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阪神淡路大震災に関するwackunnpapaのブックマーク (113)

  • 阪神・淡路大震災から30年 神戸で式典 犠牲者追悼

    【1月17日 AFP】1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から、17日で30年を迎えた。地震発生時刻の午前5時46分、夜明け前の被災地各地で黙とうが捧げられた。 神戸市の大部分を壊滅させ、6434人の命を奪ったマグニチュード(M)7.2の地震は、第2次世界大戦以降の日で2011年の東日大震災に次ぐ甚大な被害をもたらした。 母親と妹を亡くした男性はNHKに対し、この30年、似た人を見るたびに、今もどこかで生きているのではないかと思ってしまうと語った。 世界の大規模地震の約5分の1が集中する日で、阪神・淡路大震災の被害は地震対策の大幅な見直しを促した。 阪神・淡路大震災では、建物の倒壊で住民数万人が生き埋めになり、高速道路の橋脚や橋桁、鉄道の線路が破損し、発生した火災は木造住宅が密集する市街地に燃え広がった。 また繁忙を極める港湾地域への甚大な被害は神戸の経済に大打撃を与え、数

    阪神・淡路大震災から30年 神戸で式典 犠牲者追悼
  • 「レイプにあった」30年前の避難所で起きていた性被害『支援物資で死角に』訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」 被災地で繰り返された”悲劇” 令和にもつながる教訓とは | 特集 | MBSニュース

    「レイプにあった」30年前の避難所で起きていた性被害『支援物資で死角に』訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」 被災地で繰り返された"悲劇" 令和にもつながる教訓とは 被災者たちが身を寄せた避難所。兵庫県内で設置された避難所は最も多いときで1153か所でした。当時、避難所で何が起きていたのでしょうか。見えてきたのは令和にもつながる教訓、そして悲痛な叫びの数々も浮かび上がってきました。 住む場所を失い生活が一変「当に死ぬ思い」 1995年1月17日、突然、生活は一変しました。避難所となった体育館には地震で住む場所を失った人たちが、ひしめき合うように身を寄せていました。 (避難所に身を寄せる被災者) 「家の中にヒビがいっているので、もし余震があったらいけないと思ってここに来た」 「すごかったですよ。当に死ぬ思いでしたね」 杖をつく場所さえも探しながら歩きます。この日の神戸市の最

    「レイプにあった」30年前の避難所で起きていた性被害『支援物資で死角に』訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」 被災地で繰り返された”悲劇” 令和にもつながる教訓とは | 特集 | MBSニュース
  • 阪神大震災「長いようで早く過ぎた30年」 被災者ら慰霊祭 愛媛 | 毎日新聞

    阪神大震災の発生から30年となった17日、松山市の石手寺でも慰霊祭が開かれた。2024年1月に起きた能登半島地震の犠牲者への慰霊も兼ね、被災者やその支援者ら約40人が祈りをささげた。境内では34個のガラス瓶に入ったろうそくに火がともされ、「1・17」の形に並べられた。 慰霊祭は堂で営まれ、僧侶の読経が続く中、目を閉じた参加者らは静かに手を合わせて黙とうした。その後、愛媛県内の被災者支援のためのボランティア団体「打てば響く会」が太鼓を披露し、力強い音と掛け声が境内に響き渡った。 兵庫県西宮市の自宅が全壊し、愛媛県八幡浜市に移住した森口政夫さん(73)は「家族はかすり傷一つなく、それが救いだった。一生懸命走り抜けてきた。長いようで早く過ぎた30年だった」と振り返った。南海トラフ巨大地震では、広範囲で甚大な被害が想定されている。森口さんは「『とにかく逃げなさい』と伝えたい。生き延びたら何とでも

    阪神大震災「長いようで早く過ぎた30年」 被災者ら慰霊祭 愛媛 | 毎日新聞
  • 【1日の動き】阪神・淡路大震災から30年 “記憶を次に伝える” | NHK

    6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から、17日で30年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、17日夜になっても犠牲者を追悼する行事が続いています。 17日夜、震災をきっかけに始まった「神戸ルミナリエ」のイルミネーションの一部に光がともされ、亡くなった人たちを追悼しました。 目次 “寄り添う”一日ドキュメント 18:00前 「神戸ルミナリエ」イルミネーションの一部ともされる 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどした「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。 発生から30年となる17日、神戸市中央区の公園「東遊園地」には、犠牲者を悼む灯籠が「1.17」や「よりそう」という文字のかたちに並べられ、地震が発生した午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげました。 「よりそう」という文字には、震災を

    【1日の動き】阪神・淡路大震災から30年 “記憶を次に伝える” | NHK
  • 阪神大震災で生き埋め スポニチ記者の壮絶体験が漫画に 「1・17」から30年、次世代に残したいもの - スポニチ Sponichi Annex 社会

    阪神大震災で生き埋め スポニチ記者の壮絶体験が漫画に 「1・17」から30年、次世代に残したいもの

    阪神大震災で生き埋め スポニチ記者の壮絶体験が漫画に 「1・17」から30年、次世代に残したいもの - スポニチ Sponichi Annex 社会
  • 震災訴訟記録が全て廃棄 阪神・淡路、永久保存ゼロ 神戸地裁、保存「原則5年」踏襲

    1995年の阪神・淡路大震災に起因し、神戸地裁管内で裁かれた民事訴訟について、特別保存(永久保存)された事件記録は1件もなかったことが同地裁への取材で分かった。民事訴訟記録の保存期間は原則5年で、別扱いで残されている判決原を除き、ほぼ全ての震災関連の記録が廃棄されたとみられる。来年1月で同震災は発生から30年。住宅や高速道路の倒壊、災害関連死など、都市直下型地震がもたらした数々の訴訟の軌跡と教訓が示された記録は、防災研究や歴史資料として活用が期待されていた。

    震災訴訟記録が全て廃棄 阪神・淡路、永久保存ゼロ 神戸地裁、保存「原則5年」踏襲
  • <震災アスベスト 30年目の脅威>(1)長い潜伏期間 ボランティアも健康被害か 大量に飛散、環境基準の25倍

    阪神・淡路大震災で倒壊した建物からアスベスト(石綿)が飛び散った。被災地にいた人たちの健康被害は今後どうなるのだろう。私たち取材班は20年以上、この問題を追ってきたが、被害拡大を否定した専門家は1人もいない。がれきや粉じんに潜む微細な石綿繊維。東日大震災、熊地震、そして能登半島地震。阪神・淡路の発生から30年目の今、その脅威を問いたい。(中部 剛) ■毒性の強い青石綿がむき出しに 石綿は耐火性に優れ、加工しやすく安価。ビル、造船などに多用され、日の経済成長を支えた。その一方、吸い込むと長い潜伏期間を経て人の命を奪う。 1995年、堅牢(けんろう)なビルが無残な姿になり、あちこちで解体工事が進んだ。民間研究機関、環境監視研究所にいた中地重晴(現・熊学園大教授)は、崩壊したビルで毒性の強い青石綿がむき出しになっているのを見た。神戸市東灘区の国道2号交差点近く、マンションの解体現場そばで

    <震災アスベスト 30年目の脅威>(1)長い潜伏期間 ボランティアも健康被害か 大量に飛散、環境基準の25倍
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/02/24
    (1)だけが無料記事なのね。
  • 「現場混乱で支援生かし切れなかった」29年前の経験、自治体がチーム組む「対口支援」に

    【読売新聞】 能登半島地震の発生から約2週間となる13日、石川県 珠洲 ( すず ) 市の体育館で、神戸市職員の末若雅之さん(53)が新たに到着した応援職員に状況を説明していた。 「断水でトイレはまだ使えない」「体調不良を訴える被災

    「現場混乱で支援生かし切れなかった」29年前の経験、自治体がチーム組む「対口支援」に
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/01/20
    “手伝うことを尋ねられ、避難所への物資運搬を頼んだが、相手は土地鑑がなく、手元に地図もない。相手の専門技能もわからない。しかも、応援は1週間ほどで交代し、引き継ぎのたびに調整が必要”
  • 神戸市が珠洲市の被災者向けウェブ広報を支援へ 専門職員を派遣|神戸市公式note

    能登半島地震の被災地では、神戸市から、救命救助、給水、避難所の運営、被災者への健康支援、道路や下水道の被害調査など、現時点で100人を超える市職員が活動中です。 そんななか、思いがけない要請が私のもとに届きます。神戸市の重点支援先、石川県珠洲市にいる神戸市職員からのヘルプメッセージでした。 その内容は、被災者が必要としている支援情報が、ウェブで届けられていない。ホームページなどウェブ広報の専門人材を送ってほしいというものでした。 被災者支援への鍵を握る広報広報部門の職員数は自治体によって大きく異なります。守備範囲はマスコミ対応、ホームページ、広報紙、SNSなどで、神戸市役所であれば40人ほどが従事しています。 ですが、人口が1万2千人余りの珠洲市は、職員全体で約400人。直感的に、広報を担当しているのは、一人か、良くて二人と思いました。 そこで電話で聞いてみると、案の定、一人だったのです。

    神戸市が珠洲市の被災者向けウェブ広報を支援へ 専門職員を派遣|神戸市公式note
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/01/19
    “なので、珠洲市は、はっきり言ってかなり困っているのだと感じました。”
  • 能登の被災地への派遣職員から報告 「神戸の経験は役立たない」の真意|神戸市公式note

    能登半島地震の発生から半月が経過。全国の自治体から職員が駆け付けて、現地で支援活動をしています。 神戸市役所からは、きょうも128人の職員が活動中。 このような応援は数カ月にわたるので、約1週間ごとに職員を交代させながら続けるやり方がとられます。 そんななか、第1陣として派遣していた職員たちが神戸に戻ってきたので、きょう神戸市役所の14階の大会議室で報告会が行われました。 職員ら約150人が参加。久元喜造市長も参加して行われた報告会を緊急レポートします。 地上部隊が未踏の地でヘリで救助活動被災地から戻ってきた7名の職員たちが、自分たちが経験した生々しい現地の状況を説明しました。 最初に話をはじめたのは、1月3日にヘリコプターで現地に飛び、救助活動にあたった消防局航空機動隊の小國正英さん。 家屋が倒壊し、長時間下敷きになった患者の搬送や、孤立集落の急病人の救助を行ったとのこと。 特に、道路が

    能登の被災地への派遣職員から報告 「神戸の経験は役立たない」の真意|神戸市公式note
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/01/19
    “渡邉さんが「役に立たなかった」と、語気を強めてでも言いたかったのは、神戸市のやり方を押し付けず、被災者に寄り添い、被災地の本当のニーズを汲み取って支援活動を行うべきだということ”
  • 「故郷が消滅」危惧する男性が神戸で見た希望 29年後の能登の復興を思い描いて:中日新聞Web

    石川県輪島市から阪神大震災の追悼会場を訪れ、能登半島地震の発生時刻に合わせて黙とうする柴田剛さん=17日午後4時10分、神戸市中央区の東遊園地で(中嶋大撮影) 阪神大震災から29年となった17日、犠牲者を悼む神戸市の追悼の場に、能登半島地震で被災した石川県輪島市から駆け付けた男性の姿があった。「こんなに立派な街並みが戻るんか」。自宅が倒壊して水も電気も通らない避難所で暮らす男性は、災害を乗り越えてきた神戸の町で故郷の再起を誓った。 男性は輪島市町野(まちの)町の無職柴田剛さん(67)。能登半島地震が発生した元日、福井県を訪れていた。2日から子どもや孫と温泉旅行に行く予定だったが、地震で中止に。しばらく同県越前市内の友人宅に身を寄せた。5日に自宅の様子を見に戻ると、2階部分が崩れていた。2007年に能登半島を襲った地震で傾き、修復しながら住んできた家だった。

    「故郷が消滅」危惧する男性が神戸で見た希望 29年後の能登の復興を思い描いて:中日新聞Web
  • 埋まってるのは、私だけじゃない- 淡路の「震災の語りべ」あの日の記憶、今も伝える

    阪神・淡路大震災は17日で発生から27年を迎える。兵庫県の淡路島内では8783棟が全半壊し、淡路市で58人、洲市で4人が犠牲になった。野島断層を保存する北淡震災記念公園(淡路市小倉)の「震災の語りべ」らが、新型コロナウイルス禍の制約の中、いまも懸命にあの日の記憶を伝える。(上田勇紀) ◇ ■父の遺志継ぐ語り部 向井さん 今月5日、同公園セミナーハウス。淡路市の学習塾経営向井規子さんが、修学旅行で訪れた千葉県立京葉高校の2年生約110人を前に語り始めた。被災したのは、塾を開いて15年がたったころだった。 「家の2階で寝ていたんですね。そろそろ起きる時間かなと思ったとき、背中にドーンという衝撃が来て。落ちてる気配、揺れてる気配。ジェットコースターみたいに」 モニターに当時の富島の航空写真を映す。規子さんの木造2階建ての自宅とまわりの家々が、ぐしゃりとつぶれていた。別の部屋で寝ていた両親は無事

    埋まってるのは、私だけじゃない- 淡路の「震災の語りべ」あの日の記憶、今も伝える
  • 現場から・ひょうご:神戸大付属図書館震災文庫 復興、防災教訓伝える /兵庫 | 毎日新聞

    17日で発生から23年となった阪神大震災。41人の学生と教職員が亡くなった神戸大学(神戸市灘区六甲台町)の社会科学系図書館3階には、震災に関する資料を所蔵する「震災文庫」がある。震災から9カ月後に開館し、書籍や当時の写真、チラシなど収集した資料は約5万5000点。23年が経過し、来館者の減少や、ネットでの2次利用の許諾が取れていないことなど課題もあるが、災害の事実を後世に伝える重要な役割を担ってきた震災文庫。その歩みを追った。【米山淳】

    現場から・ひょうご:神戸大付属図書館震災文庫 復興、防災教訓伝える /兵庫 | 毎日新聞
  • 神戸新聞NEXT|社会|神戸・長田のアニメ施設閉鎖へ 売上金未払い相次ぐ

    阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の復興再開発ビル「アスタくにづか3番館」に市が誘致し、アニメ関連店が入る商業施設「神戸アニメストリート」が6月末にも閉鎖されることが13日、関係者への取材で分かった。同施設を巡っては客足が伸び悩み、メーカーから販売を依頼された運営会社が商品の売上金などを払っていないケースが続出。「アニメで長田を盛り上げたい」として市が約6700万円を投じて開業を支援したが、オープンから2年余りで幕を閉じることになる。(若林幹夫、杉山雅崇) 施設は2015年3月、震災後ににぎわいを取り戻せない新長田駅南地区の活性化を目指し、空き区画を活用してオープン。運営は同名の会社「神戸アニメストリート」で、フィギュア(人物模型)の展示販売や動画の撮影、配信ができるスタジオ、カフェなどが入る。当初は話題を集め、イベント開催時には大勢が詰め掛けたが、平日は客の姿もまばらで、売

    神戸新聞NEXT|社会|神戸・長田のアニメ施設閉鎖へ 売上金未払い相次ぐ
  • 阪神大震災:復興へ、神戸市支援 アニメ商店街の危機 運営会社、出店者に未払い | 毎日新聞

    阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の再開発ビルに2年前にオープンした商店街「神戸アニメストリート」の存続が危ぶまれている。運営会社から取引先への金銭未払い問題が発生。運営会社はホームページでトラブルを陳謝した上で「運営を続けることは許されない」として撤退も示唆している。市は補助金を700万円以上投入しており、業者任せにした責任や見通しの甘さを指摘する声がある。 再開発ビルは2004年、震災による火災などに遭った地域の復興を目指して建設されたが、空き店舗が目立っている。アニメストリートは15年3月、にぎわいのきっかけにしようと市などの支援で開設され、グッズをそろえたカフェ、コスプレ衣装のレンタル店など6店舗がある。

    阪神大震災:復興へ、神戸市支援 アニメ商店街の危機 運営会社、出店者に未払い | 毎日新聞
  • 阪神・淡路大震災から22年 教訓の継承が課題に | NHKニュース

    6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で22年です。時間の経過とともに高齢化する被災者の暮らしをいかに支えるかと、震災の教訓を継承して今後の防災にどうつなげるかが、変わらぬ課題となっています。 このあと、遺族や被災した人たちによって明かりがともされ、地震が起きた午前5時46分に合わせて黙とうが行われます。 震災から22年がたち、激しい揺れで住まいを失った人たちに提供された復興住宅では、高齢化が進んでいます。入居したときの条件で、住宅からの退去を求められている人もいて、年々、高齢化する被災者の暮らしをどう支えるかが課題となっています。 一方、阪神・淡路大震災以降も、東日大震災や熊地震など大きな地震災害が起きたうえ、今後、南海トラフの巨大地震などの発生も懸念されています。阪神・淡路大震災を知らない世代が増えるなか、震災の経験と教訓をいかに受け継ぎ、今後の防災や減災につなげていくの

  • 阪神の記憶、熊本で生きた 生き埋めを体験、棚を固定:朝日新聞デジタル

  • コラム別に読む : 阪神・淡路と東北の「災後」 土方正志さんが選ぶ本 - 土方正志 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■学べるものはなにか あの日から間もなく4年を迎えるが、今年は阪神・淡路大震災20年の節目の年でもある。この20年でなにが変わり、なにが変わらなかったのか。東北被災地に生きる私たちが阪神・淡路から学べるものはなにか。あるいは、学べていないとしたら、それはなぜなのか、問題はどこにあるのか。さまざまに考えさせてくれるのが塩崎賢明『復興〈災害〉――阪神・淡路大震災と東日大震災』である。 ■復興の〈学〉こそ 復興に関わるさまざまな事象が被災地の現実を好転させるどころか悪化させている。それを〈復興災害〉と名付けて、東北被災地の読者としては日々の現実に思い至らされる。自然災害を、あるいは防災・減災をテーマとした〈学〉や〈論〉はある。だが、生き延びた者たちの復興のためのそれは物心両面共に未(いま)だしの感が否めない。「災後」にあって被災者が一歩前に進むための復興の〈学〉や〈論〉こそがいま切実に求められ

    コラム別に読む : 阪神・淡路と東北の「災後」 土方正志さんが選ぶ本 - 土方正志 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • <検証 阪神から>子どもの影響 進行形 | 河北新報オンラインニュース

    [にしだ・まさひろ]国学院大文学部卒。15年4月から現職。交通遺児育英会職員時に阪神大震災が発生。ボランティアで遺児・孤児の調査や支援に当たった。55歳。福岡県生まれ。 ◎震災5年へ(中)遺児支援/あしなが育英会東北事務所長 西田正弘さん  -1995年の阪神大震災をきっかけに誕生した遺児たちが集える支援施設「レインボーハウス」を、東北でも仙台、石巻、陸前高田市に開所した。  「遊んでむしゃくしゃした気分を発散したり、おしゃべりしたりしながら、子どもたちが『一人じゃないんだ』ということを実感できるように心掛けてきた」  「阪神で分かったのは、子どもの心の安定には保護者の心の安定が欠かせず、並行した対応が必要ということ。施設では同じ境遇の親同士も話し合える。ただ、運営スタッフが限られている上に東北は神戸よりはるかに広い。親子が集いに参加しづらいという悩みがある」 <状況は個別化>  -遺児た

    <検証 阪神から>子どもの影響 進行形 | 河北新報オンラインニュース
  • 阪神大震災:発生から21年 「記憶と教訓」課題に | 毎日新聞

    ろうそくでともされた「1・17」と「未来」の文字=神戸市中央区で2016年1月17日午前5時47分、久保玲撮影 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日早朝、1995年の発生から21年を迎えた。追悼の竹灯籠がともされ、地震が発生した午前5時46分には各地で黙とうがささげられた。 壊滅的な被害を受けた神戸市などの街並みは整った一方、震災後生まれの世代が増え、記憶の風化が懸念されている。被災者の高齢化や孤立化も進み、市民による追悼行事も節目の20年に比べ、ほぼ半減した…

    阪神大震災:発生から21年 「記憶と教訓」課題に | 毎日新聞