走衆とは室町時代の職制の一つで、将軍が出仕の時文字通り走っていた人々である。
厳密な意味では家格ではないが、儀礼などでは節朔衆よりは下だが一般奉公衆よりは上位、というポジション。
基本的にはあらかじめ走り衆として集められた十数人の中から六人組を選び、それが左右に分かれて将軍の出行の時供奉する、という仕事である。内臓がやられるほどずっと走らされるなどなかなかブラックな役職で、主に奉公衆から体力に自慢があり、なおかつ背格好が同じメンバーが抽出されている。
また将軍とその父親がいる場合、その両方に六人セットで付き従ったようだ
もっと一般的な意味の走衆との混同を取り除くと、おおよそ成立は足利義政、特に寛正期ごろに職制として確立したといわれている。
奉公衆の在り方が大きく変わり、詰衆番衆、御小袖番衆、外様詰衆、申次衆といった人々が多くである。
職務自体は変化がなかったが身分的地位がやや上昇し、ほぼ近臣といってもいい存在もいた。
京都に入ってからも山科言継が、詰衆番衆といった人々が依然として個人的な採用で走衆を務めていたと記録に残している。この時期になるとますます出番が増え、足利義輝期と比べてもさらに地位が上昇していたようだ。
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最終更新:2025/02/26(水) 04:00
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