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'''堀江メール問題'''(ほりえメールもんだい)とは、[[2006年]]の日本の[[第164回通常国会]]において、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]所属の衆議院議員
当初から証拠とされた
== 当時の政治状況 ==
この中で
==
役職・肩書は、いずれも当時のものである。
=== 永田による追及と小泉首相による即日否定 ===
2006年2月16日。衆議院[[予算委員会]]で[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[永田寿康]]は、「([[ライブドア事件]]に絡み)証券取引法違反で起訴された[[ライブドア]]元社長の[[堀江貴文]]被告が、2005年8月26日付の社内電子メールで、自らの衆院選出馬に関して、[[武部勤]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]の次男に対し、選挙コンサルタント費用として3000万円の振込みを指示した」などと指摘し、政権与党である自民党の責任を追及した<ref>国会会議録検索システム「[
永田の追求が事実であれば、渦中の人物による政権与党幹部との
一方、永田は、疑惑は事実であること、証拠となる電子メールを持っているとメディアの取材に答えた。民主党も、党首の[[前原誠司]]から、証拠の確度は高く、永田の指摘は妥当だとし、党として後援する旨のコメントを出した。さらに[[野田佳彦]]国対委員長は、[[国政調査権]]の発動についても言及し、指摘が不当というなら与党は同意すべきだと述べた。
なお、マスコミは当初より慎重であり、小泉政権に批判的だった[[朝日新聞]]も
=== メールの真偽攻防 ===
2月18日。民主党はメールの写しを公表
2月22日。党首討論において前原は前日に予告していた新証拠は提示せず、国政調査権の発動を担保に(メールの写し公表時には隠していた)口座を明かすと持ちかけたが、小泉は拒否する。前日に前原は疑惑追及に期待を持たせる発言をしていたため、マスコミの批判を受ける。また、有権者からの反感も買い、民主党や永田、および前原への抗議の電話が殺到した。
一方、当事者の永田は2月19日から公の場に一切姿を現さず、雲隠れしたと批判されていた(後の民主党の内部調査報告書によると、これまで調査等を支えてきた[[手塚仁雄]]前衆議院議員とともに引き続き調査を続けていたという)。その後、2月23日になり、永田は民主党の[[鳩山由紀夫]]幹事長に辞職の意向を述べたが、鳩山の判断で心神喪失を理由に入院することとなり、手塚の親族が経営する病院に入院し、辞職については保留となった。
2月27日。証拠とされたメールは、送受信が同一のメールアドレスだったと判明する(すなわち自作自演だった)。さらに翌2月28日にはライブドアは社内調査により、この電子メールを送った従業員がいないと報告した。
2月28日、永田は一連の問題について事情説明を行うとして記者会見を行い、証拠として信頼性が不十分なメールを提示して国会審議を混乱させ、関係者に迷惑を掛けたと謝罪した。しかし、同時に「疑惑はまだ消えていない」と主張したため、小泉は「何のための謝罪なのかわからない」、武部は「全く謝罪になっていない」と批判した。また、武部は永田の謝罪申し入れも拒否した。
=== 前原の代表辞任と永田の議員辞職 ===
3月2日。永田は一転して「メールは誤りだった」と述べ、一連の疑惑追及の非を認める。しかし、自民党やマスコミから求められた
メール問題の真相究明は懲罰委員会に移り、民主党内部でも疑惑解明や事態収集のために、永田に仲介者の実名を公表するよう圧力がかけられたが、永田は頑なにメール仲介者の実名公表を拒んだ(当初の記者会見では、情報提供者について「名前を出すと[[エイチ・エス証券|エッチエス証券]]の[[野口英昭|野口]]さんみたいにされると本人が恐れているので出せない」とコメントしていた)。
永田自身も、この仲介者に騙された被害者という立場を取れる余地があるにもかかわらず拒否したことに、永田と仲介者との間で金銭のやりとりがあったのではないかという疑惑が提示されることとなる。なお、自民党の[[平沢勝栄]]は、民主党が証拠とされる電子メールを公開した当時から、同時期に問題となった電子メールを入手していたと公表し、後に仲介者は雑誌『[[Dumont]]』発行元、[[デュモンマーケティング]]社長の西澤孝だと既に指摘しており、同様に『[[週刊新潮]]』など週刊誌も西澤を挙げていた。
3月24日、懲罰委員会において永田はメールの仲介者が西澤であることを公表し、また、自身は西澤に騙されたと語った。これを受けて同委員会では4月4日に西澤の証人喚問を行なうことが決まり、同日に西澤は弁護士を通し、証人喚問を行わないように申し入れを行った(この証人喚問は後述の通り、永田の議員辞職に伴い開催されず)。また、永田は変わらず議員辞職の可能性を否定した。▼
▲3月24日、懲罰委員会において永田は、電子メールの仲介者が西澤であることを公表し、また、自身は
3月31日、前原は記者会見を開き、永田を議員辞職させられなかったとして、党首を辞任すると報告した(合わせて鳩山も幹事長を辞任)。これを受けて、頑なに辞職を否定していた永田も、即日でメール問題の責任を取って議員辞職した。このため、永田に対する懲罰動議審議も途中で打ち切りとなり、仲介者である西澤の証人喚問も中止となった。また同日、民主党は、「民主党 「メール」問題検証チーム報告書」をホームページに公開し、事の経緯や党の責任などについて言及した。▼
▲3月31日、前原は記者会見を開き、永田を議員辞職させられなかったとして、党首を辞任する
=== 影響・その後 ===
小泉
一方の民主党も、
この一件において被害者となった堀江
当事者である永田は、{{要出典|範囲=国政復帰を模索したが、民主党から除籍され、無所属での衆院選出馬などを試みたが適わなかった。親族が経営する会社に入社するも、
もう一人の当事者である西澤は、この件で
== 「堀江メール」の疑問点 ==
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* 「何か問題があったら」「@堀江」といった隠す必要のない場所が隠されている。さらに糾弾する相手の名前である「武部」も隠している。
* 上記「武部」があったとされる塗りつぶし箇所が1字分の幅しかない。
* 堀江が利用していた[[Eudora]]最新版とは違う形式のメール表示になっている。
* 「シークレット」の「ー」が「―」(ダッシュ)になっている。
* 堀江が送るメールの特徴とされるメール本文の最後尾に表示される堀江のフッター広告が無い。
* 文中に「宮内の指示を仰いで」と、当時の取締役であった[[宮内亮治]]の名前が出ているが、堀江は宮内を社内では「さん付け」で呼んでいた<ref>{{Cite book|和書
|author=大鹿靖明
|authorlink=大鹿靖明
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メールの実物についても、当初から堀江は東京地方検察庁の取り調べに対し、送っていないと答えていた。東京地方検察庁[[特別捜査部]]は、ライブドア事件の捜査において同社のメールサーバーを押収していたため、当初からメールが存在しないことを確証しており、小泉が即日否定できたのはこの報告を受けていたためとされる。また、先述の通り、平沢勝栄は、永田と同時期にメールを入手しており、この電子メールが複数出回っていたことから、当初から信頼性が低いとみなしていた。
== 永田寿康の責任の所在について ==
[[日本国憲法第51条]]においては「国会議員が議院内で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」とあり、院内での発言によって生じた武部や堀江への名誉毀損は、刑事・民事問わず、永田の責任が問われることはない。ただし、永田はテレビのワイドショーでも同様の発言を行っており、この院外での発言については同条項は適
また、これは国会議員による無分別な答弁を無条件で認めるものではなく、[[国会法]]第119条及び第120条では、このような答弁を行った議員を処罰できる余地を残しており、同法第15章「懲罰」において懲罰委員会の結成など、議員に対する懲罰が認められている。これに基づき、3月2日に懲罰委員会が立ち上がり、永田の責任が追及された。
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* この事より永田が堀江メールを信用したのは、西澤を単純に信用したのでなく、紹介を受けた議員と議員秘書を信用していたから堀江メールも疑わなかったのではないか、永田一人の問題でなく、紹介した議員秘書ならび、民主党自体にも問題があったとの考えがメディアから生まれていった。なお、その後、民主党から紹介した議員秘書および議員の氏名は公開されずに終わった。
* [[藤末健三]]はブログ<ref name="fujisue">
{{Cite web|和書
|author=藤末健三
|date=2006-03-06
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* 雑誌『[[Dumont]]』発行元、[[デュモンマーケティング]]社長(当時)
* かつて[[週刊ポスト]]において[[清原和博]]に対する捏造記事を書き、当時の最高額となる1,000万円の賠償金を命じられる。
* [[週刊現代]]においても[[テレビ朝日]]従業員の[[龍円愛梨]]に対する記事を書き、
* 永田と同時期に電子メールを入手していた平沢勝栄は、当初から独自に西澤を身辺調査していると明かしており、「西澤は週刊ポストで『清原の嘘記事』を作ったり、プロレス業界でも興行約束を破ったりした人だ」と指摘していた。
* 上記のことから業界では、西澤は数々の捏造記事を持ち込むことで以前から有名であり、このことから、西澤を出入り禁止にする出版社も複数存在していた。メール問題が持ち上がり、各メディアも取材を始めたものの、電子メールの出元が西澤と判ると、一斉に取材を引き上げた。
* 西澤はその後
* かつては[[修斗]]において1991年8月3日にプロデビューしたらしい(結果は敗北)。その後、戦績は94年までで1勝2敗。
== 類似事件 ==
この問題と類似した問題として、当時の衆議院議員[[楢崎弥之助]]が
== その他 ==
後に民主党の政治資金収支報告書によると、2007年5月28日に上述の永田議員が
== 脚注 ==
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* [[国政調査権]]
* [[証明責任]](挙証責任、立証責任)
* [[前原誠司]]▼
== 外部リンク ==
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* [http://archive.dpj.or.jp/news/?num=7603 民主党 「メール」問題検証チーム報告書(民主党web-site)]
* [http://archive.dpj.or.jp/news/?num=6535 平野総合調整局長、「メール」問題の外部調査報告書を発表]
* [https://web.archive.org/web/20060409214502/http://www.fujisue.net/archives/2006/03/dumont.html 「Dumontのフリージャーナリストの件」( 民主党 藤末健三 公式ウェブサイト)]
* [https://web.archive.org/web/20080513191719/http://www.dakara-daisuke.com/blog/archives/200603/07-1731-001212.shtml 「雑誌デュモンについて」( 民主党 松本大輔 ブログ 2006/03/07)]
* [https://web.archive.org/web/20150214162941/http://www.policyspace.com/2006/09/post_555.php 「政策空間」内「題材:メール騒動の黒幕にされる」(2006年09月10日 大西健介)]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }}
* [https://web.archive.org/web/20090818033841/http://www.election.ne.jp/10679/2047.html 「まぶちすみおの「不易塾」日記」内「題材:メール問題のその後」(2006/3/08 馬淵澄夫)]
* [https://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10421998923.html 「民主党と遂に和解。そして来年の参院選」(2009/12/29 元ライブドア社長 堀江貴文)]
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[[Category:ライブドア]]
[[Category:堀江貴文]]
[[Category:自殺事件]]
[[Category:2006年2月]]
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