将来戦闘機の研究は、T-2CCV運動能力向上機の研究のほか、複合材1次構造の研究、将来火器管制装置の研究等を昭和56(1981)年頃から着手しています。 「昭和56年度中期業務見積」で、F-1支援戦闘機の後継機としてFS-X24機の装備が記載されることになりました。 昭和60(1985)年1月29日航空幕僚長からのFS-X国産開発の可否に関する検討依頼に対して、同年9月17日技術研究本部長は「エンジンを除いて、約10年間で国内開発可能」と回答し、FS-Xは「国内開発」「現有機の転用」「外国機の導入」の3つの選択肢について検討を開始することとなりました。 その後、米国からの「国内開発」反対の圧力が強まり、防衛庁は昭和60(1985)年12月26日「国内開発」を「開発」と改め、「共同開発」に含みを持たせました。 その後の日米間の調整等を経て昭和62(1987)年10月2日、栗原防衛庁長官とワイ