「正しさ」を理解し、信頼するために
そして、現時点で世間に受け入れられている意見が誤りを含まない真理であったとしても、議論が存在しない場では、わたしたちはその真理が「なぜ正しいのか」を示す根拠を知ることができない。
ある意見の「正しさ」を知るための最善の手段とは、反論をぶつけて、反論に対して矛盾なく解答されるかどうかを判断することである。議論を経ることなく、「この意見は正しい」と言い張られているだけでは、わたしたちはその意見の正しさを理解することも信頼することもできない。
「正しいと言われているのだから正しいのだ」と無批判に受け入れてしまうか、「正しいと言われているが、ほんとうに正しいのか?」という不安を抱いたままになってしまうことになるだろう。
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上述した理由から、思想や言論の自由は保証されるべきである、とミルは主張する。
「思想の自由市場」論は、現代のアカデミアやメディアでは前提ともなっている。多くの人は学校の授業などで「思想や言論の自由は大切である」と聞かされるはずだし、それに対して反発することもないだろう。自由は良いものであり、守られるにこしたことはない、と大半の人は考えているはずだ。
だが、「思想の自由市場」は無条件に存在できるわけではない。言論の自由とはこれまでの歴史を通じて厳しい圧力を受け続けてきたのであり、人々が積極的に守ろうとしなければ、たやすく失われかねないものだ。
日本で起こった学術会議任命拒否問題、アメリカで前大統領のトランプ政権が温暖化対策に関する研究費を打ち切ったこと(それに抗議した科学者は「マーチ・フォー・サイエンス」デモを起こした)、そして中国では共産党政権により言論の自由が慢性的に抑圧されていることなど、近年でも数多くの国で問題が発生している。