者 (1956年の映画)|征服者中共脱出]] <br />''TheBlood ConquerorAlley'' || ジン・ワイルダー ||
|-
|rowspan="3"|1956年 || [[荒鷲の翼捜索者]]<br />''The Wings of EaglesSearchers'' || フライーサウィーワーズ ||
|-
|rowspan="2"|1957|| [[ジェット・パイロット征服者 (1956年の映画)|征服者]]<br />''JetThe PilotConqueror'' || ・シャノン ||
|-
| [[荒鷲の翼]]<br />''The Wings of Eagles'' || フランク・ウィード ||
|-
|rowspan="2"|1957年|| [[ジェット・パイロット]]<br />''Jet Pilot'' || ジム・シャノン ||
|-
| [[失われたものゝ伝説]]<br />''Legend of the Lost'' || ジョー・ジャニュアリー ||
|-
| 1958 || [[黒船 (映画)|黒船]] <br />''[[:en:The Barbarian and the Geisha|The Barbarian and the Geisha]]'' || [[タウンゼント・ハリス]] ||
|-
|rowspan="2"|1959 || [[リオ・ブラボー]] <br />''[[:en:Rio Bravo (film)|Rio Bravo]]'' || ジョン・T・チャンス ||
|-
| [[騎兵隊 (映画)|騎兵隊]] <br />''[[:en:The Horse Soldiers|The Horse Soldiers]]'' || ジョン・マーロウ ||
|-
|rowspan="2"|1960 || [[アラモ (1960年の映画)|アラモ]]<br />''[[:en:The Alamo (1960 film)|The Alamo]]'' || デイビー・クロケット ||監督・製作
|-
| [[アラスカ魂]] <br />''[[:en:North to Alaska|North to Alaska]]'' || サム・マコード ||
|-
| 1961 || [[コマンチェロ]] <br />''[[:en:The Comancheros|The Comancheros]]'' || ジェイク・カッター ||
|-
|rowspan="4"|1962 || [[リバティ・バランスを射った男]]<br />''[[:en:The Man Who Shot Liberty Valance|The Man Who Shot Liberty Valance]]'' || トム ||
|-
| [[ハタリ!]] <br />''[[:en:Hatari!|Hatari!]]'' || ショーン ||
|-
| [[史上最大の作戦]] <br />''[[:en:The Longest Day (film)|The Longest Day]]'' || ベンジャミン・バンダーボルト中佐 ||
|-
| [[西部開拓史 (1962年の映画)|西部開拓史]] <br />''[[:en:How the West Was Won (film)|How the West Was Won]]'' || [[ウィリアム・シャーマン|ウィリアム・シャーマン将軍]] ||
|-
|rowspan="2"|1963 || [[ドノバン珊瑚礁]] <br />''[[:en:Donovan's Reef|Donovan's Reef]]'' || マイケル・ドノバン ||
|-
| [[マクリントック (映画)|マクリントック]] <br />''McLintock!'' || ジョージ・ワシントン・マクリントック ||
|-
|1964|| [[サーカスの世界]]<br />''Circus World'' || マット・マスターズ ||
|-
|rowspan="3"|1965 || [[偉大な生涯の物語]] <br />''The Greatest Story Ever Told'' || 処刑部隊百人隊隊長 ||
|-
| [[危険な道]] <br />''[[:en:In Harm's Way|In Harm's Way]]'' || ロックウェル・トリー大佐 ||
|-
| [[エルダー兄弟]] <br /> ''[[:en:The Sons of Katie Elder|The Sons of Katie Elder]]'' || ジョン・エルダー ||
|-
|rowspan="2"|1966 || [[巨大なる戦場]]<br />''Cast a Giant Shadow'' || マイク・ランドルフ ||
|-
| [[エル・ドラド (1966年の映画)|エル・ドラド]] <br />''El Dorado'' || コール・ソーントン ||
|-
| 1967 || [[戦う幌馬車]] <br />''[[:en:The War Wagon|The War Wagon]]'' || トウ・ジャクソン ||
|-
|rowspan="2"|1968 || [[グリーン・ベレー (映画)|グリーンベレー]] <br />''[[:en:The Green Berets (film)|The Green Berets]]'' || カービー || 監督
|-
| [[ヘルファイター]]<br />''[[:en:Hellfighters (film)|Hellfighters]]'' || チャンス・バックマン ||
|-
|rowspan="2"|1969|| [[勇気ある追跡]]<br />''[[:en:True Grit (1969 film)|True Grit]]'' || ルースター・コグバーン || [[アカデミー主演男優賞]] 受賞<br /> [[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)]] 受賞
|-
| [[大いなる男たち]] <br />''[[:en:The Undefeated (1969 film)|The Undefeated]]'' || ジョン・ヘンリー・トーマス ||
|-
|rowspan="2"|1970 || [[チザム]] <br />''[[:en:Chisum|Chisum]]'' || ジョン・チザム ||
|-
| [[リオ・ロボ]] <br />''Rio Lobo'' || コード・マクナリー ||
|-
| 1971 || [[100万ドルの血斗]] <br />''Big Jake'' || ジェイコブ・マッキャンドルズ ||
|-
| 1972 || [[11人のカウボーイ]] <br />''[[:en:The Cowboys|The Cowboys]]'' || アル・アンデルセン ||
|-
|rowspan="2"|1973 || [[大列車強盗 (1973年の映画)|大列車強盗]] <br />''[[:en:The Train Robbers|The Train Robbers]]'' || レイン ||
|-
| [[ビッグケーヒル]]<br />''Cahill U.S. Marshal'' || J・D・ケーヒル ||
|-
| 1974 || [[マックQ]]<br />''McQ'' || ロン・マックQ警部補 ||
|-
|rowspan="2"|1975 || [[ブラニガン]]<br />''Brannigan'' || ジム・ブラニガン警部補 ||
|-
| [[オレゴン魂]]<br />''[[:en:Rooster Cogburn (film)|Rooster Cogburn]]'' || ルーベン・J・“ルースター”コグバーン ||
|-
| 1976 || [[ラスト・シューティスト]] <br />''[[:en:The Shootist|The Shootist]]'' || J・B・ブックス ||
|-
|}
 
== 日本語吹き替え ==
主に担当したのは以下の2人である。
 
;[[小林昭二]]
[[小林昭二]]::[[1966年]]にNETテレビ(現[[テレビ朝日]])の『[[日曜洋画劇場|土曜洋画劇場]]』でウェインの映画が放送される際に起用されて以降、他局も小林を起用するようになり、その後はほぼ専属で担当。小林の声質はウェインに非常に近く、吹き替えファンからも[[フィックス]]と支持されている<ref name="fukikae-no-teioh">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20121112072824/http://video.foxjapan.com/library/fukikae/column.html|title=吹替の帝王 コラム(2012年11月におけるアーカイブ)|accessdate=20172023-0209-2124}}</ref>。ただし、最初に小林を起用したNETテレビは小林とトラブル<ref group="注釈">『[[史上最大の作戦]]』と先約だった他局の別のウェイン出演作とダブルブッキングしてしまった為{{要出典|date=2020年3月}}(代役は[[佐野浅夫]])</ref> があったため、[[1970年]]に放送された『[[スポイラース (1942年の映画)|スポイラース]]』を最後に起用されなくなり、小林による吹替が存在する映画も再放送の際に[[納谷悟朗]]を起用して新録するようになった<ref group="注釈">例:『[[三人の名付親]]』、『[[捜索者]]』、『[[コマンチェロ]]』等</ref>。
 
;[[納谷悟朗]]
[[納谷悟朗]]::「もうひとりのジョン・ウェイン声優」として定着している<ref name="fukikae-no-teioh" />。上記の小林とのトラブルにより、途中から、主にNETテレビ、テレビ朝日で起用され担当するようになった<ref>『大乱闘[[緯度0大作戦]]DVDチャンピオンまつり短縮版』</ref>。納谷も本来の声質はウェインのものに近かったが、最初の収録の際に[[地声]]で演技すると演出家からNGを出され、最終的にウェインの体格に合った野太い声で演じるようになった<ref name="fukikae-no-teioh" /><ref>https://www.superdramatv.com/alacarte/seiyuu/detail3.html</ref>。
 
また、上記2名より過去には[[糸博]]が東京12ch(現:[[テレビ東京]])系列で多く務めていたほか、[[小林修 (声優)|小林修]]や[[小林清志]]、[[宮部昭夫]]、[[前田昌明]]、[[松宮五郎]]、[[矢嶋俊作]]などが複数回起用されている。専属の小林、納谷と共演していた[[大平透]]は『納谷悟朗も、もちろん上手いですけど、でもやっぱり小林昭二はそれなりのものを持っていた。』と後年語っていた<ref> 「とり・みきの映画吹替王」14ページ</ref>。
 
== 受賞歴 ==
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* [[ジョン・ウェイン空港]] - カリフォルニア州の空港
* [[コブラ (映画)]] - 主人公・コブレッティのファーストネームがジョン・ウェインと同じで、彼はこれを嫌って通称の「コブラ」と周囲に呼ばせている。
* MCI[[レーション]] - 内容物のうち、B-2ユニットのハードビスケットは「ジョン・ウェイン・クッキー」と俗称された。
 
== 脚注 ==
{{Reflist脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|35em}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|John Wayne}}
* {{allcinema name|3910|ジョン・ウェイン}}
* {{Kinejun name|2521|2=ジョン・ウェイン}}
* {{IMDb name|78|John Wayne}}
* [http://www.jwci.org/ John Wayne Cancer Institute]
378 ⟶ 375行目:
{{ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) 1943-1960}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:うえいん しよん}}
[[Category:アメリカ合衆国の男優]]