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存在証明に関するzoniaのブックマーク (224)

  • 事実は何に依存するか? - 一本足の蛸

    事実の所在 - 「で、みちアキはどうするの?」 これを読んでむずむずしてきた。 これを書いた人は、「宇宙が消滅すれば、事実も消えてしまう」と考えているようにぼくには感じられます。そのわけは、たとえば「杉原千畝氏は6千人のユダヤ人の命を救った」とか「南京大虐殺によって×人(不明)もの中国人の命が奪われた」というような“事実”は、たとえ宇宙が消滅したところで無効になったりはしないだろうと感じられるからです。 でもほんとうにそうなんだろうか? なら“事実”はどういった形で存在していると言えるのか? ……ということをきちんと考えていくと、結局「その事実があったという信念が、それぞれの人の頭の中に存在する」ということになりそうな気がするのです。「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしたのかしなかったのか」というあれと同じです。“過去”と似てるかも知れません。過去はどこかに存在するわけではなくて、記

    事実は何に依存するか? - 一本足の蛸
  • 自己責任じゃないならなんだってんだ - すべての夢のたび。

    「派遣村に流れ着いたのは自己責任だろ」というようなエントリを書いたりすると、「そうではない」という人たちがあちこちから現れます。ぼくは相変わらず「自己責任」の反対に当たることばがなんなのかわからないのですが、ここでは仮に、「『派遣村に流れ着いたような人たちに対して“自己責任だ”と発言する人たち』を批判する人たち」(ややこしい)を、オマエと呼ぶことにします。 さて、自己責任じゃないとしたらなんなんだろう、ということで、とりあえず3つ考えてみました。 社会のせい 天災とかの類 運命 たぶんオマエは2や3とは考えないだろうと思います。オマエはそれを社会構造が原因だとか、そういういふうに捉えているのだろうと思う。 しかし、オマエだって社会の構成員だろう? ならば、あの人たちが派遣村に流れ着いたのは、オマエのせいでもあるんだよ。自己責任論を採らないならば、即ちオマエもそれに責任を負わなくてはいけない

    自己責任じゃないならなんだってんだ - すべての夢のたび。
    zonia
    zonia 2009/01/16
    存在自体が自己責任
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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  • アイデンティティそのものはむなしい - NaokiTakahashiの日記

  • 自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達 - シロクマの屑籠

    昨今のアニメ論議などをみていて再認識したこと。 それは、アニメやアクションゲームといった、いわゆるオタク文化圏であれ、洋楽や日映画といったその他のサブカル文化圏であれ、自分が所属する文化圏のコンテンツがsuperiorでなければ困ってしまう、または不安を拭えない人達がどうやらいるようだ、ということである。 例えばオタクの場合。 自分が摂取しているアニメコンテンツなりゲームコンテンツなりに対して、「優れている」「時代を先読みしている」「奥深い味わいがある」といった要件を満たしていることを強く願望するオタクがいるようなのである。例えばアニオタでこの一群に該当する人の場合、自分のチョイスするアニメ作品ばかりでなく、アニメ界隈全体が、またはアニメ界隈の人気コンテンツまでもが、「優れている」「時代を先読みしている」「奥深い味わいがある」べきと考えたり、そうでないアニオタ界隈を嘆いてみせたりする。…

    自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達 - シロクマの屑籠
  • HikAg+Ami

  • 馬鹿から搾取しようとして偏差値を下げる秀才たち - [email protected]

    背伸びしなければ成長できないわけではないが、成長したいという欲望は実際の成長に役立つし、背伸びはどうしても成長への欲望に付随する、ので、やむをえない過剰さとして見過ごすのがよかろうとなる。が、背伸びが屈折すると優越感を得たいという欲望にすりかわってきて、このへんになるともはや別口だろうしどうしたものかと思うが、しかし成長の過程で手ごたえだとか確かさがあったほうが楽しいしやりがいも出てくるってのも事実だし、成長可能性の間口は広いほうがよいのだから、やはりそこも見過ごすのがよかろうと判断、することはできる。 第一、優越感ゲームってのは結構むずかしいのである。なにしろ、日夜ニッチにはしる努力ばかりしている類のオタだのサブカルだのというのは、その先進性がふつうのひとにまったく理解されない。理解されないというのは、言い換えれば劣等感をもってくれないということだ。そして、劣等感をもってくれない相手には

    馬鹿から搾取しようとして偏差値を下げる秀才たち - matakimika@hatenadiary.jp
  • 自己実現礼賛に潜む罠(老いと自己実現について) - シロクマの屑籠

    自己実現、という言葉をうんざりするほどみかけます。 自己実現、という言葉を聞く機会は沢山あるし、自分自身も頻繁に口にしていると感じる。「僕が僕であるための何か」、「自分のレゾンデートルを確認するための契機」といったものが欠けていると、人は生きるのが辛く感じられるようになってくる、らしい。自分を取り囲む環境のなかで、自分は何の役にも立たない・自分は誰の為にもならない・自分を確固たるものにする根拠の無い、といった事態に遭遇すると、いたたまれない感じに襲われることになりやすい。 そのせいか、今では、自己実現なるものは健康な心理的状態に必須の、かき集めなければならないものとして捉えている人が少なくない。資家や企業の側もよく心得たもので、「自己実現」を撒き餌にしてあの手この手の“キャンペーン”を展開していて、その手の“キャンペーン”は概ね成功裏に進んでいる、ようにみえる。 しかし、自己実現という代

    自己実現礼賛に潜む罠(老いと自己実現について) - シロクマの屑籠
  • "オタク文化の大衆化は是か非か?"という問いは、"大衆化したら、それはオタク文化と呼ぶのか?"という疑問を内包している - REV's blog

    http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070730/p1 wikipedia サブカル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC たぶん、昔は、企業がアニメキャラをテレビCMで使うことは「好ましくない」とされていたように思う。で、アトム、ディズニー、宮崎駿、名作アニメ、このへんまでは大衆化された、と思っていいのかな。マイノリティーのアイコンは、大衆化すると経歴が洗浄され、そして、マイノリティーが存在する限り、新しいアイコンが求められることになるのだろう、とは思う。

    "オタク文化の大衆化は是か非か?"という問いは、"大衆化したら、それはオタク文化と呼ぶのか?"という疑問を内包している - REV's blog
  •  オタク論と日本人論は似ている。 - Something Orange

    キノ:萌えって何か、意味を考えるとこそばゆい想いがするというか、ニュアンスを上手く表現できないことないですか。可愛い、とも違うし、エロイ、でもないし、うーん、と。 まきがい:実際には中身なんかないと思いますが。単なる感嘆詞。 キノ:何かすごく腑に落ちました、そうか、感嘆詞と考えれば、うん。 儀狄:「この感覚が自然と分かる人がオタク」という泉こなた定義はある意味正しい。 海燕:いや、わからないって言っている人はアニメもゲームも知らないからわからないのであって、名作どころを片っ端からやらせてみればわかるかもしれない。たとえば、映画見たことないひとが映画おもしろさがわからないって言っても、そりゃ見てから言えよ、ということになりますよね。 まきがい:ああ、確かにアニメ見たことないひとが「あんなものの良さなんてさっぱりわからない」って言ったら普通に受け入れられそう。おかしいよね、 海燕:そうそう、

     オタク論と日本人論は似ている。 - Something Orange
  • http://d.hatena.ne.jp/GID0/20070727/1185528857

  • ブログとかやっていていろいろ語ったけど - finalventの日記

    語っていないこともあるし、語れないこともある。 もうちょっというと、語ることを抑えることもある。 もっと自分が若かったら、自分の身体が嵐の中を疾走することができたら、そうだったらもっと語れたかもしれない。でも、そうではなかった。 いろいろなものが壊れてしまった。自分の弱さに神をも呪った、パウロのように。そしてパウロのようにその恵みも得た。 生きていたということは死を免れたということだ。済んでしまった人生の過去の部分はもう終わってしまった。今だけが全てで、無となった過去の幸不幸を考えることもないだろう。 幸せであることと神の恵みは似ているが、その部分は、幸せとか神とかいう言葉で通じる部分ではない。 なんだかポエムだな。 「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

    ブログとかやっていていろいろ語ったけど - finalventの日記
  •  どうか、あなた自身を許してあげて下さい。 - Something Orange

    昨日の記事に、こんなブクマコメントがのこされていた。 と言われても、そう簡単にポジティブにはなれない。なれないものはなれない。だから楽にもなれない。なれないものはなれない。 それはそうだろう。 ぼく自身、いろいろなことをくぐり抜けて、最近になってようやく「ダメな人生も悪くないな」と思えるようになった。 それまでは、ひとにどんなに励まされても、慰められても、無意味なきれい事としか思えなかった。自分の人生は無価値で、無意味で、辛く、苦しく、やりきれない代物に過ぎない、そうとしか思えなかった。 だから、ぼくの言葉がひとの想いを変えられないとしても、何も意外だとは思わない。 ひとがその何十年もの人生で経験した失敗と挫折、苦しみと悲しみの思い出は、他人の言葉などよりはるかに重く、そのひとを規定しているものである。ちょっとやそっとのことでは、人間は変わらないし、変われないのだ。 ネットには、自分がいか

     どうか、あなた自身を許してあげて下さい。 - Something Orange
  • ネット界隈で、釣った釣られたがこれほど問題になる原因 - シロクマの屑籠

    プライベートなブログ間・ウェブサイト間のコミュニケーションにおいては、釣った釣られた・馬鹿にされた・見下した等等がしばしばクローズアップされる。しかしそれらはまず双方の自意識の問題でしかなく、ブログ上で優越感をかき集めなければならない空虚なメンタリティや、ブログ上で釣られたと感じただけで自分の価値が乱高下するような脆いメンタリティを想像させる兆候だ、と解釈して観察することも出来る。釣られただけで実際に自分の価値が半減するわけもないと知る限りにおいては、「良くも悪くもここで釣られるような人間が俺だ!」と等身大の自分を納得すれば良いだけの話だが、少なからぬブロガーや2ちゃんねらーは、釣られる事をいたく嫌悪したり恥ずかしがる。なかには時間を無駄にしたことだけ悔やむ人もいるかもしれないが、少なくともはてな界隈あたりに関する限り、ただ時間を無駄にした以上の苛立ちを募らせ、釣られた自分に地団駄を踏んだ

    ネット界隈で、釣った釣られたがこれほど問題になる原因 - シロクマの屑籠
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • suVeneのあれ: 本当の友達

    2007年07月04日 当の友達 当の自分、当の幸せ、当の友達…… 今考えればなんとも青臭い話ではあるが、真剣にそれらの事について考えた時期があった。 同じようなことを考えたことがある人、こんにちは。 なかった人さようなら。 その中でも、俺が幼き頃(10歳~15歳程度か)とりわけ真剣に考えたのは、「当の友達」問題だった。 思い起こせば、「友達」というものは何なのか?という問いから始まった気がする。 何故このようなことを考えるようになったのだろうか。 そもそも俺は、遊ぶ友達がいないというタイプではなかった。 寧ろ、積極的に発言し周りを笑わせたりすることが好きだった(悪く言えば仕切りたがりでもあった)訳だが、ふと虚しさを感じていたからなのかもしれない。 では、何が虚しかったのだろうか。 さすがにその原因を客観視することは、昔のことだという理由と、自分自身のことだという理由で難しいのだ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • 続・恋愛について(やっぱり長い)

    先日のエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20070607100456)は最近色々と考えていたことを書いたものです。書きたかったことは、「恋愛感情を認識したことがないことに対する愚痴」や「恋愛感情とは何か」や「恋愛感情を抱けない私はおかしいのか」ではなく、「そもそも恋愛感情は存在するのか」「それは明確に友情とは異なるものか」というようなことです。多分。書いた人もよく分っていないところがあります。 とりとめのないしかも長い文章に色々と反応をありがとうございます。見た限り、頂いた反応は「恋愛感情の定義」だったり、「エントリへの同意」あるいは「感情を認識できなかったことの原因の推測」「恋愛できなくてもいいよ、という肯定」が大体のようです。大半の人は恋愛感情は存在する、という前提での反応で、やはりそういうものなのだな、と思いました。 恋愛感情を認識できないこと、つまり少女

    続・恋愛について(やっぱり長い)
  • 「俺とおまえは違う問題」の根は「ネガティブ言及するな問題」だよね:ekken

    知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - 「俺とおまえは違う」[読むな] マ儿コさんの言う「俺とおまえは違う問題」は、素直に読むと膝をポンと打って思わず納得なのだけど、いじわるな見方をすると「俺はひっそり書いているんだから言及するな問題」と言い換えることができるよなぁ。 日記には個人的なことしか書かない。学術論文でも啓蒙書でも指南書でもない日記だ。その内容に一般性や汎性や論理性など必要ないし、そんなことを意識した文章はもはや日記ではない。一貫性や物理的妥当性や時間的整合性を備えている必要もなければ義務ももちろん無い。そこに責任などない。構造上、読みたければ他人でも読めるというだけの日記だ。 引用部分は大方同意できるのだけど、最後がイケナイ。構造上、読みたければ他人でも読めるというだけの日記は、構造上、言及したければ誰でも言及できるのだから、「個人的な日記だから批判しないで」は通らないだろうなぁ

  • マ儿コの日記 - 「俺とおまえは違う」

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    マ儿コの日記 - 「俺とおまえは違う」