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宗教に関するy2_naranjaのブックマーク (5)

  • 宗教とメンヘラの関係性 信仰一世が見た伝統派キリスト教会について - メンヘラ.jp

    こんにちは。 メンヘラ.jpで何度か記事を掲載していただいている広尾蘭です。 サイトに掲載された「新興宗教の二世信徒として生きる苦しさ」を読んで、筆を執らせていただきました。 実はわたしは、宗教一世です。 つまり自分の意志で宗教に入信したということです。 具体的には伝統系のキリスト教で洗礼を受け、現在進行系で教会に通っています。 洗礼を受け、クリスチャンになるということは、自分がメンヘラ(発達障害)でなければ、おそらくあり得なかったことでしょう。 いま話題になっている女優・清水富美加さんの出家は、二世には宗教を選ぶことができない、という問題がベースになっていると思います。 選ぶことができない二世に対して、宗教一世は明確に自分の意思で宗教を選択した存在です。 宗教二世の親は、なぜ自分の意思で宗教一世となったのか。 もちろんその事情はさまざまでしょうが、自分の意志で宗教を選んだ立場というのは

    宗教とメンヘラの関係性 信仰一世が見た伝統派キリスト教会について - メンヘラ.jp
    y2_naranja
    y2_naranja 2017/03/06
    様々な形のセーフティーネットが弱まっている今、新旧問わず、宗教がその役割を果たすというのはよくわかる。YOSAKOIもそういう側面ある。すごく新興宗教っぽい / 聖公会の「北海道と沖縄は注意」が気になる(汗)
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    y2_naranja
    y2_naranja 2017/02/15
    信仰や宗教(あと日本史)に詳しくない人達がコメント欄で自説を展開してるけど、とくに得るものなし。
  • 【画像あり】カルト教団と新興宗教を淡々と紹介していく : 暇人\(^o^)/速報

    【画像あり】カルト教団と新興宗教を淡々と紹介していく Tweet 1: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:06:19 ID:AJ9 ハラデイ 2: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:13:30 ID:AJ9 黒住教(くろずみきょう) 【創始者】黒住宗忠 【設立年】1814年 【部所在地】岡山県岡山市北区尾上 神道山 【信者数】30万人 【崇拝対象】天照大御神/八百萬神/教祖宗忠神 【教典】教祖のつくった300首以上の短歌と260余通の手紙 天理教、金光教と共に「幕末三大新宗教」の一つに数えられる。 【事前予約】世界各国の神々をモチーフにした「姫神」が掛け声とともにスキルを繰り出す爽快バトル! 3: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)21:16:32 ID:AJ9 出雲大社教(いずもおおやしろきょう) 【創始者】千家尊福 【設立年】18

    【画像あり】カルト教団と新興宗教を淡々と紹介していく : 暇人\(^o^)/速報
    y2_naranja
    y2_naranja 2015/05/27
    勉強になった。カオス…。
  • イスラムはテロを認めていません。 | 東京ジャーミー・トルコ文化センター

    テロの良く知られた定義の一つが、「政治的な目的を達成するために、政府や市民、あるいは個人に対して組織的な暴力行為を行うこと」です。 イスラームの観点から、テロはどのようなものであれ認められるものではありません。なぜならイスラームでは人の生命、尊厳、信仰、財産は不可侵のものであると教えているからです。テロはその中でも最も価値ある人の命を標的としています。クルアーンでは、「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」(卓章第 32 節)と述べられています。 人類への慈悲として下され、その質に創造主を知り愛することが含まれている最後に啓示された宗教であるイスラームの教えは、テロや不正に血を流すことなど、社会の安定や信頼を揺るがすどのような行為も認めていません。ただしユダヤ教やキリスト教、あるいはイスラームの歴史において、宗教がテロや暴力行為を正当

    イスラムはテロを認めていません。 | 東京ジャーミー・トルコ文化センター
  • 「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS

    「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最

    「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS
    y2_naranja
    y2_naranja 2015/01/14
    ミステリなり、史料なり、データなり、深く読み解いて楽しいものは存在する。 しかし新聞の一枚絵を、毎日そうやって読んでいる人はどれ程いるのか。
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