近代日本を築いた先人たちは、どのようにして危機を乗り越えてきたのだろうか。『渋沢栄一と明治の起業家たちに学ぶ 危機突破力』では、彼らの危機突破にまつわる事例が紹介され、現代を生きる私たちにたくさんのヒントをくれる。著者の歴史家・作家の加来耕三さんに、本書の読みどころについて聞いた。今回は3回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)

失敗から逃げ続けた浅野総一郎

尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上)  『渋沢栄一と明治の起業家たちに学ぶ 危機突破力』 の登場人物のなかで、このコロナ禍において特に紹介したい人物がいるそうですね。

加来耕三(以下、加来) はい。まずは、浅野総一郎ですね。『逃げるは恥だが役に立つ』というテレビドラマがありましたが、彼はまさにその言葉通りの生き方をした人物。人生の前半戦では逃げてばかりでした。

明治の起業家たちもタイプはいろいろ。その生きざまには学びがある
明治の起業家たちもタイプはいろいろ。その生きざまには学びがある
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 医者の家に養子に行った彼は頭が良かったので、今でいう中高生の頃には医師である養父の右腕になるまで成長しました。そんななか、当時は不治の病だったコレラが流行します。彼も治療に当たるものの、次々と人が死んでいく。そんな現実にパニックを起こしてしまい、実家へと逃げ帰ることになりました。

尾上 その後、彼は何に取り組むのでしょうか。

加来 商人になったのですが、運転資金が回らずに失敗してしまいます。困っていたところに、養子に来ないかと声が掛かりました。そして今度は、養子に行った先のお金を使って商売を広げていくわけです。しかし、そこでもまた運転資金が続かず失敗に終わってしまいます。

 それからも失敗を重ね、高利貸しにお金を借りたものの、利息も払えず逃げたりしていました。その後、友人の下で働くことになるのですが、そこであることをひらめきます。

尾上 どのようなひらめきでしょうか。

加来 友人の下で働き、味噌を売っていたときのことです。拾い集めた竹の皮に味噌を包んで売っていたのですが、そのとき彼は気がついたのです。竹の皮にはお金がかからないのだということに。これまで自分が失敗してきたのは、お金が必要だったから。お金さえ十分にあれば成功していたはずだと考えたのですね。

 こういう場合、自分に商売のセンスがなかったのだと考えるのが一般的だと思いますが、彼はそうではなかった。この都合のいい発想は、反体制から立場を180度転換した渋沢栄一といい勝負かもしれません。

 そうして浅野は、竹の皮を集めて売ることで、ある程度の財を築き、さらには石炭を仕入れて売るという商売も始めます。そこで見つけたのが、コールタール。石炭を乾留する際に得られる副産物ですね。竹の皮と同じくタダであるコールタールを使えば、商売がうまくいくのではないかと考えたのです。

 コールタールの使い道を研究するうちに、燃料としても消毒剤の原料としても使えるということが分かります。そしてコールタールでもうけるわけです。このとき得たお金をもとにした事業で渋沢栄一と出会い、後に政府からセメント会社の払い下げを受けてセメント王になりました。

尾上 失敗して逃げて、また失敗してまた逃げて…。そうした経験の先に成功があったのですね。

加来 彼の場合は、逃げることによってエネルギーを蓄えたおかげで、自分は間違っていないのだと開き直ることができたのではないでしょうか。そこに強さがあると思いますね。

一歩引いて不遇を乗り越えた岩崎弥之助

尾上 浅野総一郎に続いて岩崎弥之助も、学びの対象としたい人物ですよね。

加来 そうですね。岩崎弥之助は、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の弟です。

 弥太郎が三菱を創業した後、戦いを挑むようにして共同運輸という会社が設立されました。そして共同運輸は、運賃やスピードなどで三菱に競争を仕掛けてきたので、事故をはじめさまざまなトラブルが起こるようになります。このままでは大変なことになる…。そんな矢先、弥太郎が亡くなってしまいます。その最悪のタイミングでバトンを渡されたのが、弟の弥之助でした。

 弥之助にしてみれば、競争なんてしたくない。でも、周囲は弔い合戦のようになっていて、自分が引くわけにはいかない。そこで、「兄の遺志を継いで戦う」という姿勢を見せつつ、一歩引いて、この事態を収拾する方法を考えるわけです。結果的に彼は、政府に対して「このままでは日本の海運が育たない。欧米列強に取られてしまうことになるが、それでもいいのか」と働きかけた。そして、痛み分けのような形で、三菱と共同運輸を1つにして日本郵船という会社が誕生することになりました。

 そうして生まれた日本郵船には、三菱が総力を挙げて生み出した結晶を注ぎ込むことになりました。しかし従業員や船もほとんど持っていかれることになり、しかも、社長となったのは共同運輸側の人間。世間では「三菱は終わった」とささやかれていました。弥之助はもう、陸に上がったカッパのようなもの。手元には何も残っていません。しかし、そんな彼のその後の動きが、三菱を財閥化させていくのです。

 当時の丸の内には大名屋敷が数多くあったのですが、火事によって焼け野原になっていました。その土地を一括買収してほしいと、政府から弥之助へ打診があったのです。そして彼は、何もない原っぱだった丸の内の土地を買い取ることになりました。その土地を使って、ロンドンのビジネス街のようなものをつくろうと考えたのです。

尾上 それが、現在の丸の内のビジネス街につながっていくわけですね。

加来 弥之助はとてもスケールの大きな人物で、彼の構想は現代にまで脈々と受け継がれています。しかも、それほどの人物でありながら、弥太郎の息子が成長すると、すぐにその座を譲ってしまう。「自分がやってやろう」という野心はなく、意識して自分の影を消すような生き方をするのですね。

尾上 弥之助は、これまでに登場した2人とは少しタイプが違いますね。

加来 そうですね。目標を高々と掲げるのではなく、できる範囲のことをやる。周囲の力を集結して生かし、自分は前に出ない。そうしたやり方をするリーダーは、現代にも出てくるのではないでしょうか。そのモデルとしてもぜひ、岩崎弥之助を知っていただきたいですね。

尾上 最後になりますが、本書をどのようなかたに読んでもらいたいですか。

加来 このコロナ禍で、自分の意志ではないポジションに立たされ、迷いや戸惑いを抱えている人には、ぜひ読んでいただきたいですね。また、歴史好きのかたにはもちろんお薦めですが、そうでないかたにもきっと、現代を生きるヒントを見つけていただけると思います。

構成/谷和美

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