一見、モスクワの都市計画、スターリンの政策を賛美するプロパガンダに思える映画だが、それは手放しの讃歌ではなく、裏返して辛辣な皮肉が込められているように私なんかには感じられる作品だ。表面的には多くのジ>>続きを読む
キートンの映画出演デビュー作らしいが、監督主演はロスコー・アーバックルだ。2部構成で前半は食品雑貨店、後半は女学校というか女子寮を舞台とする。まずは、雑貨店のメインのスペースを映した後、店員を一人ず>>続きを読む
全カットが、固定のロングショット。しかし、被写体が人物であれば、そのキャラクターが容易に分かるレベルで捉えられた、云わばフルショットから少し引いたレベルの固定のロングショットだ。また、ほとんどのカッ>>続きを読む
私が見たのは、全くクロスカッティングと呼べるようなものが使われていない版でした。これが初公開バージョンで、クロスカッティングが用いられている版は、後に再編集されたもののようです(このあたりの経緯はウ>>続きを読む
これも殆どフルショットばかりで構成されているが、若干寄り気味のカットが出現し始める。やはり作者、グリフィスの被写体に対する感情なのだ。ギッシュ姉妹の「あぶなかしさ」にカメラも呼応するよう。それは、屋>>続きを読む
初期グリフィスの中でも有名な作品。小麦農家、小麦王の自宅、パーティ会場、精製工場、パン屋といった舞台を繋いで構成している。この頃はまだフルショットのみで、バストショットやアップはなし。開巻と巻末は小>>続きを読む
有名なスクリプトライターのコンビである、シドニー・ギリアットとフランク・ローンダーによるナチス・スパイもの。スリラーでもあるが、コメディ色も強い。これが一風変わっているのは、主人公のデボラ・カーのキ>>続きを読む
フォード映画として最上級かと問われると疑問だが、しかし、十分にスタージェス映画と互角に渡り合える面白い喜劇だ。前半は、主人公ダン・デイリーの、前線への異動の嘆願、上官の却下、昇進、善行賞推薦の繰り返>>続きを読む
建物と沢山の窓。窓の明かりが消えていく。沈む太陽。モスクワの街。続いて、朝の光。広い通りのロングショット。人物を画面奥(上)に置き、手前(下側)に、広く路面を映す。あるいは、線路に光が反映している。>>続きを読む
文楽人形と黒子をロケ撮影で映し、科白は全編謡いを用いるという斬新な映画。正直始めは「この試みが1時間半続くのは辛いものがあるんじゃなか」と思ったのだが、いえいえどうして、とても面白かった。それは矢張>>続きを読む
1820~30年代のメイン州バンゴーを舞台とする、エドガー・G・ウルマーの悪女モノ。ヒロインはヘディ・ラマー演じるジェニー。彼女が三人の男を次々と誘惑し手玉に取る経緯が描かれる。ただし、もっとも強烈>>続きを読む
23分の短編。冒頭は、砂浜に寄せる波。2011年の4月から約一年間にわたる、瀬尾夏美の知人のおばあさんKさんの記録。震災から1月後ぐらいの生々しい映像が記録されている。瀬尾が進行役として、ずっと映っ>>続きを読む
2011年5月からの、リンゴ農家の老夫婦と1匹の犬、トムの記録。震災直後のボランティアで瓦礫を片付ける若者たちが記録されている。2回目の訪問は半年後。遠くから道を歩いてくるお婆さんをずっと待って撮っ>>続きを読む
18分の短編。『息の跡』のラストの続きのようで、微妙に錯綜する。「佐藤たね屋」の店舗解体中にやって来るお客さん対応のシーンがあったり、移転場所で、あの手書きの看板を設置し、軽口を云いながら眺める、あ>>続きを読む
浜辺で何かを拾う人。清掃でないことは、すぐ分かる。空き缶とか、ゴミのようなものも拾っているのだが、パイロン(赤いカラーコーン)の切れ端を見て喜んだり、鶏の頭部の骨を、壊れないようにプラスチック容器(>>続きを読む
舞台は内乱が勃発したフランス領のアフリカの国(コートジボワールがモデルらしい)。冒頭、黄色い犬が何匹も道を横切る。痩せた犬なので実はチーターかと思った。犬であることは、劇中で何度か言及されるので察し>>続きを読む
ポーランド支配下のウクライナが舞台。1933年から1941年までを描く。インタータイトル(挿入字幕)が沢山使われる。冒頭はアンナ-エレーナ・クジミナが、田舎の親元から、都会の兄を訪ねて旅立つ場面。画>>続きを読む
導入部、田舎の景色から、民家でのパーティ場面に入って行く画面の雰囲気は、グレミヨンだ。こゝは、ヒロインのカンデラスとジゴロっぽいアルトゥーロの出会いの場面。しかし、私は勘違いして、アルトゥーロのカノ>>続きを読む
ルーマニア製の西部劇。モノクロ。丘の斜面を横から撮ったロングショット。左から右へ、2騎がフレームイン/アウトする。「1853年ワラキア」と出る。騎乗者は、法執行官とその息子イオニタ。彼らは単発銃(短>>続きを読む
半分ぐらい欠落している不完全版を見る。梟(ふくろう)のショットでタイトルイン。木の上の怪盗のショットに転換する。目の周りに白い輪が描かれている覆面をかぶっている。この怪盗、夜のロングショットでは、目>>続きを読む
音楽のみ入った、科白やナレーション等は無い、19分のサイレント映画だ。タイトルで分かる通り、安珍清姫の寓話をベースにしているが、これらの名前は使われていない(登場人物に名前はない)。若い僧が、熊野詣>>続きを読む
川本喜八郎の人形アニメーション第一回監督作。初めから、しっかりと不条理劇への志向性が現れている。登場人物は、住職と小坊主、大尽と従者(太郎冠者)の4人のみ。主人公は小坊主と云ってよく、寺の前で花見を>>続きを読む
老いた母が寝間に寝ている。蜘蛛の巣の中に阿弥陀三尊のイメージが重なり、彼女の過去の状況を絵で示す。「無常」とか「無頼な夫」とか「貧」とかの文字も書かれている。この冒頭部分で、面白いなぁと思う。続いて>>続きを読む
いいじゃないか。「十九の春」はファンが多いのだ。こんな映画を観てしまうと映画に現在を定着させる必要がどこにある、と云いきりたくなる。確かにアナクロかも知れないが、しかし、これだけ美しい時間が定着して>>続きを読む
これは傑作。薄暗い部屋の中に積まれた段ボール箱。左へパンとティルトをすると、窓の向こうが見える。パリの屋根。エッフェル塔。引っ越し準備をする女性。これが主人公のロール-ヴァレリー・ルメルシエ。スリッ>>続きを読む
ムッソリーニ政権下で製作された戦争映画。冒頭、1942年、東部戦線と出る。舞台はウクライナか。枝に止まっている小鳥のショット。右下にティルトとパン、小さな移動をして、小川とその向こうの丘、川の向こう>>続きを読む
1945年12月に公開された17分の短編映画。ヒトラーは死んだが、その思想は生き続けている、ということをクドクドと説く。冒頭の丘の急な斜面を行く馬車のロングショットは凄い構図。平和の到来を象徴してい>>続きを読む
東京メトロポリタンテレビ向けに映画誕生100年記念ということで製作された52分のドキュメンタリー番組。基本的に、本サイトにはテレビ作品は記載しないつもりなのだが、劇場で見たし、映画レベルと云っていい>>続きを読む
フジテレビ系列で放送されたドラマ「日曜恐怖シリーズ」の一篇(1979年9月放送)。開巻はオフで銃声がし、頭部レントゲン写真に穴が開いて、血が噴き出るショット。続いてバーのカウンター。原田芳雄がホステ>>続きを読む
舞台はプラハだが、ロケはウィーンでされたと字幕が出る。クレジットバックはアニメーション。20世紀になって支配層が変転した様子を、役所の中の肖像画、あるいは官憲のユニフォームと敬礼の違い(変化)で簡潔>>続きを読む
『スター・イン・ザ・ナイト』
シーゲルが長編デビュー作『ビッグ・ボウの殺人』の前に撮り、その才能が認められた22分の短編映画。タイトルでも推測できるが、クリスマスの映画だ。これがまた、とても良い出来>>続きを読む
冒頭はポーランド人の伯爵夫人-エルヴィール・ポペスコの邸。執事とメイド。執事はロベール・セレル、メイドはポーリーヌ・カルトンというギトリ作品常連の2人だ。カルトンが、夫とは28年前に結婚したが、11>>続きを読む
邦題の「さかのぼろう」は主に歴史のことなのだ。17世紀まで遡り、シャンゼリゼ通りの変遷を描いた、『王冠の真珠』と同じような趣向の映画だ。クレジットバックは馬車の車輪を繋いだ画面。クレジット開けは小学>>続きを読む
冒頭はギトリとドリュバックの会話シーン。現代(1930年代当時)の歴史家のギトリが、妻(恋人?)に数奇な真珠の運命を語り始める場面だ。同様に、同じ物語が、英国王へその侍従からと、教皇へ秘書長から、語>>続きを読む
これもメチャクチャ面白い映画。溶明する前に、幸運を!という声が入る。全編、これぞ映画の幸福だ、と感じることができる作品だ。冒頭はアイロンがけをする洗濯屋の娘、ジャクリーヌ・ドリュバックと、男性客の肖>>続きを読む
殆どのシーンが劇場内で進行する、バーバラ・スタンウィック全盛期の魅力が弾けるバックステージもの。『レディ・イブ』『教授と美女』(いずれも1941年)や『深夜の告白』(1944年)の頃のスタンウィック>>続きを読む