#4 生きることが贖罪だった?──ロジャー・パルバースさんが読む、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
#4 生きることが贖罪だった?──ロジャー・パルバースさんが読む、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
詩人で童話作家の宮沢賢治が、デビュー前に学生時代の同級生に宛てた自筆のはがきなどが見つかりました。 文筆活動を始めたころの賢治の素直な気持ちがつづられていて、専門家は「賢治の日常や思いが分かる貴重な資料だ」と話しています。 見つかったのは、宮沢賢治が、盛岡高等農林学校の同級生、成瀬金太郎氏に大正5年から9年にかけて送ったはがきや封筒など合わせて11点です。 デビューする前の文筆活動を始めたころの資料で、いずれも千葉県の近代文学の研究者が東京都内の古書店から入手しました。 このうち就職をきっかけに南洋諸島に赴任した成瀬氏に送ったはがきには、自作の童話について、「印刷した半紙を50枚送ったので、現地で配ってほしい」と書いてあり、多くの人に読んでもらいたいと願う素直な気持ちがつづられています。 また、絵はがきを送ったとする内容の手紙には、「途中で盗む者があったらひどいめにあわせてやりましょう」と
愛知県の中学生が物語の設定を詳細に検証し、「メロスは歩いていた」としたレポートが理数教育研究所主催のコンクールで最優秀賞を受賞して話題となったが、日本文学には『走れメロス』のほかにもツっこみたくなる矛盾がまだまだある。気づいてみると「あれっ?」と首をかしげたくなるような表現もある。 宮澤賢治の『雨ニモマケズ』はいうまでもなく彼の代表的な詩であり、その清貧の志は、今なお多くの人の胸を打つ。そんな名作にツッコミを入れるのは、日本大学芸術学部(文芸)の大和田守講師だ。 「《雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ》と始まるこの有名な詩では《慾ハナク》の例として《一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ》とあります。清貧について詠まれているのに、この量はなかなかのものです」 米1合でだいたい茶碗2杯分。4合なら茶碗8杯分。いくらおかずが少ないとはいえ、1日3食として1食あたり約2.7杯の玄米を平らげるとはプチ贅沢
花巻小学校の校長室の金庫から見つかった宮沢賢治の学籍簿。「第六学年」の欄には「甲」が並んでいる(岩手県花巻市提供) 「銀河鉄道の夜」などの作品で知られる宮沢賢治(1896~1933年)の小学校時代の成績や、身長、体重が記載された学籍簿が、出身地の岩手県花巻市の母校で見つかった。 5、6年時は皆勤賞で過ごし、10教科すべてが最高評価の「甲」。成績自体はこれまでも指摘例があったが、後年は病床につくことが多かった賢治が、幼少期では快活、元気で文武共に優秀だったことが学校資料で改めて裏付けられた。 学籍簿は今でいう「指導要録」。A4判よりやや小さく、表紙に「明治四十一年四月花城尋常高等小学校尋常科男児学籍簿」と記載されている。1ページに3~6年時の各教科の成績や、4~6年時の出欠状況、身体特徴などが記入されている。 6年時の教科は「修身(道徳に相当)」「国語」「美術」「日本歴史」「地理」「理科」「
花巻市出身の詩人で童話作家、宮沢賢治(1896~1933年)の花城尋常高等小(現・花巻小)時代の通信簿(表紙には学籍簿と記載)が同市花城町の花巻小(今野充雅校長、児童310人)に残っていたことが16日分かった。学校側で保管していた通信簿とみられ、成績はすべて、3段階のうち最高の「甲」。現在は市立宮沢賢治記念館(同市矢沢)に移管し、賢治没後80年である今年の目玉として8、9月の2カ月間公開する計画だ。 原本があったのは、花巻小の校長室に二つある金庫の一方。本年度着任した今野校長が、金庫の中身を整理しようとして偶然気付いた。特に引き継ぎなどはなかったといい、一つの学校にとどめるものではないと判断して市教委を通じて市に寄贈した。 11(明治44)卒業の妹トシ、16(大正5)年卒業の弟・故清六さんの通信簿も残っていた。 同記念館の牛崎敏哉副館長は「3人の氏名などが書かれた卒業証書台帳も移管された。
戦中の国定教科書で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一部を「一日ニ玄米三合ト」に変更して載せているものを探している。 戦後の教科書で変更したという情報はあったが、 以下の情報によると、戦中の国定教科書に載っているはずだと思う。 1)井伏鱒二「黒い雨」 戦中の国定教科書に宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩の一部「一日ニ玄米四合ト・・」が当時の米の配給量と睨み合わして「玄米三合ト・・」と改訂されてし掲載された 2)「宮沢賢治研究資料集成」第18巻 第二次世界大戦中、「雨ニモマケズ」が教科書に採択されたときは、「一日ニ玄米四合ト」を「「一日ニ玄米三合ト」に改作 国定教科書に「雨ニモマケズ」の掲載はなし。 戦後・文部省著作教科書で、昭和22年版は「玄米三合」、昭和24年と25年には「玄米四合」に戻されたことは調査済みのため、戦中の国定教科書ではなく、戦後文部省著作教科書の間違いではないかと推測される。 また
「グスコーブドリの伝記」は,有名な宮沢賢治(1896-1933)が1932年に発表した短編童話です.不幸な身の上をもつ少年が,火山研究所技師として一人前になり,社会を救うというこの話は有名ですから,知っている方も多いと思います.一火山研究者として,いろいろと感銘を受ける点が多い作品です.以下に1994年に公開されたアニメ版のストーリー(原作とやや異なる点あり)をまとめます.2012年のリメーク版にはない、いくつかの重要なエピソードが含まれています。 少年ブドリは,イーハトーブ国の森で父母妹と4人で幸せに暮らしていました.ところが何年もつづく異常低温による飢饉と火山噴火によって,大変な不幸がブドリの身にふりかかりました.父母は死に,妹は人買いにさらわれ,家も失ってしまいます. 続きを読む
もっと見る 2024.12.20 ポン・ジュノ監督最新作 映画『ミッキー17』2025年6月6日(金)公開決定&場面写真初解禁!!
大切な人たちを守るためにできることとは? 宮沢賢治の原作をアニメ界の巨匠・杉井ギサブローが映画化! 声優に小栗旬、 忽那汐里ら/アニメーション映画『グスコーブドリの伝記』 [イントロダクション] 『グスコーブドリの伝記』は、宮沢賢治原作の同名童話をアニメーション映画化した作品。監督を、同じく宮沢賢治原作の名作をアニメ映画化した『銀河鉄道の夜』(85年)の杉井ギサブローがつとめ、主役のブドリ役の声を小栗旬、ブドリの妹・ネリ役の声を声優初挑戦となる忽那汐里がつとめる。ほかに、ブドリの母役を草刈民代、父役を林隆三。そして、イーハトーヴの大学で科学を教えるクーボー博士役を柄本明、大きなマントを纏(まと)い子どもを連れ去っていく謎の男・子取り役を佐々木蔵之介が担当する。 本作は、岩手県出身で、37年という短い人生の間に三陸沖地震を含む大地震や大規模な冷害に幾度も見舞われながらも地元岩手を愛し続け
見どころ 岩手出身の児童文学作家、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」を映画化したアニメーション。擬人化した猫をキャラクター化し、幼いころ、冷害で家族を失った主人公が成長し、再び遭遇した冷害を必死に食い止めようとする姿に迫る。以前も宮沢の名作「銀河鉄道の夜」を映画化した杉井ギサブロー監督と、キャラクター原案担当のますむら・ひろしのコンビが復活。主要キャラクターのブドリと妹ネリの声を、小栗旬と忽那汐里が務める。キュートな猫たちが活躍する、心温まる物語が感動を呼ぶ。 あらすじ イーハトーヴの森で家族と暮らしていたグスコーブドリは、森を直撃した冷害のせいで両親と妹を一度に亡くしてしまう。たった一人残された彼は懸命に働き、長じて火山局で働き始めるが、またしても大規模な冷害が発生する。かつての惨事を二度と繰り返さないようにするため、グスコーブドリは自分の身を呈して冷害の被害を防ごうとする。 関連記
印刷 街道のスタートに考えられている菊池邸=岩手県花巻市御田屋町街道のゴールに考えられている蓬莱島=岩手県大槌町の大槌湾「イーハトヴ・メルヘン街道」の地図 日本版メルヘン街道を岩手県内に作ろうと、宮沢賢治研究家らが「イーハトヴ・メルヘン街道」の創設を提唱している。震災の復興支援に利用されている花巻市から大槌町までの国道約150キロ。復興に加え、観光での活性化もめざす。 花巻市内で賢治によるまちづくりを進める「ハーナムキヤ景観研究所」が、グリム童話にちなんだドイツ・メルヘン街道にヒントを得て発案した。すでに碇川豊・大槌町長の賛意を得ており、近く他の自治体にも働きかける。 ルートは花巻から遠野市、釜石市、大槌と結ぶ国道283号と同45号。始点は賢治の童話「黒ぶだう」の舞台である花巻の菊池邸で、終点は人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデル、大槌湾の蓬莱(ほうらい)島を考えている。沿道の施
NHK BSプレミアムで10月22日より9日間連続で放送されている「きらり!東北の秋」シリーズの一環として、10月29日(土)21:00より2時間番組「宮沢賢治の音楽会 ~3.11との協奏曲~」が放送される。 生涯に約20曲の歌を作り、自らの文学的世界観の底流に音楽が流れていると生前語っていた宮沢賢治。数多くの現代のアーティストが彼に影響されて音楽を作り、その詩を朗読している。番組では音楽を切り口に宮沢賢治の魅力を見つめ、その世界を音の響きで堪能する。 番組には大貫妙子、坂本龍一、手嶌葵、冨田勲、一青窈、藤原真理、細野晴臣、松本隆、松山ケンイチらが登場し、比嘉愛未が案内役として出演。宮沢賢治が残した曲の数々をそれぞれが歌や演奏、朗読で披露する。また、中島みゆきのライブ「夜会」の映像とともに、彼女へのインタビュー音声がオンエアされる。 NHK BSプレミアム「宮沢賢治の音楽会 ~3.11との
岩手県在住のエッセイスト澤口たまみさんが、25日発売の『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』(作家の重松清さんらとの共著、新潮社とんぼの本)で「賢治に20代半ばごろ、恋人がいた」と発表した。求道的な詩や童話を多く残し、生涯独身だった賢治については、妹や親友との関係を恋愛に見立てる解釈が主流だった。結婚も考えていたという新たな賢治像は、波紋を広げそうだ。【鈴木英生】 同書によると、恋人の名は大畠ヤス=写真、佐藤春彦さん提供。1896年生まれの賢治より4歳下で、宮澤家の近所に生まれ育つ。賢治が岩手県稗貫(ひえぬき)郡立稗貫農学校(現県立花巻農業高)に就職した1921年には、同じ敷地内の花城尋常小学校(現花巻市立花巻小)で教師をしていた。賢治が仲間と開いたレコードコンサートの場で、恋が芽生えたという。 宮澤家の人々は二人の結婚を考えたが、ヤスの母親が反対した。周囲に変人扱いされていた賢治の性格を気
地図の裏面に書かれていた宮沢賢治の詩の草稿=林風舎提供 今もファンの多い詩人・作家宮沢賢治(1896〜1933)が書いた未発表詩の草稿が見つかった。賢治の作品はこれまでの研究・調査でほぼ出尽くしたとされており、新たな詩が発見されたのは三十数年ぶりという。 昨年、岩手県花巻市にある賢治の生家の蔵を解体しようとした際に、はりの上に置かれていた書類の中から見つかった。5万分の1地図の裏面に鉛筆で書かれていた。筑摩書房から刊行中の賢治の全集の編纂(へんさん)委員が確認したところ、未発表の草稿と判明した。 〈停車場の向ふに河原があって〉に始まる16行の詩で〈停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て/運転手たちは日に照らされて/…ここから横沢へかけて/傾配つきの九十度近いカーブも切り/径一尺の赤い巨礫(きょれき)の道路も飛ぶ/そのすさまじい自働車なのだ〉といった明るい光景を描いている。 全集編
<ka-ron> アフガニスタン出身の医学生の女性(24)が、今年から米ハーバード大学メディカルスクールの研究プログラムに参加する。 当初、同大への進学は認められたものの奨学金(学費約80万円の免除)は受けられず、参加のめどが立っていなかった。日本からの「善意」でそれがかなったという。 その経緯を
賢治は明治29年(1896)の生まれ。大正元年(1912)のときには16歳で、昭和をちょうど30歳で迎え(1926)、昭和8年(1933)に37歳で没しました。彼が生きたのは、ちょうど宇宙構造論が劇的に変化した時代に当ります。 下は賢治の没後、昭和11年に出た『少年天文読本』(『子供の科学』誌別冊付録)から取った「銀河系及び大宇宙の構造」の図。銀河系の直径は20万光年、太陽系は、いて座方向にある中心部から5万光年ほど寄った位置にあることが描かれています。
できかけの星の周りに浮かぶかんらん石の「雨粒」の想像図(米航空宇宙局ジェット推進研究所など提供) 地球から1350光年ほど離れた天体で、かんらん石という鉱石の結晶の雨が降っているらしいことがわかった。かんらん石の純度の高い結晶はペリドットと呼ばれる宝石で、実際に見られれば、かなり豪華な眺めだ。米航空宇宙局(NASA)が発表した。 かんらん石は宇宙にありふれた鉱石。遠方の銀河にも存在することがわかっているが、NASAのスピッツァー宇宙望遠鏡が、オリオン座にあるHOPS―68という天体を観測したところ、かんらん石の結晶に特有の光を観測した。 このような結晶ができるには、かんらん石が一度、かなり高温になったあと冷やされなければならない。研究チームは、天体から噴き出す高温のジェットで熱せられたかんらん石が遠方まで吹き飛ばされて低温で結晶化し、再び天体に向けて降っているとみている。
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