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{{No footnotes|date=2015年9月}}▼
{{政治家
|人名 = 東久世 通禧<br />ひがしくぜ みちとみ
|画像 = Michitomi Higashikuze.jpg
|画像説明 = 有爵者大礼服に[[勲一等旭日桐花大綬章]]を着用した東久世
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|現職 =
|所属政党 =
|称号・勲章 = [[従一位]]<br/> [[File:JPN Toka-sho BAR.svg|38px]] [[勲一等旭日桐花大綬章]]<br />[[伯爵]]
|親族(政治家) =
|配偶者 = 東久世貞子
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|退任日2 = [[1891年]][[8月1日]]
|国旗3 = 日本
|職名3 = 第2代 [[開拓
|就任日3 = [[1869年]][[9月13日]]
|退任日3 = [[1871年]][[5月9日]]
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|退任日7 = 1868年[[3月13日]]
}}
'''東久世 通禧'''(ひがしくぜ みちとみ、[[1834年]][[1月1日]] 〈[[天保]]4年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]
[[七卿落ち]]で長州に逃れた[[尊王攘夷]]派公卿の1人<ref>{{Cite news|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E4%B8%96%E9%80%9A%E7%A6%A7/|title=東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の解説|publisher=goo人名事典|accessdate=2020-02-28}}</ref>。[[王政復古 (日本)|王政復古]]後は[[外務大臣 (日本)|外国事務総督]]を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。[[神奈川県知事|神奈川府知事]]、[[
== 生涯 ==
天保4年(1833年)、[[東久世通徳]](みちなる、1816年 - 1835年)の子として京都に生まれる。幼名は保丸。
天保13年(1842年)、東宮統仁親王(後の[[孝明天皇]])付きの[[御児]]として召し出され、所謂「御学友」的な存在として位置づけられていた<ref>林大樹『天皇近臣と近世の朝廷』(吉川弘文館、2021年) P108-109・136-137.</ref>。
[[幕末]]の[[朝廷]]で少壮の公家として[[尊王攘夷]]を唱え活躍した。しかし[[文久]]3年([[1863年]])、[[八月十八日の政変]]によって、朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移ると、[[長州藩]]兵に守られ、[[三条実美]]・[[三条西季知]]・[[澤宣嘉]]・[[壬生基修]]・[[四条隆謌]]・[[錦小路頼徳]]とともに船で[[長州]]へ逃れた。このことを世に「'''[[七卿落ち]]'''」という。[[元治]]元年([[1864年]])、長州から[[大宰府]]に移された。▼
▲[[幕末]]の[[朝廷 (日本)|朝廷]]で少壮の公家として[[尊王攘夷]]を唱え活躍した。しかし[[文久]]3年([[1863年]])、[[八月十八日の政変]]によって、朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移ると、[[長州藩]]兵に守られ、[[三条実美]]・[[三条西季知]]・[[澤宣嘉]]・[[壬生基修]]・[[四条隆謌]]・[[錦小路頼徳]]とともに船で[[長州]]へ逃れた。このことを世に「'''[[七卿落ち]]'''」という。[[元治]]元年([[1864年]])、長州から[[大宰府]]に移された。
[[慶応]]4年([[1868年]])、[[王政復古 (日本)|王政復古]]によって復権を果たす。[[1月17日]]に[[外務大臣 (日本)|外国事務総督]]の1人となり、明治政府最初の外交問題・[[神戸事件]]の対応責任者となり[[伊藤博文]]と共に外国と協議。[[3月19日]]には[[横浜裁判所]]総督となった。通禧の在任した半年の間に[[神奈川裁判所]]総督・[[神奈川府]]知事と名称が変遷したこの職は現在の[[神奈川県知事]]に相当するものである。▼
▲[[慶応]]4年([[1868年]])、[[王政復古 (日本)|王政復古]]によって復権を果たす。[[1月17日]]に[[外務大臣 (日本)|外国事務総督]]の1人となり
明治2年([[1869年]])8月25日、第2代[[開拓使|開拓長官]]に任命された。前任の[[鍋島直正]]が実務にとりかかる前に辞職したため、実質的に[[開拓使]]の事業を始動させたのは通禧である。9月21日、開拓使吏員、農工民約200人をともない、イギリスの雇船テールス号で品川を出帆。9月25日に[[函館市|箱館]]に着任した。なお、同月には王政復古の功績として[[賞典禄]]1000石を給されている。翌年、[[ガルトネル開墾条約事件]]の和解にこぎつける。▼
▲明治2年([[1869年]])8月25日、第2代[[
明治4年([[1871年]])10月15日、[[侍従長]]に転じる。この年、[[岩倉具視]]を全権とする[[岩倉使節団]]に随行し、見聞を広める。
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明治15年([[1882年]])、[[元老院 (日本)|元老院]]副議長。[[華族令]]施行に伴い、明治17年([[1884年]])に[[伯爵]]に叙されている。[[東久世家]]の家格は[[羽林家]]であり、本来は[[子爵]]相当であったが、明治維新における通禧の功が考慮されて伯爵とされた。叙爵の時点で功績が考慮された公家は、岩倉具視や三条実美など数少ない。
明治21年([[1888年]])に[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]、明治23年([[1890年]]
明治31年(1898年)、[[松浦詮|松浦詮(心月庵)]]が在京の[[華族]]、知名士等と設立した輪番茶事グループ「[[和敬会]]」の会員となる。会員は、青地幾次郎(湛海)・[[石黒忠悳|石黒忠悳(况翁)]]・[[伊藤雋吉|伊藤雋吉(宗幽)]]・[[伊東祐麿|伊東祐麿(玄遠)]]・岩見鑑造(葎叟)・[[岡崎惟素|岡崎惟素(淵冲)]]・金澤三右衛門(蒼夫)・[[戸塚文海|戸塚文海(市隠)]]・[[東胤城|東胤城(素雲)]]・[[久松勝成|久松勝成(忍叟)]]・松浦恒(無塵)・[[三田葆光]](櫨園)・[[三井高弘|三井高弘(松籟)]]・[[安田善次郎|安田善次郎(松翁)]]の以上16人(後に[[益田孝|益田孝(鈍翁)]]、[[高橋義雄 (茶人)|高橋義雄(箒庵)]]が入会)で、世に「[[十六羅漢]]」と呼ばれた。
墓所は[[中目黒]]の[[長泉院 (目黒区)|長泉院]]。
== 栄典・授章・授賞 ==
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**[[11月25日]] - [[記念章|大日本帝国憲法発布記念章]]<ref>『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。</ref>
**[[12月27日]] - [[勲一等瑞宝章]]<ref>『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。</ref>
* 1889年(明治22年)[[12月27日]] - [[勲一等瑞宝章]]<ref>[https://web.archive.org/web/20030901082532/http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/zuiho2.htm 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)]</ref>
* [[1898年]](明治31年)[[12月28日]] - [[勲一等旭日大綬章|旭日大綬章]]<ref>『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20040408175857/http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/kyoku3.htm 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)]</ref>
* [[1906年]](明治39年)[[4月1日]] - [[勲一等旭日桐花大綬章|旭日桐花大綬章]]<ref>『官報』第7194号「叙任及辞令」1907年6月24日。</ref>。
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*妻:貞子(1853年 - 1936年) - [[黒川盛貞]]の長女
*養子:[[東久世通暉|通暉]](1850年 - ?) - [[久我建通]]の四男、後に離籍
*長男:[[東久世通敏|通敏]](1869年 - 1944年) - 伯爵。妻の玉子は[[土方久元]]の妹。
*次男:[[東久世孝人|孝人]](1873年 - 1929年) - 分家
*三男:[[東久世秀雄|秀雄]](1878年 - 1951年) - 分家、男爵<ref>『平成新修旧華族家系大成』下巻、386頁。</ref>
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== 参考文献 ==
* 霞会館華族家系大成編輯委員会『[[平成新修旧華族家系大成]]』下巻、[[霞会館]]、1996年。
* {{kotobank|東久世通禧|朝日日本歴史人物事典}}
* {{kotobank|東久世通禧|世界大百科事典 第2版}}
* {{kotobank|東久世通禧|デジタル版 日本人名大辞典+Plus}}
* 荒井周大編『福岡県碑誌』福岡県碑誌保存會、昭和4年(平尾山荘碑の撰文)
== 関連史料 ==
*『東久世通禧日記』
* [[高瀬羽皐|高瀬真卿]]編,{{Cite book|和書|author=東久世通禧[他]|year=1911|title=維新前後:竹亭回顧録|publisher=[[博文館]]|url={{NDLDC|951684}}|REfname=維新前後:竹亭回顧録}}
* [[国立国会図書館憲政資料室]]には、「東久世通禧関係資料」が寄託されている<ref>{{
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書| author=| date=1935年| url =https://dl.ndl.go.jp/pid/1186686/1/33| title=朝報掲要 | volume=(全8巻)| volume-title=橋本博『維新日誌』第1期第1巻 - 第2期第10巻| publisher=静岡郷土研究会 | page=| quote=| ref ={{sfnref|朝報掲要|1868}}}}
== 外部リンク ==
*[
{{-}}▼
{{
▲{{S-off}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|JPN}} [[枢密院 (日本)#歴代副議長|枢密院副議長]]
| years = 第3代:1892年3月17日 - 1912年1月4日
| before = [[副島種臣]]
| after = [[芳川顕正]]
}}
{{Succession box
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| before = [[鍋島直正]]▼
| before = (創設)
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}}
{{S-other}}
{{Succession box
| title = [[麻布区教育会]]会長
| title = {{Flagicon|JPN}} [[外務大臣 (日本)|外国事務総督]]▼
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}}
▲{{s-par}}
{{Succession box
| title =
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}}
{{S-reg|jp}}
{{
| title = 伯爵
| before = 叙爵
148 ⟶ 153行目:
| after = [[東久世通敏]]
}}
{{
{{貴族院副議長|1890年 - 1891年}}
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{{神奈川県知事|横浜裁判所総督→神奈川裁判所総督→神奈川府知事:1868年}}
▲{{侍従長}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ひかしくせ みちとみ}}
[[Category:東久世家|みちとみ]]▼
[[Category:幕末の公家]]
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▲[[Category:日本の元老院議官|*]]
[[Category:侍従長]]
[[Category:日本の官僚 (1868-1949)]]
[[Category:神奈川県知事]]
▲[[Category:日本の外務大臣]]
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▲[[Category:戊辰戦争の人物]]
[[Category:日本の神 (人物神 開拓神社)]]
[[Category:日本の伯爵]]
[[Category:勲一等旭日桐花大綬章受章者]]
[[Category:勲一等旭日大綬章受章者]]
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