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2005年に放送されたTBSスペシャルドラマ『美空ひばり誕生物語』で共演したときの泉ピン子さんと西田敏行さん 写真提供/泉ピン子

泉ピン子が語る西田敏行との思い出「売れないときも売れてからも、いちばんの友達」

後編

2024年10月17日、天国に旅立った西田敏行さんと、泉ピン子さんは、同じ1947年生まれ。売れない時代をともに過ごし、大御所の先輩たちに可愛がられ、同じようなタイミングでテレビドラマに引っ張りだこになった。そして人を笑わせたい、人に笑ってもらいたいという気持ちがすごく強いことなど「共通点」が多い二人は無二の親友だという。

ピン子さんが「もしかしたら最後の本になるかもしれない」と語る『終活やーめた。元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』には、幼少期から今までの様々な「ピンチ」をどのようにチャンスに変えてきたかが語られている。西田さんとのエピソードからは、売れない頃からともに日本を代表する俳優になっていくまでに、全力で「売れる俳優になりたい」という思いで突き進んでいた様子が浮かび上がってくる。

本書に伝えられたエピソードを中心にオリジナル編集でピン子さんの西田さんへの思いをお伝えする前編では、2月18日に開催されるという西田さんのお別れ会に行かない理由をお届した。後編では、ふたりを中心とした濃密な時間を聞いていく。

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「同じ釜の飯を食う」ことの大切さ

「おんな太閤記」という大河ドラマに一緒に出演したこともいい思い出です。後になって、ある女優さんから、「歴代の大河の中で、『おんな太閤記』の出演者がいちばん仲が良かったと聞いたんですけど、共演者同士仲良くなる秘訣はなんですか?」と聞かれたことがあって、仲良くなった理由をよくよく考えてみたんです。そうしたら、みんなで一緒に食事をする機会が多かったことを思い出して。

当時は、コンビニなんかなかったから、朝早くからの収録になると、当番を決めて、誰かが前日に共演者分のパンを買って持ってきたりとか、赤木春恵さんなんかは、おにぎりを握って持ってきてくださったり。収録が長引いて、NHKの食堂が閉まってしまったら、主演の佐久間(良子)さんがお寿司を取ってくださったり。時代劇なので着物やカツラが重かったり、橋田(壽賀子)先生の脚本だからセリフは長いし、体力的にも辛かったけれど、同じ釜の飯をいただいているときは和気藹々。大河の収録は1年半も続くんだから、そりゃあ愛着も湧くってものです。

撮影/大坪尚人

さっき話に出た「写楽考」って舞台は、西田くんが青年座という劇団に所属して、最初の主演舞台だったみたい。当時は、娯楽の中心が映画からテレビに移った時期だったから、俳優になろうと思ったら劇団に所属するのが早かったんです。その少し前、映画が全盛の時代なら、日活とか東映なんかの映画会社がオーディションを開催していて、歌手を目指す人ならのど自慢大会とかに応募するか、作曲家の先生のところに弟子入りしたりするのが一般的でした。でも、1960年代の後半から70年代は、俳優なら劇団に入る方がテレビに出る近道だったと思う。西田くんも、「本当は文学座に入ろうと思ってたんだけど、今より痩せていて、見た目が江守徹さんに似ていたから、『江守徹が2人はいらないだろう』と思って青年座にしたんだ」なんてことを話してくれたこともありました。

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