中居正広氏と吉沢亮氏
最大の違いは「経済価値の有無」
今、時代としてはキャンセルカルチャーの真っ盛りです。この一年そこそこで松本人志さん、フワちゃん、中居正広くんといった「テレビの顔」が次々といなくなるなど、想像もできなかったのではないでしょうか。
タイミング的には同じ流れに乗りそうだった吉沢さんが消えなかった理由は、何でしょうか?
![「吉沢亮さんの今後の挑戦を応援し、共に頑張っていきたい」アイリスオーヤマがCM起用を継続する経済的な意味](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/e/2/300/img_e250600b20ff2a52bebf34bbc395539317980106.jpg)
こういう言い方をすると元も子もないかもしれませんが、中居正広さんとの最大の違いは経済価値が残っているかいないかです。
経済の視点でタレントというビジネスを語ると、そのタレントを起用することで商品やサービスが売れるかどうかが一番の価値です。
テレビは無料だと私たちは普段感じていますが、実際は莫大な広告料を稼げているからこそドラマやバラエティ番組を作ることができます。テレビ番組で露出が多いタレントは好感度が高くなり、高感度の高いタレントはCMに起用されやすくなります。
これがテレビというビジネスのエコシステムです。番組を通じて視聴者を集め、番組を通じてタレントの価値を上げます。価値が上がったタレントが、CMを通じて商品価値も上げてくれるので企業は莫大な広告費をテレビ局に支払います。
そして、そのタレントが事件や不祥事を引き起こすとタレントの経済価値が棄損します。特に好感度が高かったタレントが、一転して嫌われるタレントになってしまった場合は、企業から見れば価値が180度変わります。そのタレントを起用し続けることで、商品やサービスのイメージまで悪くなり、ビジネスに悪影響を及ぼすからです。スポンサー番組も同様です。
ここでもうひとつポイントとなることは、そのようなタレントの価値を毀損する基準が時代とともに変わることです。時代の転換点を解説します。