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寺田寅彦に関するwhaleboneのブックマーク (26)

  • 震生湖 | はだの旬だより-秦野市観光協会

    1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で震生湖は誕生しました。 東側の絶壁は当時の崩壊した跡といわれています。 この震災で、小原地区の女の子2人が南小学校から下校する途中、峰坂で行方不明になったといわれています。現在、峰坂を登った丸山のバス道路わきに、その供養塔が見られます。 面積13,000平方メートル、周囲約1,000メートル、水深は平均4m、深いところで10mといわれています。フナ、コイ、モツゴ、オオクチバスなどの魚類と共に、カワセミ、コゲラ、ヤマガラ、オナガなどたくさんの野鳥の姿を見ることが出来ます。

  • 寺田寅彦 ルクレチウスと科学

    緒言 今からもう十余年も前のことである。私はだれかの物理学史を読んでいるうちに、耶蘇紀元(やそきげん)前一世紀のころローマの詩人哲学者ルクレチウス(紀元前九八―五四)が、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵(みじん)の混乱状態を例示して物質元子(1)[#「(1)」は注釈番号]の無秩序運動を説明したという記事に逢着(ほうちゃく)して驚嘆の念に打たれたことがあった。実に天下に新しき何物もないという諺(ことわざ)を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。 その後に私は友人安倍能成(あべよししげ)君の「西洋哲学史」を読んで、ロイキッポス、デモクリトス、エピクロスを経てルクレチウスに伝わった元子論の梗概(こうがい)や、その説の哲学的の意義、他学派に対する関係等について多少の概念を得る事ができた、と同時にこの元子説に対する科学者としての強い興味を刺激され

  • 吾輩はキリンである.模様はひび割れている

    細胞工学連載コラム「生命科学の明日はどっちだ?」目次 吾輩はキリンである.模様はひび割れている 皆さま,申し訳ありません.ジンクピリチオン祭りで燃え尽きてしまい,2カ月ほどお休みをいただきました.今月号からまたよろしくお願いいたします. 寺田寅彦を知ってますか? 今回もちょっと古い話で始まります.図1 の切手の肖像が誰だかわかるでしょうか? 若い人はたぶんご存知ないかもしれないが,この人物が今回の主役の物理学者,寺田寅彦(1878 ~ 1935)である.一見,何の変哲もない硬物の昔のおっさんだが,これがまたつはたいしたおっさんなのである.大体,この切手の写真にしたって,じつは下の写真のような「きれいどころ」に囲まれて,にやけるのをこらえている一枚なのである.こんな写真が切手になるところからしてただものではないが,科学的な業績は,もっとすごい. 寅彦は,X線結晶解析に関して非常に先駆

  • 2015年春 天文教育フォーラム(2015/3/18開催,日本天文学会との共催)

    2015年春 天文教育フォーラム (日天文学会との共催) テーマ : 「トランス・サイエンス時代の天文学」 「科学に問うことはできるが、科学(だけ)では答えることのできない」領域を、トランス・サイエ ンスと呼びます。例えば牛海綿状脳症 (BSE) や原発事故など、社会と科学・技術が重なる領域にある 諸課題が、トランス・サイエンス的課題です。これらのトランス・サイエンス的課題が登場してきた 背景には、科学の急速な発展と、人々の生活の科学・技術への依存度の高まりがあります。トランス・ サイエンス的な課題は時代を反映した、未解決の先端課題であると言えるでしょう。 このような時代背景は、他の科学分野でも共通するものです。天文学分野においても、現代が急速 な発展の時代にあることは間違いありません。同時に、天文教育普及分野の活動も活発になり、人々 の生活に近い場所へ天文学が普及しつつあります。天文学

    whalebone
    whalebone 2015/04/09
    海部先生ほか
  • 東日本大震災 救助から復興、国の再構築へ(2011年3月末 記) at サイエンスライター 森山和道

    Tweet下記は、2011年3月末に執筆し、 岩波書店「科学」2011年5月号・科学時評欄に掲載されました。 東日大震災から4年。ウェブにアップしておきます。 —- 3月11日午後2時46分、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生した。地震の規模はマグニチュード(M)9.0。大津波をもたらし、甚大な被害を日全体に与え続けている。 直接被害を被った場所の一つ、宮古市田老には高さ10m、長さ2kmを超える「田老万里の長城」とも呼ばれる大防潮堤があった。しかし津波は10mの防潮堤を超え、町を破壊した。田老だけではない。釜石の湾口防波堤など各地で津波を想定して設置されたハードウェアが想定仕様を超える力に圧倒され、沿岸地域に集落があった地区は壊滅した。 世界有数の豊かな漁場だった海が、どす黒い濁流に姿を変えて触れたもの全てを破壊する姿は、日を戦慄させた。 死者行方不明者は3

    東日本大震災 救助から復興、国の再構築へ(2011年3月末 記) at サイエンスライター 森山和道
  • 寺田寅彦 茶わんの湯

    ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物(みもの)です。 第一に、湯の面からは白い湯げが立っています。これはいうまでもなく、熱い水蒸気が冷えて、小さな滴になったのが無数に群がっているので、ちょうど雲や霧と同じようなものです。この茶わんを、縁側の日向(ひなた)へ持ち出して、日光を湯げにあて、向こう側に黒い布でもおいてすかして見ると、滴の、粒の大きいのはちらちらと目に見えます。場合により、粒があまり大きくないときには、日光にすかして見ると、湯げの中に、虹(にじ)のような、赤や青の色がついています。これは白い薄雲

  • 別役実 - Wikipedia

    別役 実(べっちゃく みのる、べつやく みのる 1937年4月6日 - 2020年3月3日)は、日の劇作家、童話作家、評論家、随筆家である[1][2]。 サミュエル・ベケットの影響を受け、日の不条理演劇を確立した第一人者である。日藝術院会員。 理学博士・随筆家の寺田寅彦の姉、駒の曾孫にあたる[3][4]。二歳年上の姉がいる。は女優の楠侑子。一人娘の怜は、イラストレーターのべつやくれいとして活動している。安岡章太郎は遠戚である。 早大在学中、安保闘争に参加、大学を中退。劇団「自由舞台」で上演した『象』で注目された。『マッチ売りの少女』(1966年)と『赤い鳥の居る風景』(1967年)で岸田戯曲賞、『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』(1987年)で芸術選奨文部大臣賞受賞。評論やエッセイ、童話も書く。 1937年、満洲国新京特別市(現中華人民共和国長春市)生まれ。父親・別役憲夫(1907

  • 寺田寅彦 災難雑考

    大垣(おおがき)の女学校の生徒が修学旅行で箱根(はこね)へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流(けいりゅう)に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋

  • 科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記

    ○寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫) 講談社 2011.6 引き続き、明治人の著作を読む。「天災」と「国防」は、どちらも2014年現在の日にとって、大きな課題である。「天災」は、2011年の東日大震災と福島原発事故が解明も解決もしておらず、日に日に混迷を深めているように見えるし、「国防」については、解釈改憲による自衛隊のあり方の変更が(実現してほしくないが)焦眉の急として迫っている。 書は、寺田寅彦(1878-1935)の著作から、災害に関するものを集めて再構成している。冒頭の一編が「天災と国防」と題した昭和9年(1934)11月発表のエッセイ。昭和9年といえば、前年に日軍(関東軍)の熱河省侵攻、国際連盟からの脱退があり、「非常時」が合言葉になった年だ。その同じ年に、函館の大火(1934年3月)や室戸台風(同9月)などの激甚災害が日の国土を襲っていたことは、あまり認識になか

    科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記
  • UT Repository: Acoustical Investigation of the Japanese Bamboo Pipe, Syakuhati

    このアイテムを引用あるいはリンクする場合は次の識別子を使用してください: http://hdl.handle.net/2261/32805

  • 科学雑誌の戦前と戦後

  • UT Repository: 秦野に於ける山崩

    whalebone
    whalebone 2013/03/24
    震生湖の調査記録。湖畔には寺田寅彦の句碑がある。
  • 東北大学 金属材料研究所

    古原忠教授 The Minerals, Metals & Materials Society (TMS)フェロー2025に選出

    東北大学 金属材料研究所
  • 嘉兴闯档物联网科技有限公司

  • ロゲルギストはその長続きの秘訣をかく語りき - Open-Ended

    昔、父の蔵書の中に古ぼけたが一冊あって、身近な問題について物理の知識を総動員して学者たちがわいわい議論しているおもしろいがあった。ロゲルギストという変わった集団筆名で書かれていて、それが妙に印象深かった。 今にして思えばあれは、「新 物理の散歩道 第1集」だったのだと思う。つい最近、ちくま学芸文庫から復刊されたものを見たら見覚えのある絵が載っていて、ああこれだったと思い出して非常に懐かしかった。 目次: ロゲルギストの月例会 量の感覚的表現 ミルクの糸 影法師のコブ ミリメートルの世界 道順の教え方 被服機構学序説 魚にまなぶ 自然は対称性を好む? シグナルと雑音 りこうな乗客 骨と皮 入院また楽しからずや 紙風船の謎を解く ねじれた結晶を推理する (新しい文庫版には、序文と江沢先生の解説付き) 当時は気にもとめなかったが、寺田寅彦や中谷宇吉郎、藤原咲平らの流れをくむ有名な物理学者たち

    ロゲルギストはその長続きの秘訣をかく語りき - Open-Ended
  • Amazon.co.jp: 新物理の散歩道 第1集 (ちくま学芸文庫 ロ 6-1 Math&Science): ロゲルギスト: 本

    Amazon.co.jp: 新物理の散歩道 第1集 (ちくま学芸文庫 ロ 6-1 Math&Science): ロゲルギスト: 本
  • 中谷宇吉郎への旅-雪のパラダイス:北海道人

    北海道大学構内に建つ「人工雪誕生の地」の碑 中谷宇吉郎(1946年) (写真提供:U.N. limited) ・北海道大学ホームページ http://www.hokudai.ac.jp/ 北海道大学の構内にひとつの碑が建っている。 六角形をかたどった大理石の碑は、雪の結晶をデザインしたものだ。碑文には「人工雪誕生の地」とある。 碑は、瀟洒なゲストハウス「エンレイソウ」の前にたたずみ、凍てついた道を行き交う学生たちを、じっと眺めているようにも見えた。 今から約65年前、北海道大学低温研究室があったこの場所で、世界初の人工雪が誕生したのだった。 わたしたちの中谷宇吉郎への旅は、ここから始まる。 中谷宇吉郎(1900~1962)は、世界的な雪氷学者であるとともに、「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残した一級の随筆家だった。東京帝国大学で寺田寅彦の門下生だった中谷は、1930年に北海道

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  • 寺田寅彦 小爆発二件

    昭和十年八月四日の朝、信州(しんしゅう)軽井沢(かるいざわ)千(せん)が滝(たき)グリーンホテルの三階の堂で朝って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草(たばこ)に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである。「ドカーン」というかな文字で現わされるような爆音の中に、もっと鋭い、どぎつい、「ガー」とか「ギャー」とかいったような、たとえばシャヴェルで敷居の面を引っかくようなそういう感じの音が

    whalebone
    whalebone 2011/06/10
    『ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい』
  • 寺田寅彦の伝説の警句 天災は忘れた頃に来る

    このページの内容 「天災は忘れた頃に来る」という言葉を言い出したのは寺田寅彦であるといわれています。寺田寅彦は現在においても人気者であり、寺田寅彦随筆集(岩波文庫)を新たに入手すると、例えば、第一巻は2002年5月第86刷発行」となっています。また、「松哉著 寺田寅彦は忘れたころにやって来る 集英社新書 2002」のようなが出版されるのも相変わらぬ寅彦の魅力のためと思われます。 寅彦に関する文献を抜粋引用し、地震・防災の原点を探ってみます。 寺田寅彦 伝説の警句 随筆中の災害や防災 関東大震災と寅彦 明治11年(1878)誕生、昭和10年(1935)没。享年58歳。 大正12年(1923)45才の時、関東大震災に遭遇し、火災旋風などの調査に従事する。随筆集「冬彦集」を出版した年である。 学校 ・・・・・・・・・ 高知と東京の小学校、高知の中学校、熊の第五高等学校、東京帝国大学 肩書き