きょうは「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」ために制定された防災の日だ。大正12年(1923)のこの日、関東大震災が発生したことに因む。 たまたま他の調べ物で古い文献を漁っていたところ、国会図書館デジタルコレクションに収録されている『関東大震火災録』を見つけた。発行は大正13年1月25日で、発災から間もない時期に刊行されている。 当時の人々が、どのように不安や恐怖と向き合ったかを少し見ておきたい。まずは第一章の末尾から、東京の被災状況がわかる部分を紹介しよう。 東京府市救護設備 一日の震災の為め神田、日本橋、京橋、浅草、本所、深川の各区全滅の惨状を呈せるを見、東京府市は警視庁とも協議の上、陸軍省と交渉し軍隊の出動を仰ぐことゝなり、陸軍省前に救護班を置き、日比谷、上野、芝公園の各所に一ヶ所五千