人類の歴史の中でさしたる信仰を持たず、ルールと罰の損得だけで社会をやっている時代なんてほんの最近始まったばかりなんだから、人が無意識に信仰出来るものを求めるのは当然なんだよな。 新興宗教、陰謀論から推し活まで強度は色々あるけど、これらに絡め捕られない人間の方が異常なの。 歴史上のあらゆる社会で宗教が存在していたということは確実に何らかの役割を果たしていたのは間違いないのに、それを無視して表社会から宗教を締め出した結果がこの社会の混乱だよ。
安倍晋三・元首相に対する銃撃事件で、山上徹也容疑者(41)が事件直前に送った手紙の存在が明らかになった。岡山市で安倍氏を襲撃しようとする直前に投函(とうかん)したとみられ、事件を起こす覚悟を固めていた可能性が高い。手紙で訴えようとしたことは何だったのか。 【写真】山上容疑者の手紙の文面 「母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました」。手紙には、宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」への強い恨みが、自身の生い立ちとともに記されている。 山上容疑者の母親は同連合に総額1億円に上る献金を重ね、2002年に破産宣告を受けた。山上容疑者は県警の調べに「家庭がめちゃくちゃになり、(同連合を)絶対成敗しないといけないと恨んでいた」と供述した。手紙の内容はこれらと符合する。
暗殺なんてのは悪だってのは前提としてだ。 以下の観点ですげぇなと、良し悪し抜きにして思った。 褒めてないからな。ただすげえ印象ぶけぇ、って話。 人選はっきり言ってこれが母親相手だったら数あるニュースに埋もれるだけだし、統一教会の誰かをヤったところでそれもまたチョロっと話に出ておしまい。ちょっとした政治家だとしても数日程度の話題だろう。安倍レベルの日本人なんて現役首相でもどうだってくらいだし、(殺す相手としてはお門違いとはいえ)世間に、なんなら世界に一石投じるには唯一無二の選択だったと思う。絶対動機は遅かれ早かれ世界に発信されるからな。 超絶高難易度の一発勝負手製の銃で、安倍なんて日本の公人でトップスリーに入るハイパーVIP相手に、やり直しの効かない状況で、命を奪うまでの一撃を見舞うなんて、普通に考えたらありえないレベルの高難度。もしかして山下は成功するまでループしてるのでは?と思えるほど。
7月8日に発生した安倍晋三元首相の銃撃事件。現行犯逮捕された山上徹也容疑者は、警察の調べに対し、「特定の宗教団体に恨みがあった」と供述している。 【写真あり】チェーンがかけられ、人気のなくなった現場近くの「奈良家庭教会」 山上容疑者を知る男性は、山上容疑者が「自分の家族が統一教会に関わっていて、霊感商法トラブルでバラバラになってしまった。統一教会がなければ、今も家族といたと思う」と語っていたと、本誌取材に証言している。 山上容疑者の犯行動機の一つとなった「統一教会」(現在は世界平和統一家庭連合)は、7月11日14時から会見を開いた。会見で田中富広会長は、「山上容疑者は信者ではない」「山上容疑者の母親は当協会の協会員であり1カ月に1回程度行事に参加していた」と認めたうえで、「さまざまな憶測が飛び交っており、メディアには公明正大な報道をしていただきたい」と語った。 会見会場では、多数駆けつけた
宗教の定義の問題。私は神秘的な神や儀式を備えた宗教を否定してる。万有引力定数などを宇宙創成時に定めた存在を(ただの偶然でも)俺は神と呼ぶ。神の定めた力学で地球が生まれ自分が居る事は認識するといい / “id:xevra 宗教の話…” https://t.co/hktjgcCrbV — Xevra Lindich (@xev_ra) 2017年6月22日 神は確実に居る 人間、より良く生きていく上で現実を正しく認識する事は大切だ。今我々が生きているのは、今から138.2億年前にビッグバンと言う大爆発があって宇宙が出来上がったからであるが、もし、神が居るとするならばここに関わった存在以外には考えにくい。 宇宙を誰かが創りました。その後、神が出来ましたって話だと「え?」ってなるだろう。つまり、ビッグバンに関わり、万有引力定数や光速を定めた存在を神と呼ぶのが一番妥当性が高い。その存在が知性の無い存
天皇陛下が退位した場合、新天皇の即位や新元号のスタートはいつになるのか。区切りのいい1月1日とする政府の方向性に、宮内庁の西村泰彦次長が異議を唱えた。なぜ元日ではダメなのか。ほかにどんな選択肢があるのか。 西村次長の発言の背景には、元日が皇室にとって行事が集中する特異な日であるという事情がある。 元日は宮中祭祀(さいし)の四方拝に始まり、皇族方や三権の長を迎える新年祝賀の儀などの行事が続く。「どれも皇室にとって重要で、両陛下が大切にしてきた行事」(宮内庁幹部)だ。翌2日には5回の新年一般参賀があるほか、年末年始は12月23日の天皇誕生日から、1月中旬の歌会始の儀まで儀式や行事が連日続く。「もし元日の即位となったら年末年始と不眠不休になる」「準備作業がおろそかになりかねない」との声が宮内庁職員からあがっていた。幹部の一人は「新年行事を大切にする両陛下のお気持ちや、準備に関わる宮内庁全体の総意
ローマ・カトリック教会と、ロシア正教会のトップが、1000年近く前の東西キリスト教会の分裂以降、初めて会談することが明らかになり、テロなどの背景に宗教や宗派間の対立があること念頭に、国際社会に融和を呼びかけたいねらいがあるものとみられます。 フランシスコ法王は、これまでもたびたび、各地で相次ぐテロの犠牲者に追悼の意思を示し、治安の悪化などで増え続ける難民の支援を訴えてきました。このため、テロや難民問題の背景に宗教や宗派間の対立があることを念頭に、国際社会に融和を呼びかけたいねらいがあるものとみられます。 一方、ロシア正教会の報道担当者は、トップ会談のあと共同宣言を発表することを明らかにし、「分裂していた東西のキリスト教会の関係に新しいページを開くものだ」と述べて、強い期待感を示しました。 そのうえで、「キリスト教の信者への迫害も会談の主なテーマになる」としており、イスラム過激派組織によるキ
昨日、くだらないが 「自分は死んだらどうなるんだろうか、何も意識が無いところから突然生まれて、今生きている。そして自分は何十年も経ったら間違いなく死ぬ。もしかしたらそれより早く突然死ぬかもしれない。でも死んだ後俺はどうなる?意識が無くなって、そして、どうなる?その後に何が起こる?何も起こらないまま、何百年も何億年も過ぎていくのか?その後それが終わったらどうなる?そもそも終わりはあるのか?自分が生まれる前、自分はどこにいた?意識はどこにあった?」と、高校1年生のようなことを考え始めた。 その時、自分にはそれを解決して、1つの仮説を持ち、安心を得るための手段が無い事に気がついた。宗教である。 自分(というか、ほとんどの日本人)は無宗教である。 それを当たり前のように受け入れていたが、 1年前に祖父が死んだ時にお寺で葬儀を行った時や、 この間結婚式の挙式会場の下見で歴史あるとあるカトリックの教会
戦国キリシタン大名の高山右近が、没後400年となる2015年に、カトリックで「聖人」に次ぐ崇敬の対象である「福者(ふくしゃ)」に認定される公算が大きくなっている。バチカン(ローマ法王庁)の高官が、日本の巡礼団に前向きな見通しを語った。バチカンで申請の代理人を務める神父も、来年中に認定される可能性が高いとの見方を示した。 右近の福者認定を祈願する巡礼団は10月21日、バチカンで聖人や福者を認定する際の調査を担当する列聖省のアマート長官と面会した。日本カトリック司教協議会の列聖推進委員長で、巡礼団に参加した大塚喜直・京都司教や、同席したバチカン関係者によると、長官は「手続きには、何の問題もない。来年中にはすべての手続きが終了する」と述べたという。 バチカンで日本側の申請代理人を務めるビットベル神父(66)は、約600ページの申請書を7月に完成。製本を終え、9月に列聖省に提出した。
2014年08月03日00:00 ムハンマド「豚肉はよく火を通さなアカンで」 1 名前:風吹けば名無し@\(^o^)/[] 投稿日:2014/07/22(火) 14:46:32.00 ID:HaesRhBd.net ムハンマド「酒飲み過ぎは体に悪いし酔っ払って迷惑かけたらアカンで」 ムハンマド「むやみやたらと不特定多数とお◆んこしたらアカンで」 ムハンマド「だからといってシコってばっかりなのも虚しいからアカンで」 ムハンマド「たまに断食して貧しい人の気持ちも考えなアカンで」 ムハンマド「利子で儲けるのは金持ちの搾取になるからアカンで」 ムハンマド「個人崇拝になるから偶像とかつくったらアカンで」 ムハンマド「神の元では人類皆平等。聖職者が特権階級というわけやないで」 ムハンマド「規則正しい生活のために決まった時間にお祈りするとええで」 ムハンマド「一生に一度はメッカに巡礼の旅をして世界を広く
■どういう夫婦なんだ! 細川ガラシャ。明智光秀の娘、細川忠興の妻、キリシタン。彼女は石田三成の人質になることを拒み、屋敷とともに死ぬ。戦国モノの時代劇によく出てくる有名な女性であろう。この本は、当時日本にいたキリシタン宣教師が彼女をどう見ていたか、を歴史家が史料から説き起こしている。宣教師から見た細川ガラシャの何が面白かったかというと、その「わけのわからなさ」だ。 今まで、ドラマや小説で出来上がっていた“細川ガラシャ”は「美しく信心深い貞女」みたいなものではなかったか。わかりやすい貞女像だが、封建時代で女の人権など無いに等しかった、ことに当時はキリスト教が禁教になろうかという時代だ。そういうなかで「神様への愛」と「夫への愛」の両立って、けっこう困難を伴うんじゃないのか。夫に「どっちを取るか」と刀を突きつけられてもいい局面だ。 宣教師側の記録によると、ガラシャは離婚しようとしていた。信仰の道
2013年10月12日12:00 造形がヤバい神様トップ15決めたったwwwwwwww 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2013/10/12(土) 09:36:55.84 ID:f71dWDka0 何か間違ったこと言ってたら教えてくれ 異論は認める 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2013/10/12(土) 09:37:32.66 ID:f71dWDka0 15位:女媧(中国神話) 古代中国神話の創造神。土と縄で人類を創造したとされる。 元々は一枚目の画像にあるように当り障りのない造形であったが 誰かが蛇女型に魔改造。春秋戦国時代に書かれた『山海経』により確立した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/女カ 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日
小倉秀夫 @Hideo_Ogura 第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズは、法律書をもって宣誓。つまり、靖國と違って「何でもいい」んですよ。RT @arimoto_kaori: 「なぜ、聖書に手を置いて宣誓されるのですか? 政教分離の原則に反しませんか」と質問してるんでしょうか?(笑) 2013-10-03 17:58:36 小倉秀夫 @Hideo_Ogura モルモン教徒が大統領になったらモルモン経典をもって宣誓すれば良いし、イスラム教徒が大統領になったらコーランをもって宣誓しても良いし、共産党員が大統領になったら共産党宣言をもって宣誓しても良いんですよ。 2013-10-03 18:00:00
Comment by mepper イングランドにおいてキリスト教が死んでいってる。 そしてフランスにおいてはカトリック教司祭は年金受給者相手くらいにしか説教をしていない。 フランスでは若者の三分の二が自分たちは「無宗教」だと回答しており、定期的に教会の集まりに参加しているのは20人に1人しかいないと推測されている。 Christianity is dying in England, and in France Catholic priests are only preaching to pensioners reddit.com/r/atheism/comments/1l9ekl/christianity_is_dying_in_england_and_in_france/※これは「無神論者板」で立てられたスレッドです。 Comment by Hopeforcoke94 1 ポイント デ
1956年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。ドキュメンタリー映画『A』『A2』で大きな評価を受ける。著書に『東京番外地』など多数。 森達也 リアル共同幻想論 テレビディレクター、映画監督、作家として活躍中の森達也氏による社会派コラム。社会問題から時事テーマまで、独自の視点で鋭く斬る! バックナンバー一覧 たまたま読んで嵌ってしまった『聖☆おにいさん』 漫画を最も熱心に読んでいた中学生のころ、20歳を過ぎれば漫画などもう読まなくなるのだろうと思っていた。でも実のところ今も漫画を読んでいる。 当時の自分が、成長することを過大に評価していたことは確かだろう。小学生のころは中学生が大人に見えていた。でも中学生になって、実は何も変わっていないことに気がついた。だから高校生になれば、きっと一気に大人びるのだろうと思っていた。でも高校生になっても、やっぱり大きな変化を自覚することはなかった。な
1910年の絵画「Ecce Homo(この人を見よ)」のオリジナル(左)、「修復」前(中央)、「修復」後。スペイン・ボルハ(Borja)の教育センターが公開(2012年8月22日提供)。(c)AFP/CENTRO DE ESTUDIOS BORJANOS 【8月26日 AFP】「世界最悪の修復」でサルさながらに変貌してしまった102年前のキリストの肖像画を見ようと、スペイン北東部ボルハ(Borja)を訪れる人々が数百人規模に急増している。 この肖像画はスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)が1910年に描いた「Ecce Homo(この人を見よ)」で、ボルハ市内の教会の柱に直接描かれている。傷みが目立ち始めたため、年齢が80代とされるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さんが善意で修復を試みたところ、オリジナルと似ても似つ
最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何
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