タグ

アニメに関するyomimonoyaのブックマーク (9)

  • 「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    5日に亡くなった高畑勲監督の代表作『火垂るの墓』(1988年)が、日の『金曜ロードSHOW!』(日テレビ)で放送される。周知の通り「反戦映画」として国内外から高い評価を受けた作品だが、生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、サイトでも何度か紹介してきた。 「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」(神奈川新聞2015年1月1日付) 一方、その高畑監督が『火垂るの墓』の次に撮ろうとしていた“まぼろしの作品”については、あまり知られていない。監督作としての次作は1991年の『おもひでぽろぽろ』になるが、実はその間、高畑監督は別の企画を進めていた。しかし、ある理由によりお蔵入りになったという。「国公労新聞」2004年1月1・11日合併号のインタビュ

    「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
    yomimonoya
    yomimonoya 2018/04/15
    これはすごい企画、実現して欲しかった。
  • 無縁なるフレンズ - 過ぎ去ろうとしない過去

    けものは居てものけものは居ない――だが、「けもの」とは「のけもの」である。 ワーウルフ、すなわち人狼の伝説は、ネウロイ人――かのイキリ軍事オタク御用達のアニメにおいて、それが敵対者として刻印づけられた名前であるのは示唆的であろう――に関する記述として、既にヘロドトスの時代から知られていた。一方、中世において人狼は具体的な人間の形象を取る。すなわち、彼らは非人間つまり教会や共同体の裁判において追放された「のけもの」たちのことなのだ。 近代国家は暴力を独占するが、中世の国家はそうではない。自力救済が当たり前だった時代で、共同体は罪ある者とされた人間に対するいっさいの保護を停止し、排除する。すなわち「縁を切る」。排除された人間に対しては、生命を奪うことを含め、何をしてもよいのである。何となれば、「のけもの」は人間ではなく、「けもの」なのだから。 共同体におけるあらゆる権利を剥奪され、「のけもの」

    無縁なるフレンズ - 過ぎ去ろうとしない過去
    yomimonoya
    yomimonoya 2017/10/08
    ところでそのアジールはなぜ少女の姿を取らねばならないのか?
  • 鷲谷花さんによる『風立ちぬ』評

    鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』見終わって飛び乗る北行電車。「創造的人生の年限は十年」と、知る限り半世紀近く頑張ってらっしゃるマエストロに仰られると、あら嘘つき!となりますわな。嘘をつき、隠し事をし、その嘘を自分で信じ、隠したものは来存在しなかったと思い込む。そうやらねば回らない創造的人生 2013-08-04 12:00:07 鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』は、『ハート・ロッカー』の最後のせりふ「小さい頃大好きだったものは大抵ガラクタだと気付く。大切なものが一つか二つしか、一つしかなくなる」の実現例として見た。途中経過が都合よすぎてずるいはずるいけど、最後に主人公が空を見上げながらも真下に姿を消していく下降運動に落涙 2013-08-04 12:14:54 鷲谷花 @HWAshitani 『風立ちぬ』の主人公は、大日帝国の男子と生まれた特権はちゃっかり享受、

    鷲谷花さんによる『風立ちぬ』評
  • 円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ―女は聖母になる。そして同時に魔女にも。 ―カール・シュミット 魔法少女の運命、すなわち罪と罰のエコノミーに対して、純粋なる暴力がふるわれた。罪はまどかによって引き受けられた(annehmen)。それによってあらゆる罪は贖われた。つまり、あらゆる時間の魔法少女は、常にすでに救済されることになったのである――しかし、ほむらは自身のソウル・ジェムを自ら砕き、魔女となる。彼女は救済を拒む。「円環の理」の救済を。 なぜ?我々は今や新たな考察をくわえる必要に迫られている。ほむらの「叛逆」とは何か。そのためには、「叛逆」の対象、「円環の理」とは何かを明らかにしなければならない。過去と未来を超越する”Jetztzeit”の概念も、時間(Zeit)の概念、すなわち過去と未来の概念を、その語の内に指示している。だが、今や時間は消失した。なんとなれば、時間の両端が結ばれてしまったのである。つまり、「円環」とし

    円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 2010-04-01 - 灰かぶり姫の灰皿

  • 2012-10-17

    サイコパスからただようギルクラのアトモスフィア。そういえばエゴイストのアルバムはギルクラの編のように全編物悲しい失敗作アニメのアトモスフィアが漂っていてもしギルクラがやるべきことやってちゃんと売れていたらあんな悲しいアルバムじゃなくてヒロイックなポップアルバムになっていたんじゃないかと思っているのですが。いいアルバムなんだけどね。僕の見たかったギルクラを期待してたけどそこにあったのは現実に失敗したアニメとしてのギルクラのアトモスフィアだったんだ。 さておきサイコパス。ギルクラと同じく業界の期待値ほどにはおもしろくなく30点、フィルムにさほどの高級感もない1話。誰のディレクションか分からんけど観客なめすぎ、説明しすぎ、日高のり子銃がいちいちしゃべりすぎ。まどまぎやフェイトゼロ、シャフトやユーフォテーブルのオタク向け画面作りで実績作ってからIGのハードボイルドな画面作りが来て、そことの比較が

    2012-10-17
  • 錦織博監督が語る、アニメ制作におけるロケハンの問題点

    錦織博 @nishiki_hiroshi アニメ制作にロケ地を求める理由は色々あると思うが、所謂、実写でのロケハンとは意味あいが違うと思っている。少なくとも自分は。後で、聖地巡礼などで盛り上がるのはとても良い事だが、ゆるキャラのように目的化するのはどうかと思う。 2012-01-24 19:01:48 錦織博 @nishiki_hiroshi この頃は、アニメ制作の準備期間にビジュアルを依頼することが困難になってきた。それが多くの作品で、ロケハンに頼る理由の一つになっている。美術がリアルに傾いているのもその余波だと思うが、絵とか情報に対してもっと自覚的になるべきだと思う。 2012-01-24 20:44:48

    錦織博監督が語る、アニメ制作におけるロケハンの問題点
  • 中村翫右衛門はルパン三世 - ohnosakiko’s blog

    山中貞雄(1909〜1938)の残存する三のフィルムのうちの二、『河内山宗俊』(1936)と先日取り上げた『人情紙風船』(1937)に、河原崎長十郎と中村翫右衛門のコンビが出演しているのだが、先日からDVDを見直していて思うのは、中村翫右衛門がルパン三世に似ているということだ。 (『河内山宗俊』で浪人を演じる中村翫右衛門) 元は髪結、今は博打打ちで生活している『人情紙風船』の新三の、憎めない小悪党ぶりはルパンそっくりで、小気味良い軽妙な口調まで(山田康雄に)どこか似ている。望まぬ結婚をさせられそうになっている深窓の令嬢を攫うというプロットの一部は、カリオストロの城。 (上:河原崎長十郎、右下:中村翫右衛門) 『河内山宗俊』の浪人、金子市之丞も新三と同じく、飄々としたルパンキャラである。とぼけた顔で言う人を喰った台詞が面白い。 弟の不祥事で生じた借金返済のため、身売りを決意する甘酒屋の少

    中村翫右衛門はルパン三世 - ohnosakiko’s blog
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/09/23
    面白い考察、紹介されてる映画を観てみたくなった!
  • http://yaplog.jp/aslog/archive/927

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/06/06
    全面的に同意。物語のリアリズムを立ち上げるために不可欠な事柄がまとめられている。
  • 1