2013.03.12
# 企業・経営

24歳でスタンフォードの博士号を取得した天才が裸一貫から世界最高の会社を作るまで

田村 耕太郎 プロフィール

 彼の話は、歯に衣を着せるということがないので、非常に面白い。今回の講演でも、以下のような話が強く印象に残った。

「『国際機関』なんて、かつて世界のどこにも存在したためしがありません。人々が国際機関だと思っているもののほとんどは、実はアメリカが作ったアメリカの機関なんです。国連もIMFも世界銀行も全部同じ。『G7』だって、本当は『G1プラス』に過ぎません」

 彼の「G1プラス」という表現が秀逸で、思わず笑ってしまった。先進諸国が国際会議をやっているように見えて、実はアメリカ一国の意向にその他大勢の国々が振り回されているだけ、ということだ。イアンは続けて次のように述べた。

「世界経済フォーラム(ダボス会議)という国際会議があります。これは、グローバルな舞台だと思われていますが、実はそうではありません。特徴的な2つの国が顔を出していないからです。それは、中国とアメリカです。

 中国は、国際会議にノコノコ出てきて、そこでヨーロッパ人に民主主義や資本主義について説教されるのが嫌なんです。アメリカは、自分でルールを作るのが大好きなので、ヨーロッパ人が主催する舞台にわざわざ参加する気があまりない。今年の会議では、日本が大きな存在感を示しましたが、世界で最も影響力を持つ中国とアメリカのプレゼンスがない場所だということは覚えておいた方がいいでしょう」

就活で全社に落ちたところからスタート

 イアンの頭脳明晰さは際立っている。なんと24歳のとき、名門スタンフォード大学で政治学の博士号を取得したのだ。クリントン政権で財務長官を務めた天才経済学者ローレンス・サマーズでも、ハーバード大学で博士号を取ったのは27歳のときである。

 学部生とそう変わらない24歳という年齢で教壇に立ち始めたイアン。この天才は、若くして大学の教授職だけでなく、フーバー研究所などアメリカの高名なシンクタンクからも重要なポジションをオファーされたが、「まったく興味がなかった」という。当時のことを、彼はこう振り返る。

「いくら24歳で博士号を取ろうが、所詮は本で得た知識のおかげに過ぎません。僕は、現実の世界で自分の力を試したかったんです。自分とあまり年齢の変わらない学生に向かって本で読んだ知識を披露しても、何も嬉しくなかった」

 アカデミズムの世界にもシンクタンクにも進まず、とにかく現実社会を知りたいと考えたイアンがまず向かった就活先は、投資銀行だった。片っ端から投資銀行の門を叩き、面接では「歴史的に見て、経済を最も大きく振り回してきたのは国際政治です。経済の最前線こそ、僕が培ってきた『国際政治のリスク分析』という技能が活かせる場所です」とアピールして回ったという。

関連記事