こうしたことはすべて、ナチ政権が来るべき侵略戦争のために軍備拡張を優先した結果だったと言える。政権掌握後の景気回復もほとんどが軍需によるもので、1938年には軍備支出が国家支出の74%にまで達した(失業対策事業として有名なアウトバーンの建設も、それが雇用創出に果たした役割は限定的だった)。負債によって賄われたこの軍需経済は、戦争が起こることではじめて採算がとれるものだった。
このような理解をふまえると、労働者向けの様々な優遇措置も究極的には侵略戦争という目的に奉仕するもので、彼らを軍需生産につなぎとめておくための社会政策的譲歩でしかなかったと見るべきである。
民族・国家への献身と服従を強いる
こうしたナチスの政治姿勢は、「社会主義」という概念がもっぱら全体のための奉仕・義務という意味で用いられたことにも示されている。マルクス主義に由来する社会主義の概念は、ナチ政権下では従来の階級闘争的な意味を奪われ、労働者の活力と社会的平等を誇らかに表明すると同時に、彼らにひたすら民族・国家への献身と服従を強いるという権威主義的な性格をもつものとなった。
「ドイツの兵士は世界にかつて存在した最初で最良の社会主義者である」(ドイツ労働戦線指導者ローベルト・ライ)などと言われたように、兵士を模範として再定義されたナチス流の社会主義は、労働者を国家による統制に従属させ、軍需生産に邁進させようとする体制の政治・経済的利害と適合的だったと言える。いずれにせよ、それが本来の意味での社会主義とまったく異なるものだったことは明らかである。
ナチ党大会での帝国労働奉仕団の点呼(1934年9月)〔PHOTO〕Gettyimages