日本有数の進学校・開成高校の校歌は、《常盤の緑 色映ゆる 道灌山の学び家に》で始まります。 高校の裏手には、江戸城を築いた太田道灌の出城跡とされる「道灌山」があります。江戸時代には、富士山や筑波山が見える景勝地として、また薬草の採集地として知られていました。この場所には、秋田・佐竹藩の屋敷や庭園「衆楽園」などがありましたが、明治になると荒れ地のまま放置されました。 1908(明治41)年に発表された夏目漱石の『三四郎』には、この場所を抜けて道灌山へ出ようとして、番人に怒られたエピソードも書かれています。 1916年(大正5年)、荒れ果てていたこの場所を、東京渡辺銀行の頭取だった渡辺治右衛門が譲り受け、理想的な住宅地を建設します。 作家の野上弥生子は、この場所に家を買い、戦争で焼け出されるまで住みました。 《或る資産家が三四年前から北の方の郊外にある自分の所有地にW-町と名づけて田園都市のよ
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