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天皇に関するyomimonoyaのブックマーク (7)

  • 天皇と「国民主義的ナショナリズム」 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    いま読むと隔世の感があるが、1999年の論文で渡辺治は「国民主義的ナショナリズム」による対抗運動について、次のようにその問題を指摘していた(強調は引用者。以下同)。 「ここで一つだけ強調しておきたいのは、支配層のこうしたイデオロギーに対し私たちは、かつて丸山真男らが考えたような国民主義的ナショナリズムで対抗することはできないのではないか、という点である。 日の丸・君が代の法制化が浮上したとき、それに反対する論拠の一つとして、日の丸も君が代も、決してあのフランス三色旗やアメリカの星条旗のように革命や民主主義的討論の中から生まれたものではないという点が、少なくない論者によってあげられた。日の丸・君が代制定の経緯については、その通りではある。しかし、私は、この反論は決定的弱点を有していると思う。それは、この議論は、国民主義的ナショナリズムも帝国主義を生んだという問題に答えられないからである。端的

    天皇と「国民主義的ナショナリズム」 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
    yomimonoya
    yomimonoya 2014/05/04
    重要な指摘。「天皇はいらない」を実現しなければ結局、何度でも戦前に回帰してしまうのだこの国の社会は。
  • 「昭和天皇の軍事思想と戦略」 | 散歩の変人

    「昭和天皇の軍事思想と戦略」(山田朗 校倉書房)読了。冒頭に載せられている著者の言を長文ですが引用します。 今日における戦争責任の追及とは、どのような歴史状況の中で、どのような国家の判断・行動が、どのような結果をもたらしたのかを実証的に検証し、その因果関係や責任の所在を明らかにし、国民の共通認識として定着させることである。こうしたことを私たち日人の手で確実に行っておくことが、侵略・支配に対する自覚的反省と内外に対する実のある謝罪・補償の前提であり、再び膨張・戦争といった歴史を繰り返さないための確かな土台となるのである。そして、戦争責任の問題をとりあげる時には、戦前の国家元首であり、陸・海軍の最高統帥者であった大元帥・天皇の責任についても触れないわけにはいかなくなるのである。 同感です。好き嫌い、敬愛や憎悪を抜きにして、昭和天皇とはどのような人物だったのか、どのような権力をもっていたのか、

    「昭和天皇の軍事思想と戦略」 | 散歩の変人
  • 社会科学者の時評: ■ 昭和天皇の敗戦責任を追及しなかったアメリカ ■

    ◎ 天皇裕仁に戦争責任はないのか ◎  【戦争論理学による分析と吟味】  ① 三浦俊彦『戦争論理学-あの原爆投下を考える62問-』(二見書房,2008年9月)  書,三浦俊彦『戦争論理学-あの原爆投下を考える62問-』は「究極のテーマで学ぶ,クリティカル・シンキング」によって,「歴史的事実を検証しながら最も合理的な結論に達する」ために学ぶ「新しい論理思考演習のテキスト」(パラドクス・シリーズ応用論理編)である,と謳われている。  同書は,戦争という事象に不可避であった,それも第2次大戦中の戦局・場面において展開された戦略・戦術を,論理学の思考方法に徹頭徹尾当てはめ,検討・考察している。なまじ中途半端に,戦争問題をとりあげ論究した著作よりは,よほど興味深い議論を与えている。  同書が対象にした問題は,南京事件,真珠湾攻撃,ホロコースト,ヨーロッパ優先戦略,通常兵器,核兵器,原爆投下,無差別

    yomimonoya
    yomimonoya 2011/10/14
    こと「天皇(家)」に関しては議論する土台さえ無いことの異常性を私たちは認識しなければならないと思う。
  • 北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条

    明治政府はそのイデオロギー主柱が水戸学であったことが、北朝ではなく、南朝が正統であると考えられた根にあると思われる。江戸幕府の歴史意識では、後醍醐で王朝は終了して武家の世になっているのである。王朝交代の思想に基づけば、南朝正統の方が何かと好都合であった。松平定信の大政委任論から始まって、幕末の政治情勢の中で攘夷を決行できない「征夷大将軍」に対する不満が高まり、「尊王攘夷」から「尊王討幕」へと政治動向が変わり、明治維新に至る。明治維新では水戸学の影響やら、国学、特に大国学(おおくにがく=大国隆正の学派であって、「だいこくがく」ではない。念のため)を中心とする国学がヘゲモニーを一時的に握る。いわゆる祭政一致の段階で、神祇官が太政官の上に置かれた時代である。神武の昔にもどろうとしたらしい。やがて文明開化の中で彼等は非主流派に転落して行くのだが、彼等の思想は民間右翼団体やその影響を受けた地方の保

    北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/06/12
    菊花紋 浜の真砂は尽きるとも 世に藤原の種は尽きまじ。
  • 東京新聞:終戦の日に考える 歴史は沖縄から変わる:社説・コラム(TOKYO Web)

    鳩山由紀夫前首相を退陣させた普天間基地問題は、沖縄の戦後がなお終わっていないことを告げる事件でした。歴史は沖縄から変えねばなりません。 「米国に依存しつづける安全保障、これから五十年、百年続けていいとは思わない」。前首相の辞任演説。同感なのですが、いったいこの米国依存の体質はどこからきたのでしょうか。

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/08/15
    なんか、あくまで「見ざる、聞かざる」の人がブコメにいるな。だったらいっそ「言わざる」もモットーにしてくれればいーのに。
  • 可視化された帝国:みすず書房

    明治から昭和初期にかけて、全国各地をまわり、人々の前に生身の身体をさらした3人の天皇・皇太子。その足どりをつぶさに追うことを通して、全国規模で展開される「視覚的支配」の場に、一つの政治思想が浮かび上がる。 近代天皇制は、イデオロギーによる観念的な支配というよりは、むしろ、個別の天皇・皇太子の身体を前提とした大がかりな仕掛けによる支配とみるべきではないのか。たび重なる国家儀礼に動員される「臣民」たちは、天皇との一体感を身体ごと体験し、記憶に深く刻み込んだのではなかったか。だからこそ、象徴天皇制のもとでも、昭和天皇の戦後巡幸は熱狂をもって迎えられ、元号は平成に変わっても、1999年秋には現天皇の在位十年を祝う「国民祭典」が、2万5000の群衆と日の丸・君が代・万歳の儀礼空間を再現したのではないだろうか。 鉄道というテクノロジーへの注目など、行幸啓の光景のきわめてリアルな把握から、やがて大正期を

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/07/06
    「近代天皇制は、イデオロギーによる観念的な支配というよりは、むしろ、個別の天皇・皇太子の身体を前提とした大がかりな仕掛けによる支配とみるべきではないのか」
  • 「輔弼親裁構造」 - Apeman’s diary

    もう半月ばかりも前のコメントへのレスポンスで恐縮ですが。 ただ、そうは言っても「現に存在した旧憲法」のもとで、必ずしも天皇の信頼のおける閣僚ばかりが 選任される状況でないなかで、いかように振舞っても後世の我々から非難されるような状況における、 天皇の「総攬者としての態度」というのは実に難しいものだと思います。 それは、そのような態度を強い、「責任者として不可避の責任」を取らせることになる旧憲法の 致命的なエラーではあるのでしょうが、そこで済ませていいのかなというところに、まだ割り切れなさを 感じています。 (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100404/p1#c1271660987) 「そこで済ませ」るとはどのようなこと(どのような論者のどのような主張)を指しているのかが判然としないので BigHopeClasic さんの感じておられる「割り切れなさ」の内実も

    「輔弼親裁構造」 - Apeman’s diary
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