1916年、ノーザン・パシフィック鉄道による母の日のポストカード アメリカ合衆国では南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送ることを今後絶対に拒否する目的で「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation) を発した。ハウは、南北戦争中にウェストバージニア州で「母の仕事の日」(Mother's Work Days) と称して敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動に着想したが、普及せずに定着しなかった。 ジャービス他界2年後の1907年5月12日に娘のアンナ・ジャービス(英語版) (Anna Jarvis) は、母親が日曜学校の教師を務めた教会で記念会を催して白いカーネーションを贈り、以後アメリカでの母の日の起源とされる[1]。 アンナの想いに感動した人々は母親を忘れない