自分は将来どうなるだろう……。そんな不安を持つ人は少なくないのではないだろうか。「いつまで第一線でいられるか」「いつまで他人と競えばいいのか」「いまいる友達は60歳になっても友達か」「気力体力はどうなるか」「お金は?」「いまのうちにやるべきことは?」など疑問がつきない。そこで本連載では、2025年に60歳を迎える奥田民生の10年ぶりの本『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』の中から、民生流の「心の持ち方、生きるヒント」を紹介する。「力まず自然体でカッコいい大人」代表の奥田民生は、これまでどのように考え、どのように働き、どのように周りとの関係を築いてきたのか。その言葉を見ていこう。(構成/ダイヤモンド社・石塚理恵子)
Photo by Takahiro Otsuji
若い頃は「生きた証」を求めていた
結構俺は、いろんな仕事をそこそこやってきたような気はしているけど、60歳が近づくにつれて残りの人生を考えるようになってきている。
若い頃は人並みに、「褒められたい」「爪痕を残したい」「表彰されたい」と思った結果、20代半ばには、ユニコーンのアルバム「ケダモノの嵐」で第32回日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)のアルバム大賞を取った。
これは結構、嬉しかった。
「アルバム大賞」っていうのがなかなかいい。
「なんかいいのくれたな」と思ったのを覚えている。
そのときもらった盾の絵が小島功さんの漫画『ヒゲとボイン』の絵に似ていたから、次のアルバムのタイトルを『ヒゲとボイン』と命名した。
名誉なんてちょっとでいい
でも40歳を過ぎたあたりから、人に褒められたいとはあまり思わなくなってきた。
思えばもう何人かには褒めてもらったし、いまなんて近所の居酒屋のおばちゃんに褒められるぐらいがちょうどいい。
「紫綬褒章」とかそういう名誉も、周りの人は喜ぶとは思うけど、がんばったからといって貰えるものでもないものだから、俺には縁がないような気がしている。
評価は周りが決めるもの
賞とか名誉は自分ではどうしようもないものだし、判断は他人がするものだから「俺は結構がんばったけど、割と誰も見てくれなかった」になったとしても、自分が満足できれば俺はいいと思っている。
期待に応えすぎてはいけない
「周りの期待に応える」のも、常日頃からちょっとずつしていけばそれで十分なんじゃないかと思う。
周りが喜ぶのは嬉しいし、「そのために日々コツコツやります」っていうのはもちろん大事だと思うけど、気負いすぎるのはあまりよくない。
銅像は自由に建ててくれ
その結果、俺が死んだ後に誰かが俺の「銅像」を建てたいというのなら、勝手に建ててもらってかまわない(俺はまったく興味はないけど)。
でもゴルフでホールインワンを達成したら、そのときはでかでかと名前入りで記念植樹はしたいなあと思っている。
(本稿は奥田民生『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』からの抜粋記事です。)