朝鮮への帰国を申し出た学生に軍人がかけた言葉には赤線が引かれていた。「虐殺」の文字もある=東京都千代田区の国立公文書館で2024年9月27日午後0時50分、井川加菜美撮影 朝鮮人らの虐殺が起きた関東大震災(1923年)の発生直後、朝鮮から来た留学生はどのような状況に置かれたのか。新たに見つかった旧文部省(文部科学省)の「朝鮮学生救護部」に関する史料からは、排他的な空気に包まれた当時の東京の様子が生々しく伝わってくる。 【関連記事】 虐殺→民衆運動の発展を警戒か 後に韓国でジャーナリストに かくまった思想家は「命の恩人」 「町より食料供給を得ず」 「商人は鮮人に物資を売與(ばいよ)せざるが故に大いに困窮」 史料によると、震災当時、旧東京市や市外には約1000人の朝鮮人学生がいた。為替取引が止まり、郷里からの送金が途絶える中で、満足に食料を手にできない苦しい状況が記されていた。 衣類も食料もな